第40話 義務と献身(2)
驚くべき話になってきた。私は動きが止まり、お嬢様の顔を見てしまう。
この先を聞くべきか、聞かざるべきか。聞くのは怖いけれど、知りたい、と思う。そう思うのは、きっと重要な手掛かりがたくさん隠されているからだ。お嬢様がリュシアン王子のことをどう思っているのか、知るために。
お嬢様は私の驚き戸惑う反応に気をよくしたらしい。からかうようにおっしゃる。
「今さら驚く? お前だってあの時、見ていたじゃないの。私がリュシアンと帰って来たのを」
それならばお嬢様が初めて、リュシアン王子と部屋に戻られた日のことだ。一年も前のことをよく……って、私でも覚えているのだから、お嬢様が覚えているのは当たり前か。
私はお嬢様の表情をうかがい見る。お嬢様は両腕で枕を抱え込み、その上に顎をのせている。リュシアン王子のことを話す時、相変わらず少し拗ねたような所が半分、得意気なところが半分。ここは何があったかお伺いしても差し支えないようだけど、違うかしら。
「おっしゃる通りです。もう何を申し上げても無駄なくらい、お二人は決心を固めていらっしゃるようにお見受けしたのです」
案の定、お嬢様のほうは愉快そうな様子のままだ。
「そう見えた? 私の方はそうでもなかったけど、リュシアンの方は明確にその意志があったのよ」
ジャンヌ様は笑い、遠くの方、室内に灯された明かりをじっと見ながら話を続ける。
「あの夜、宴の場で、リュシアンは私の見た目を褒めて、もっと親しくなりたいと言った。儀礼を超えない範囲だったと思ったけど……」
それを聞いたヴァロン侯が、リュシアン王子にこう答えて承諾する。ヴァロン侯は儀礼以上の何かを思ったらしい。
「娘はまだ準備ができておりませんが……明日であれば。きっとあなた様のよい話相手になるでしょう」
ただの、話相手?
私が疑問に感じたことに、お嬢様は言う。
「あの時の私は従順な子供だったから、あまり深く考えなかった。お父様の言いつけに従う事しか、頭になかった」
暗に今はそうじゃない、といっているかのよう。
お嬢様は腕組みをして当時の話を続ける。
「夜も更けて宴が終わった頃、お父様の侍従が来て私を呼び出した。ある場所で、お父様が私を待っていると」
「ある場所とは?」
「城主の礼拝室」
あ、それは私たちが「領主様の仕事部屋」と呼ぶ部屋のことだ。
あの場所には嫌な予感しかしない。お嬢様の話を聞く私はたぶんしかめっ面をしている。
「それを聞いて私は、いよいよ、私も『準備』をする時がきたのだと思った」
「『準備』……」
「そう、『準備』。城の当主には、特別な儀式があるのだと聞かされていた。もう少し後のはずだったんだけど、リュシアンと……彼も一応王家の人間だし……相対する必要ができて、時期が早まったのだと思ったわ」
「どんな儀式なのか、ご存じだったのですか?」
「いいえ」
お嬢様は首を横に振る。
「その時思っていたのは、成人する上での通過儀礼だと……祈祷をして先祖の霊力を授かるとか、ね」
先祖と聞いて、私は先祖代々の呪詛がお嬢様に乗り移る様子を思い浮かべた。……よくない想像だ。私は頭を振って極端な考えを追い払う。
「とにかく、あの時の私はいつまでも子ども扱いされるのが不満で、早く成人したいと思っていたから……今思えばおかしな話。そんな儀式一つで、私の何かが突然変わるはず、ないのにね」
ご本人の資質や実力は変わるはずがない。でも、周囲は都合よく見方を変えてしまうのかもしれない。
大きな不安と期待。はやる心でお嬢様は指定された場所に向かう。果たして人気のない礼拝室の前でヴァロン侯は娘を待っていた。その父親の様子にお嬢様は、はっと息を呑んだそうだ。
怖い、恐ろしい。足がすくむ。前に進めない。礼拝室の中へは、行ってはいけない気がする。
思わず来た道を戻りそうになったお嬢様の手首を、ヴァロン侯がぐいとつかんで言う。
「来るのだ。流される最初の血は、私とお前と……儀式によってでなければならぬ」
その光景が容易に想像できてしまうのが怖い。私の背筋もぞっと凍り付き、身震いする。
ヴァロン侯は血、だと言った。血、か……、血なんだ。フェリックス様もそう聞いたと言っていた。城の当主たちは、代々そうしてきたのだと。
でも、フェリックス様は、それに付き合う気はない、と儀式を退けた。お嬢様はどうなった?
目線を戻すと、お嬢様は自分の手をみつめている。不意に手首をさする。私はその仕草をじっと見てしまう。
「ああ、これ?」
私の視線にお嬢様が気づく。
「今まで忘れていたのに……」
お嬢様は笑い、両手で膝を抱え込む。私の心は大声で泣いてしまう。
代々の亡霊たちがとりついている、呪われた動作。今すぐ飛んで行って、お嬢様の手を水で洗い清めたい衝動に駆られる。私にそうしてくれた人がいたように。でも……私ではなくて、それをするのにふさわしい人が、お嬢様にもいらっしゃるのではなかろうか。たとえば、リュシアン王子?
