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第27話 反転

 タマラが襲われたと聞いて、アガサは血相を変えて病院へ向かった。襲撃のあった場所に身に覚えがないなど疑問は尽きないが、まずは本人の無事を確認するのが先だ。なんでも、一緒にいたカイルが身を挺して庇ってくれたらしい。その代わり彼が重傷を負ったと聞いて、アガサは胸が潰れる思いがした。


 ジェフリーは後から行くと聞いた時は、やはり仕事を急に放り出すわけにはいかないのかと思ったが、今はそれについて議論する暇はない。とにかく、自分だけでもそばにいてやらないと。アガサは移動の間生きた心地がしなかった。


「タマラ! 無事なの?」

「私は大丈夫! それよりカイルが!」


 タマラを目にするなり、アガサは無我夢中で娘を抱きしめた。体の温もり、規則的な息づかい。よかった、生きている。彼女が無事という実感を得ようと体じゅうをべたべたと触りまくるが、心臓の鼓動はすぐには落ち着いてくれない。最後にもう一度ぎゅっと抱きしめてからカイルの話題に切り替えた。


「カイルはどこ?」

「今治療を受けて寝ている。こっち!」


 タマラに案内され、カイルの病室に入る。火傷治療の魔法薬の匂いが鼻を突く。簡単な火傷なら治癒魔法一回で治るが、カイルは入院してじっくり治療が要るほどの重傷らしい。背中の損傷が特にひどいため、うつ伏せの姿勢で目を閉じている。無事な箇所の方が少ないと言えるほど包帯を巻かれたカイルを見て、アガサは言葉を失い立ち尽くした。


「カイル……どうして……」

「私を守ってこうなったの! ねえ、カイルは大丈夫だよね! 死んじゃったりしないよね!」


 大丈夫かと聞かれても、ここに来たばかりのアガサに分かるはずもない。だが、信用できる大人に保証してもらいたいタマラの気持ちも痛いほど分かる。彼女の力になれない自分を情けなく思う。


「もう、うるさいな。ここは病院だから静かにしてくださいよ」


 カイルが目を開いて、そのままの姿勢で母娘を見やった。いつもの憎まれ口が出てきて、アガサは思わず安心のため息を漏らす。タマラの手前強がっている可能性もあるが、こんな場面ではむしろ悪態をついてくれた方が嬉しいくらいだ。それに、カイルの過去を聞いた後なので、彼を見る目も前とは違っていた。


「ありがとう、カイル。あなたがいてくれてよかった……命の恩人として感謝してもしきれないわ」


 深々と頭を下げてお礼を言うと、また全身が震えた。自由に身動きが取れないカイルは、バツが悪そうな顔をしたが頭を動かすのも叶わず、アガサの感謝の言葉を持て余しているようだった。


「別にこれくらい仕事ですから……それに、あのゴーレムに攻撃されたと言うよりも、自分が放った火の魔法に返り討ちされた形です。なんとも情けない」

「タマラを守ってくれたことには変わりないわ。あなたこそ大丈夫なの?」

「時間はかかるだろうけど、意識もあるし大丈夫ですよ。少しは火傷の痕が残るかもしれませんが、気になるほどじゃありません」

「あなたが死ななくてよかった……本当によかった……」


 そう言って深く頭を下げるアガサに、カイルはばつが悪そうに目を逸らした。うまく頭を動かせないので、視線だけで天井の隅を見やる。


 その時、ずっとアガサの服の裾を握っていたタマラが、ぽつりと口を開いた。


「あのね、ママ。カイルさんね、おうちがなかったんだって」

「タマラ……?」

「ちょっ……その話は! いてっ!」


 慌てて頭をもたげて痛みに呻くカイルにタマラは一瞬痛ましい視線を送ったが、そのまま話し続けた。

 

「お姉さんと二人だけだったのに、お姉さんが死んじゃってひとりぼっちになったの。そしたらパパがカイルさんを引き取って、大きくなるまで面倒みてくれたんだって。だからカイルさんは、パパのために働いてるの」


