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盤上の指先、冷徹なる観測者

 多田神社の空を貫いた四本目の光柱が、都を囲む夜空を不吉な墨色に染め上げていた。

 その光景を、京都市内北方の山裾、外界から切り離されたように静まり返る廃寺の境内で見つめる男がいた。


 男の名は芦屋あしや

 正統な系譜の光を疎み、闇の深淵にその身を沈めた「逸れ」の術者である。

 彼は冷たい石畳の上に、広大な近畿の霊脈を模した古地図を広げていた。その上には、五つの要衝を示す漆黒の呪石が置かれている。生駒、京北、柳生。そして今、多田の石が内側から脈打つような、どす黒い輝きを放ち始めていた。

「……ふむ。やはり、あの『雷』の兄君は期待を裏切らない。実に、実に美しい働きだ」

 芦屋は、白磁のように白い、細く長い指先で多田の駒を愛おしそうになぞった。その指先が触れるたび、地図上の霊脈が苦悶を上げるように歪む。


 当初、朔夜の帰国は芦屋にとっても「計算外」の毒でしかなかった。己が数十年かけて練り上げた緻密な計画を、異国帰りの荒々しい霊力が踏みにじる。ただの煩わしい不確定要素として、即座に排除すべき対象のはずだったのだ。

 しかし、生駒山での凄絶な死闘を観測した瞬間、芦屋の冷徹な瞳には歓喜の火が灯った。傷つき、呪われ、顔に醜い痣を走らせながらも、なお他者のために正義の雷を振るう朔夜。その「高潔すぎる魂」こそが、この儀式に欠けていた最後のピースだと直感したのである。

「これほど贅沢な『筆』が、向こうから飛び込んでくるとはな……運命とは、時に残酷で、そして何よりも喜劇的だ」

 芦屋は口元を歪め、低く笑った。


 自らの術式を完成させるためには、単なる負の霊力では足りない。それを受け止め、定着させるための強靭な「器」と、純度の高い「霊力」が必要となるのだ。朔夜が正義感に駆られて魔を屠れば屠るほど、その清冽な雷光は芦屋が仕掛けた「逆転の法」というフィルターを通り、致死量の毒を含んだ呪いの墨へと変換されていく。

 朔夜が振るう太刀の一振りは、そのまま五芒星を刻む一筆となり、彼が流す血は、結界を地脈に固定する接着剤となる。朔夜という存在は、もはや計画を阻む敵などではない。芦屋の手の中で、自動的に絶望を紡ぎ続ける「最高級の歯車」へと堕ちていた。

「多田の連中があまりに弱すぎて、全滅したのは少々計算外だったが……。まあいい、所詮はその程度の器だったということだ」

 芦屋は、多田神社の守護者たちの死をゴミのように吐き捨てた。


 彼らが少しでも粘れば、朔夜の精神をもっとじわじわと削り取れたはずだった。だが、全滅したことで生まれた濃厚な「死の気」は、皮肉にも結界をより強固にこの地に繋ぎ止める結果となった。何より、同胞を救えず、己の力で呪いを定着させてしまったという朔夜の『罪悪感』は、もはや二度と抜けない楔となって彼の魂を縛っている。その精神的負荷こそが、術式を最高潮へと導くのだ。


 芦屋は、夜空を覆う墨色の雲を仰ぎ見た。

 世の趨勢が東京へ移り、この都がただの観光地と成り果てたと嘲笑う者もいる。だが、芦屋は知っている。千年の長きにわたり、歴代の天皇と陰陽師たちがこの地に注ぎ込んできた「霊的根源」の重みを。

「……今の東京など、ただの人の集まりに過ぎぬ砂上の楼閣だ。だがこの京都は、千年の怨嗟と祈りが練り上げられた霊脈の心臓、この国の魂そのもの。ここを穿ち、霊脈を逆流させれば、物理的な破壊を超えた『概念の崩壊』が起きる。平穏という名の欺瞞、道徳、秩序……この国を支える不可視の理がすべて腐り落ち、霊脈の奔流に叩き込まれるのだ。完膚なきまでに滅ぼさねばならぬ。この京都という名の『祭壇』で、国そのものを生贄に捧げるために」

 彼が求めているのは、救済でも破壊でもない。

 都の霊的な核を崩壊させ、瓦礫と化した世界の上に、自らが万象を統べる暗黒の神として君臨すること。生も死も、過去も未来も、すべてを自らの指先一つで弄ぶ「真なる混沌」の構築であった。


 ふと、芦屋の眉がぴくりと動いた。

 手元の呪石の一つが、熱を帯びたように激しく震え、白い光を放っている。

「……ほう。驚いたな。あの『落ちこぼれ』の弟君か。能勢の呪霧を自力で抜け、あまつさえ『白き大狐』と『猪名川の主』をその身に侍らせるとは。人ならざるものにこれほどまでに愛されるとは、よほどその魂が……救いようがないほどに純粋なのだな」

 地図の上に、蓮真の現在地を示す一筋の白い光が灯る。

 それは、芦屋が描き上げた漆黒の盤面を汚す、唯一にして最大の「不確定要素」。

「純粋さは時に、神をも惑わす光となる。……微笑ましいことだ。だが、その光が、目前で兄が壊れていく『絶望』にどこまで耐えられるかな? 私の創る新世界の礎として、その清らかな魂を捧げてもらうのも、一興かもしれん」


 芦屋は地図の中央に鎮座する最後の点――繖山きぬがさやまの駒を、指先で愛おしく、そして無慈悲にコツリと叩いた。

「さあ、兄君よ。最後の一点、観音寺城跡が眠るあの険しき山嶺で待っているぞ。八幡山のような小山では、この壮大な幕切れには相応しくない。繖山の頂、古き聖域が呪いに塗り潰され、貴方が正義のために最後の一振りを下した瞬間、この国の『魂』は泥へと還り、私の世界が産声を上げる。怨敵なる都の最期を、特等席で見届けようではないか」

 男は影のような笑みを深めると、印を結び、自らの気配を完全に闇の中へと溶け込ませた。

 残された地図の上では、四つの光柱を結ぶ黒い線が、獲物を窒息させる蜘蛛の糸のように、ゆっくりと、確実に締め上げられていった。

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