第42話 義務と献身(4)
私は確信する。お嬢様はまだリュシアン王子を懐かしく想っていらっしゃる。
ではなぜ、リュシアン王子の手を放さなければならないのだろう? ……どうお聞きしたらいいのか分からない。
室内を照らす明かりが明るく暗く、揺らめいた気がした。私は遠回しに話を始める。
「リールの領主館では、ご不便はございませんでしたか?」
「大いに不便だったわ、お前が一緒に来なかったからね」
「えっ」
「もしセシルでなくてお前がいたら、だいぶ、話は違っていたでしょうね」
お嬢様は不満を言いつつ、その様子はとてもわざとらしく、顔が笑っている。
ここでセシルの名前が出たので、機を逃すまいと私はお聞きする。
「そのセシルは、まだ城に戻らないようですが……」
「この先もずっと戻らないわ、交換に応じると言っておいたから」
交換? それはどういうこと? 私は無言でお嬢様のお顔を見上げる。
お嬢様は頬杖をつき、少し不機嫌に話を続ける。
「全部がセシルのせい、というわけじゃない……」
領主館に到着し、二日目の夜のことだったという。お嬢様の部屋に身なりを整えたリュシアン王子が現れ、居合わせた女中は腰をかがめて頭を下げる。王子はこれから夜遊びに出かけると見え、お嬢様にある許可をとる。
「セシルに街の案内を頼んでも?」
「私は構わないわ。セシル?」
とたんにセシルは満面の笑顔。うれしさを隠そうともしない。その抑制のなさが、疎ましく、時にうらやましいこともある。
セシルは飛び跳ねるような足取りでリュシアン王子のお供をし、二人は部屋を出て行く。
それにしても、王子はどうして毎晩遊びに出かけるのだろう? お嬢様と一緒にわざわざリールまで来ているし、お嬢様を確かに愛していると思えるのに。
「どうしようもない習慣ね。無理に変える必要はないと、私も言った」
お嬢様はそうおっしゃる、当然のように。けれど、理由すら聞かず言わず受け入れられるのは、二人の間に信頼があるからだ。私はそう思った。
さて、リュシアン王子はセシルを伴って出かけ、そこで事件が起きる。その時の出来事をリュシアン王子はお嬢様に話した。なのでこれは私がお嬢様からまた聞きした話。
ある料理屋で客同士の小競り合いが起き、大騒ぎに発展した。街の法で夜間の喧嘩や決闘は禁じられている。駆け付けた警備役が喧嘩の当人たち二人を取り押さえ、牢屋に連れていこうとする。が、そのうちの一方が街の有力者で警備役たちは手を止めてしまう。上の役人に相談しようということになって、この場では一方の当事者だけを連行した。
朝になれば喧嘩に対する審判が開かれるはず。が、このままでは連行された方だけが一方的に責めを負うことになりそうな雲行きだ。
「褒められないな。あれは、どっちもどっちだ」
というのが、一部始終を見ていたリュシアン王子の感想だそうだ。
王子は騒ぎのせいで馬車が出せず、帰るに帰れない。……多分、リュシアン王子の身分をもってすれば無理が通るんだけど、王子はそれをしなかったんだ。
そのうえ、どういう経緯なのか渦中に取り残された子供をリュシアン王子が保護することになり、その子供の面倒をみているうちにさらに時間がたってしまった。……へえ、それは感心……って。そう思ってから私は苦笑する。昨日までの私なら、絶対になかった感想。王子が子供を保護するなんて、嘘くさいと思ったはずだ。
そして気が付けばセシルの姿がなかったという。セシルは騒ぎに乗じ、言い寄って来た富豪の商人のもとへ走ったらしい。詳細が判明したのは翌日のことで。
「使用人の交換に、応じたわ」
その商人から申し出があり、セシルは商人の元へ、働き口を変える。セシルの代わりには補償金が領主館へ送られる。
城の外に出たがっていたセシル。うまく機会をとらえたようだ。一歩間違えば女中の仕事を放り出して逃亡したと、罪に問われたかもしれない。そうならなかったのは運が良かった。セシルについてお嬢様は言った。
「あきれた女中……あのままお城の女中を続けても、お互いにいいことはなかったでしょう」
セシルにあってお嬢様にないもの。自分の欲求を包み隠さず、それに忠実なこと。多分私にもセシルの真似はできない。
お嬢様は、私がお嬢様と同行していたら事情が違った、とおっしゃったけど……本当に変わっていただろうか。
まず私ならばリュシアン王子と夜遊びにでかけない。王子の帰りが遅く、お嬢様が不安がれば確認に人をやったかもしれないけど……本心からお嬢様の心配に寄り添ったかというと、そうしなかったと思う。昨日までの私はリュシアン王子を信用していない。自分勝手な遊び人だと思っていたから。
それが今、すっかり見方が変わってしまった。お嬢様だけが知っているリュシアン王子の姿、二人だけの時に見せる顔、……お嬢様がそれを話してくださるのも、きっと私ならばと信頼してくださるから。今までの思い違いを思うと、心が痛い。でも今はこの先に進みたい。
さて、お嬢様の話はその騒動が起きた夜のことに戻る。事件の後、王子は領主館に戻って来た……のだけど、この後の話は聞いているだけで胸が詰まりそう。
