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霧中の焦燥、爪先の血汐

「蓮真さま……! 蓮真さまぁっ!!」

 能勢の深い谷底。霧を切り裂くような小鞠の絶叫は、湿った空気と「魔」の残響に虚しく飲み込まれていった。

 墜落の衝撃で歪んだ一反木綿の端を掴みながら、彼女は必死に周囲を見渡す。しかし、そこにあるのは不気味なほどに静まり返ったシダの群生と、視界を数メートル先で遮る墨色の壁だけだった。

「くそっ、何てことだ……。あんなに近くにいたのに、この爪が、届かなかった……!」

 小鞠は岩場に降り立つなり、爪が火花を散らすほどの勢いで、近くの立ち木を八つ当たり気味に切り裂いた。指先からは、無理に影の棘を弾いた際に負った、僅かな血が滲んでいる。


 彼女にとって蓮真は守るべき主であり、それ以上に、冷徹な陰陽師の世界で自分を「対等な友」として扱ってくれた唯一の光だった。その光を、自分の目の前で失った。その事実が、彼女の誇り高い猫の矜持をズタズタに引き裂く。

「……坊ちゃん、すまねぇ……。俺が、俺の風が弱かったばかりに……」

 地面に力なく横たわる一反木綿が、掠れた声で漏らした。体中に纏わりついた呪いの墨を、小鞠が荒々しく爪で削ぎ落とす。

「泣き言を言っている暇はないわ。……一反木綿、動ける? 蓮真さまはまだ生きてる。あの人の霊力は、この程度の呪霧で消えるほど弱くない」

 そう言いながらも、小鞠の尻尾は不安で激しく揺れていた。


 彼女は鼻をヒクつかせ、湿った森の匂いを必死に嗅ぎ分ける。しかし、能勢の霊脈を汚染している腐ったような魔の臭いが、蓮真の清らかな香りを執拗に塗り潰していた。

「……南西。あっちよ。僅かだけど、空気が動いてる」

 小鞠は野生の直感だけを信じ、霧の奥を指差した。

 

「多田へ向かっているはずよ。たとえ一人になっても、あの人は絶対に兄さんを諦めない。だったら、私たちが先回りして、道中のゴミを片付けるだけ……!」

 彼女の瞳が、金色の獣の光を放つ。

 小鞠は一反木綿を叱咤し、ボロボロになった体を再び宙へと浮かせた。

 

「見てなさいよ、この霧を仕掛けた奴。……私の蓮真さまに指一本触れてみなさい。その喉笛、私が噛みちぎってやるわ」

 普段の軽快な口調は消え、そこには一匹の飢えた捕食者の殺気が宿っていた。


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