多田の太刀、砕かれた雷鳴
白妙が多田神社の境内に躍り込んだ瞬間、蓮真の視界を焼き尽くしたのは、漆黒の闇を切り裂く、青白い電光の残光だった。
「兄さん……!」
拝殿の前。かつて清和源氏の祖を祀った聖域は、無惨に剥ぎ取られた石畳と、焦げた火花の匂いに満ちていた。だが、何より蓮真の目を背けさせたのは、境内に転がる数多の亡骸だった。
この地を守護していたはずの多田の術者たちが、誰一人として動かぬまま、血の海に沈んでいる。ある者は印を組んだまま、ある者は伝来の太刀を握りしめたまま。彼らの命は、救いようのない絶望の中で、無慈悲に刈り取られていた。
その惨劇の中心。朔夜は、折れそうな膝を精神力だけで支え、独り立っていた。
傍らには、漆黒のリッターネイキッドが、不規則なアイドリングを刻みながら佇んでいる。割れたヘッドライトの隙間からは、ショートした配線がチリチリと火花を散らし、主の消耗を象徴するように白い煙を上げていた。
朔夜の周囲には、実体を持たない巨大な「影の異形」が旋回している。多田の霊脈を汚染し、五芒星を焼き付けるために召喚された魔物たち。
朔夜は震える指先で、静かに印を結んだ。
「……退け」
低く、地を這うような声。
直後、一点に凝縮された雷鳴が影を貫き、消滅させた。重厚な排気音を上書きするほどの轟音が境内の樹々をなぎ倒し、立ち込めていた黒霧を一瞬で吹き飛ばす。
だが、魔を屠った刹那、朔夜の限界は訪れた。
膝がガクリと石畳を叩く。手にした霊力は枯れ果て、顔に走る不吉な痣が、赤黒く脈動を繰り返していた。
「兄さん、今助けるよ!」
白妙の背から飛び降りた蓮真が、駆け寄ろうとしたその時。
――ボォォォッ!
足元の地面から、血のような赤い光が噴き出した。
魔は消え去った。しかし、朔夜が魔を屠るために放った強大な霊力と、その傷口から滴り落ちた鮮血が、皮肉にも術式を完成させる「最後の一押し」となってしまった。
石畳の溝を伝い、朔夜の霊力が流体のように満ちていく。それは、五芒星の四番目の角を確定させる、非情な点火だった。
「……くっ、……また、か……」
朔夜は、自分の足下から立ち昇る禍々しい光を止めようと、血まみれの手で地面を強く押さえつけた。多田の術者たちの命と共に消えゆくはずだった霊脈の残滓を、必死に繋ぎ止めようと抗う。だが、一度起動した大霊脈の奔流は、もはや人の身で押し留められるものではなかった。
「……逃げろ、蓮真。……俺が、この手で……焼き付けてしまった」
朔夜の声は、苦渋に満ちていた。多田の同胞たちを救えず、逆にその死の地で呪いを定着させてしまった。その罪悪感に耐えかね、彼は冷たい石畳の上へと崩れ落ちた。
その背中越しに、多田神社の空を貫いて、巨大な墨色の光柱が打ち立てられた。
「兄さん! 兄さん、しっかりして!」
蓮真は倒れた朔夜の体を抱き起した。
兄の体は、驚くほど冷たかった。朔夜は朦朧とした意識の中で、亡くなった術者たちの無念を背負うように、小さな声で何度も謝罪を繰り返していた。
「兄さん、謝らないで! 兄さんは戦っていただけじゃないか!」
蓮真の必死の呼びかけに、朔夜が幽かに目を開ける。その瞳には、絶望と悔恨が滲んでいた。
朔夜は痛む体に鞭打ち、バイクのハンドルを掴んだ。セルモーターが低い唸りを上げ、エンジンが再び目を覚ます。
「……五点目には、来るな。……来るなよ、蓮真」
朔夜は無理やりバイクに跨ると、重いギアを叩き込んだ。オイルの焼ける異臭と、ボロボロになったマフラーからの爆音を残し、彼は再び夜の霧の中へと姿を消した。
背後で、白妙が険しい表情で夜空を見上げる。
「……術式が完全に定着したわね。……あのお兄様、自分を犠牲にしてでも、最後の点を自分で『踏み』に行くつもりよ。それが何を意味するかも知らずに」
多田の術者たちの死を糧に、完成へと近づく五芒星の脈動だけが、不気味に響き渡っていた。




