血脈の檻、秘められた業
白妙の提案――大妖怪との魂の契約。そのあまりに危うい言葉が、静まり返った道場に波紋のように広がった。
「白妙さん、それは……」
「坊や。貴方の一族……土御門の血を引く安倍の末裔たちは、この千年間、何を成してきたと思っているのかしら?」
白妙は長い廊下を、まるで行き止まりのない深淵を歩くような足取りで進み、壁に掛けられた古びた家系図を指差した。
「世間では、貴方たちは晴明公の遺徳を継ぐ『表』の守護者。けれど、その光が強ければ強いほど、影もまた深くなる。貴方たちの真の役割は、国家の安寧を願う祈祷ではない。その裏で、歴史の闇に葬り去られた『怨念の掃き溜め』を、人知れず処理し続けること。貴方の父上が、あえて貴方を修行から遠ざけようとしたのは、その『裏』の業に貴方の清らかな魂を染めたくなかったからではないかしら?」
蓮真は言葉を失った。
父が自分に向ける、どこか哀しげな視線。優秀な兄・朔夜ばかりを危険な現場へ連れ出し、自分には古文書の整理や結界の維持といった「静」の役目ばかりを与えてきた理由。それは単なる実力不足への失望ではなく、この血脈が抱えるドロドロとした闇から、末子の自分を切り離すための、不器用な親心だったのかもしれない。
「……兄さんは、その闇を知っていて、独りで背負おうとしていたんだね」
蓮真は、壁に立てかけられた、まだ幼い頃に朔夜から譲り受けた練習用の木刀に触れた。そこには今も、兄が汗を流して振り抜いた痕跡が残っている。
「でも、今の僕は『守られるだけの子供』じゃない。土御門の末裔として、そして一人の人間として……兄さんを連れ戻し、芦屋を止めたいんだ。たとえ、この魂がどうなろうと」
「……良い目をするようになったわね、坊や」
白妙が満足げに目を細めた、その時だった。
庭園の竹林がざわめき、屋敷を囲む「五芒星の結界」が、不快な高音を立てて軋んだ。
「何っ……!? 結界が内側から……?」
一反木綿が驚愕の声を上げる。見れば、庭の池の水が真っ黒に濁り、そこから泥のような「影」が這い出してきた。それは霊脈の暴走が生み出した異形ではない。芦屋が放った「呪いの残滓」が、蓮真たちの帰還を察知し、追ってきたのだ。
「おのれ、ここまで追いかけてくるとは……! 蓮真さま、下がってください!」
小鞠が鋭い爪を剥き出しにし、傷ついた体で前に出ようとする。だが、その足元はまだおぼつかない。
「……小鞠、無理をしないで。ここは僕の家だ」
蓮真は懐から一束の呪符を取り出した。それは安倍の家に伝わる、防衛のための基礎的な符だ。だが、今の蓮真の瞳には、かつてない決意の炎が宿っている。
「白妙さん。契約の話……少し待ってほしい。まずは、自分の力でこの家を守る。それができない男に、大妖怪の力を御する資格なんてないと思うから」
蓮真は印を結び、深く息を吸い込んだ。
都の霊的中心地としての誇りと、兄への想いを乗せた、彼自身の「裏の陰陽師」としての覚醒が、静かに始まろうとしていた。