 アガサは、はっと息を呑んでカイルを見た。カイルはよりいっそう顔を赤くして、枕に額を押しつけるようにそっぽを向いた。


「……少し喋り過ぎてしまったようですね、私は」

「だって、ママに知ってて欲しかったんだもん。カイルさんがどんなに頑張ってるか」


 タマラがむくれるのを見て、カイルはやれやれと言ったように小さくため息をついた。


 アガサの脳裏に、ミネルヴァの言葉が蘇る。事故で亡くなった、身寄りの少ない研究員。所長が今でも気に病んでいるという、その人。


(あの話は……カイルのお姉さんのことだったの)


 点と点が線になって、アガサの胸を締めつけた。この無愛想な青年は、姉を奪った場所で、姉を救えなかった男に恩義を感じて働いている。そして、その男の娘を、命がけで守ったのだ。


「事故を指示した人間が裁かれていないのは知っています。ですが、あの日から誰が姉の死を悔い続け、誰が知らんぷりを決め込んだかずっと見てきました。だから私はここにいるんです」

「カイル……」


 アガサは、もう一度、今度はもっと深く頭を下げた。適当な言葉が見つからない。ただ、この人にきちんと感謝を伝えたかった。


 ジェフリーが到着したのはそれから数十分後のこと。一つにまとめたプラチナブロンドの髪を振り乱して病室に飛び込んできた彼は、青い顔で病床のカイルを見やった。


「ジェフリー! よかった、来てくれて」


 アガサが席を立ってジェフリーのために場所を空ける。ジェフリーは、アガサの腕の中にいるタマラの無事を目で確認してから、ベッドサイドに近づきじっとカイルを見つめた。カイルはさっきよりも顔を赤くして枕に顔を埋めた。


「面目ありません。お恥ずかしいところをお見せしました」

「そんなことより具合は?」

「一ヶ月ほど入院して何回かに分けて治癒魔法を施すとのことです。あとは自然治癒力に任せるとのこと」

「医者より僕の方が火傷を治すのがうまいよ。『反転』を使えば、大抵の傷は早めに治る」

「ええ!? 『反転』を使うんですか?」


 カイルの驚きように違和感を持ったアガサは首をひねった。


「『反転』って何? そんな魔法聞いたことないけど?」

「闇魔法の一種だよ。現在から遡って元の状態に戻すことを反転と言うんだ。例えるなら、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるみたいな? 闇魔法と言うと物騒なイメージがあるけどそればかりじゃない。普通に役に立つものもたくさんある」


 ジェフリーの説明を聞いてアガサは目を丸くした。大学の講義で聞いた内容とだいぶ違う。やはり、本人から聞くのが一番だ。だが、カイルが頭をもたげて反論を試みた。その拍子に背中に痛みが走ったらしく顔をしかめたがやめようとはしなかった。


「『反転』は規定で使えないはずですよ!」

「規定? そんなものがあるの?」

「ジェフリー氏は、外で光と闇の魔法を自由に使うことはできないんです。簡単なものなら問題ないですが、自然の法則を捻じ曲げるほどの――例えば、死者蘇生術などは厳に禁じられています。もし破ったら、重大なペナルティを負うことになる。ジェフリー氏といえども逃れることはできません」


 アガサは息を呑んだ。穏やかな顔のままのジェフリーを穴の空くほど見つめるが、彼が何も言わないところを見ると、カイルの話に偽りはないのだろう。


「今の話、本当?」

「ああ、僕がまかり間違って暴走しないように魔法の枷が嵌められている。もし禁術を使ったら自動的に検知されるようになっている。勝手に使うと身分を剥奪される上、何十年も服役しなくちゃならない」


 もしかして、将来タマラも同じことになるのだろうか。アガサはタマラの肩の上に載せた手をぎゅっと握りしめたが、今はそれどころじゃないと暗い考えを振り払った。


「カイル、安心しろ。あらかじめ『反転』を使う許可を取っておいた。かわいい秘書が襲われた経緯を説明したら、上も了承してくれたよ。そのためにここに来るのが遅くなったんだ」

「本当ですか? まさか……」


 カイルは全身の力を弛緩させ、再びベッドに体重を預ける。そばで聞いていたアガサも、ジェフリーが遅れた真相を聞いて胸の奥がじんと熱くなった。

 

「お前を安心させるために嘘をついているわけじゃないぞ。今回のケースは、病院の医者でも治せる火傷だ。そこで僕が『反転』を使ったところで入院期間が短縮するだけで、本質的には変化ない。そう判断されただけだ」