王子の帰りは一人だった。連れて行ったセシルの姿はない。時刻は夜が明けようとしている頃。いつもの夜遊びよりもずいぶんと長い外出になってしまった。リュシアン王子は、普段は着替えてからお嬢様の寝室を訪れるはずが、この日は外出着のままだったという。きっと急いでお嬢様の元に駆け付けたからに違いない。
リュシアン王子は出来事の一部始終を話した後で付け加える。
「すっかり時間がかかってしまった」
「別に、時間の約束をしたわけじゃないから」
いつものお嬢様の素っ気ない態度。リュシアン王子はお嬢様に近づこうとする。するとお嬢様が身を引く。いつもとは違う、外から持ち帰った喧騒の残る衣服、それがお嬢様をためらわせたのかもしれない。
リュシアン王子がお嬢様に触れようとした手を引っ込めて言う。
「約束、か……確かに」
リュシアン王子はじっとお嬢様を見つめる。そして、ついに気にかかっていたことを口に出して言ってしまった。
「君もだ。君がした約束じゃない。でも、君がそれを守ろうとしている」
「押しかけ婚約者のことね?」
「そうだ、結局のところ君は、俺よりも『お父様』の所に戻ろうとしている……」
「なぜ? 何を見てそう思うの?」
お嬢様は睨みつける。リュシアン王子は悔しそうに胸の内を明かす。
「俺は魔法が分からない……でも、何かが納得できない。ヴァロン侯は命を賭けた誓約を忘れて、それで平気でいたのか? 今も君を逃がしただけで、何も手を打ってこない」
……魔法というのは、ヴァロン侯とその親友テオドール様との『真実の誓い』のことだ。親がその子供同士を結婚させると誓った魔法の短剣がある。ヴァロン侯がその誓約に対して何もしないのは、誓約がすでに取り消し済みか、あるいは、あっても意味がないと分かっているからだ。これはリュシアン王子たちにはまだ明かされていない裏事情。でも、王子はヴァロン侯の態度を疑っている。
「ジャンヌ、君はこの街で退屈している。ヴァロン侯たちの時間稼ぎは、時間が経って自然と君が城に戻ることを、期待しているんじゃないのか? そうなったら、それが君の意志なのか、それとも、……」
「そんなことはない! 私は……」
リュシアン王子の恐れを否定しようとし、お嬢様は言葉を止める。お嬢様は魔法が怖い。親殺しになることが怖い。本当の所は分からない。何をしたら決定的に、誓約通りに「結婚しなかった」ということになるのだろう? このまま結婚を忌避して城の外にとどまり続けた場合、それはどうなる? お嬢様が押し黙ってしまった理由にリュシアン王子も気づく。
「そうだな、今はこの話をするには時期が悪い。これ以上、不用意な行動をしないほうがいい……君は特に……」
二人は目をそらし顔をそむける。
……すごくまずい展開。二人はお互いに相手を責めている訳じゃないんだ。
リュシアン王子は事態に自分の力が及ばないことへ苛立っている。魔法という得体の知れない術に対抗できないことへの焦り。一度はヴァロン侯を制したはずが、今度は防戦一方を余儀なくされている。
お嬢様は、いまだに自分をおさえつけ、自由を奪うものへの苛立ち。愛する人に気持ちが伝わらないもどかしさ。そして、自分が二人の未来を制限しているという負い目。
窓の外が明るくなってきた。止まり木にいた鳩が目を覚まし、羽ばたきをする。リュシアン王子が沈黙を破った。
「もう一度、出かけて来る。この後の審判が公正に行われるように見届けると、あの子供に約束したんだ」
「いちいち説明してくれなくて構わない」
「……また後で」
「私に約束はいらない。あなたの好きにすればいい」
言われてリュシアン王子が言葉に詰まる。好きにすればいいと言われて、そうはできない人だから。お嬢様の言うことがかえって深く胸を突き刺し、追い詰める。
それでも彼は言葉を尽くす。
「……約束じゃなくて、義務なんだ」
「義務?」
「何があってもなくても、俺はそうしなければならない……」
リュシアン王子はそれだけ言って、お嬢様に背を向ける。お嬢様は黙って恋人が出て行くのを見送る。どんなに不安でも「行かないで」とは言わない。それがお嬢様の意地と誇り。
王子は自分のことを義務だと言った。高貴な義務のように自分を扱い、また一方で別の義務を果たすために、出て行ってしまったのだ。
落ち着いている時には、お嬢様はリュシアン王子のよき理解者。だけど、いったん崩れてしまえば感情を抑えきれない。
ふとテーブルの上に銀の縁の鏡が置いてあるのに気づく。リュシアン王子から最初に贈られた大切な鏡。お嬢様はその鏡面を下に向け、そっとテーブルの上に接するよう倒す。
「ああ……っ!」
お嬢様が声を上げる。誰のせいでもない、やりきれない気持ちを物にぶつける。いくつものクッションが空を飛び、落下地点の近くにいた鳩が驚いて飛び上がる。
「アンナ!」
呼ばれてすぐに次の間にいた女中が現れる。床に落ちて散乱しているクッションを見て驚く。
「どうしたんです、一体何が?」
「戻るから、荷物と馬車を」
「戻る? どちらへ?」
「城よ、ヴァロン城よ」
「お一人で、ですか?」
「そうよ。急いで」
言われるがまま、アンナは大急ぎで部屋を飛び出す。お嬢様は震える声で言う。
「……リュシアンなんか大嫌い。私だって、あの婚約者と結婚してやる……!」
鳩が再び飛び上がる。そのまま空へ向かって飛んでいく。
……そうやって鳩は私の所へ飛んで来た。鳩が伝えてくれた言葉は、これだったんだ。