「でも……」

「パパ、カイルさんがすぐに良くなるなら魔法を使って。早く元気になってほしいの」

「ほら、タマラもこう言ってるぞ?」


 ジェフリーはタマラの方に振り返り、安心させるように微笑みかけた。そして、タマラが安心した顔になったのを見届けてから、なおも眉間にしわを寄せるカイルに向き直り魔法をかける体制を取った。


「一般的な治癒魔法より早く良くなるし、痕も残りづらい。いいからおとなしくしてなさい」


 ジェフリーが構えを取っただけで、アガサは病室の空気が変わったような気がした。タマラが息を呑むのが分かる。もちろんアガサも、よく知っている夫が急に別人に変わったような錯覚を覚えた。


「万物の祖よ 生々流転する生きとし生けるものよ 在し姿に戻れ」 


 低い声で呪文を唱える姿は、先ほどまでの飄々とした態度とは異なり、厳粛で近づき難い雰囲気に変わった。それは言葉と言うより音楽のようでいて、見知らぬ異国の響きにも聞こえる。見た目は何もかわらないのに、部屋の空気が重くなった気がしたがそれも一瞬。ジェフリーが呪文を唱え終わるとすぐに元に戻った。


「痛みが治まっている……」


 カイルがぽつりと呟くと、ジェフリーは顔をぱっと輝かせた。いつもの屈託ない笑みが戻っている。


「呪文がうまく働いたようだ。よかった。どの程度良くなったかは包帯を取ってみないと分からないが、入院期間は大幅に短縮すると思うよ」


 顔を綻ばせるジェフリーを見て、アガサは安堵のため息を漏らした。ジェフリーが呪文を唱えている間、無意識に息を止めていたのだ。こうして見ると、彼は誰にも気さくで誰にも優しいが、恐ろしい力を持った大魔法使いであることには変わりないと痛感する。誰をも寄せ付けない一面を持ちながら周りに愛される。それは彼の努力の賜物なのだとアガサは思った。


「カイルさん治ったの?」

「ええ、パパが治してくれたのよ」

「そう……よかった」


 安心と喜びからか、タマラはアガサに腕を回して顔を埋める。それに応えるためにアガサも娘の体を抱きしめ返した。


 ふと、ジェフリーがこちらを振り返ってアガサに声をかけた。


「悪いんだけど、カイルと二人で話をしたいから少し外で待ってもらってもいい?」

「いいわよ。私とタマラは廊下に出るから」

「内緒にするつもりはない。後で説明するよ」


 その言葉の通り、後になってタマラのいないところでジェフリーが教えてくれた。


「タマラとカイルはゴーレムに襲われたらしいね」

「ということは、相手は土属性……?」


 土属性と聞いて、アガサは背筋が凍った。身近にいる土属性と言えば、ジェフリーの姉エルザだが……。魔法薬の材料を見分ける目も持っている。あの調合室で薬瓶を手に取っていた姿が嫌でも脳裏に蘇った。アガサのことはよく思ってないのは知っているが、タマラにまで恨みを持っているとは考えにくい。


「土属性がタマラとカイルを襲った犯人って言いたいの?」

「いや、ゴーレムだからと言って、土属性とは限らない」


 アガサは目を見開いて、唇をきつく引き結ぶジェフリーを見つめた。


「それってどういう……?」

「ゴーレムが繰り出した攻撃魔法はカイルの火魔法を高噴射で吹き飛ばすものだった。ドアを吹き飛ばした原理も同じ。土魔法ならもっと別の戦い方があったはず。何かおかしい」

「何が言いたいの?」

「相手は自分の正体を気付かせないために、敢えて土魔法の振りをしてゴーレムを出したんだ。本当の属性は違う。多分……風」


 アガサはごくりと唾を飲んだ。まさか。思い当たる人を知っている。でも、まさかそんなことがあり得るだろうか。一番考えにくいあの人だなんて……


 だから、翌日あの彼から連絡があった時、信じられなかったアガサは会いに行ってしまった。嘘だと確かめたくて。どうしても本人の口から聞き出したくて。なぜなら、彼には助けてもらった恩があるからだ――。

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