室内の明かりの中、お嬢様の表情が浮かび上がる。お嬢様は目を細め、その時のことを振り返る。
「で、その時だったのだけど、突然背後から、私の肩を叩く人がいて。本当に突然に、死ぬほどびっくりした」
お嬢様は大袈裟な身振り手振りで驚きを表す。
「でもそれがリュシアンだった」
語るお嬢様は微笑し、どこか誇らしげ。第三者の介入があったことに、私も緊張を緩める。でも。
「リュシアン王子はそんな時間に何を?」
私の疑問にお嬢様は含み笑いをする。半分目を伏せておかしそうに首を振る。
「リュシアンにありそうなことね。今も昔も」
それは相手のいる、夜遊びということか。
夜遅く、誰もが寝静まる時間。廊下にかがり火の揺れる中でお嬢様とリュシアン王子の二人はお互いを認識したのだそうだ。
「誰かと思えば、この世でいちばん美しくていちばん気位の高いお姫様じゃないか」
そう言われ、お嬢様はむっとしてリュシアン王子を睨みつける。
王子は口先だけで非礼を詫びた。
「これはこれは失礼……こんな時間にまっとうな人間が出歩いているとは思わなかったものだから」
王子は気安くお嬢様に話しかけ、お嬢様もつられて強い態度で応じる。
「それはあなただって同じことでしょう?!」
お嬢様は王子のたちの悪い悪戯と思って怒り心頭。リュシアン王子は笑う。
「はは……俺がまともな人間かな……」
王子は真面目くさって言った。
「ちょうどいい、帰り道が分からなくなってしまった。助けてくれ」
「来たのなら、帰れるはず」
「……言うね。あんたを怒らせてしまったかな?」
「お父様と、大事な用があったのに……」
お嬢様は辺りを見回す。いつのまにかヴァロン侯の姿が消えたことに気づく。その場にはお嬢様とリュシアン王子だけが取り残された。
リュシアン王子は少し考えると、お嬢様に聞いてきたそうだ。
「『お父様』とはいつも、あんな風に? 仲良く手を取り合うのか?」
「侮辱しないで。今夜は特別に重要なことがあるはずだったのに」
「それはもしかして、何かの『準備』だったかな?」
「そうよ」
このとき、たぶん、二人の言う「準備」の指す所が違っているけれど、二人はそれに気づいていない。
「俺の事ならば……特別な『準備』はいらないが……まあ、なんだな。そういうことは『お父様』以外の人としたほうがいい」
「?」
お嬢様には王子のいう意味がわからなかった。なので真面目に聞き返す。
「他の誰が、代わりにできるというの?」
「うん、そりゃ、あんた次第で、どうとでも」
「まるで、あなたにでもできるような言い方ね」
王子は驚いてお嬢様を見つめる。口をぽかんと開けて。ややあって、うなずきながら言う。
「できる。悪くない、というかむしろ適任だ。まいったな……」
王子は頭をかきながらお嬢様の意志を確認する。
「聞くが、それは誰かに言われたんじゃなくて、君が自分で言うことかい?」
「ええそうよ、決まってるじゃない。……?」
王子はそれまでの態度を一変させ、そうっとお嬢様の手をとる。まったく嫌な感じがしなかったそうだ。
「じゃあ、君の部屋に行こう。俺は本当に君の部屋を知らないから、君が手を引いてくれないとたどり着けない」
一連の話を聞いて私はぶっ倒れそうになる。あの日、二人が部屋に来るまでにはそんなことがあったのか。
「そうやって私はそれを承知でリュシアンと部屋に戻った。見ていたお前は何も言わなかった……別の女中なら違ったでしょうね」
「……その通りでございます」
よかったのか悪かったのか、旦那様に連れていかれるよりは、ずっとよかったはずだ。
それに、私はリュシアン王子に対する見方を、少し改めた方がいいかもしれない。王子は最終的な決定権をお嬢様にゆだねているようでもあり、それは責任の所在を追及されたときの自身の保身のためのようでもあり、周到だ。世間がいうほど、王子は考えなしでないと思った。
お嬢様は大きくため息をつく。
「その晩リュシアンはね、何も知らなかった私を相手に、とてもうまくやったと思うわよ。でも同時に、とてもほっとしたような様子だった」
はて。その意味は?
お嬢様は一瞬だけためらい、すらすらと話を続ける。
「今ならどうしてだか分かる。全部彼の勘違いで、……私がまだ誰とも、お父様とも、何も経験していないことが分かったからね」
私もお嬢様からその事実を聞いてほっとする。
お嬢様は自嘲気味に笑う。
「でも私は全部終わった後で、リュシアンに言った。『思っていたのと違う』、と」
するとものすごい剣幕で王子は聞き返したそうだ。
「違う?! どう違った?」
はは……。リュシアン王子はきっと、経験豊富な放蕩者としての変な矜持を傷つけられたんだ。もしそんなものがあればだけど。
で、この後に続くお嬢様の言葉に王子は顔色を失う。もちろん私も。
「夜の勤めは、馬や牛になったつもりでじっと耐えるものだと聞かされていたから。縄でつながれても、棒で打たれても、抵抗してはいけないと」
「おいおい……一体誰がそんなことを……」
思い当たってリュシアン王子は口をつぐむ。
みんなこの手の話題が大好きだから、あることないこと、多くの噂が飛び交う。でも、貴族の家で最も影響力が大きいのは母親。
ただの悪意か、それとも……。旦那様と奥様の夜の噂は、リュシアン王子も聞く機会があったかもしれない。
お嬢様はリュシアン王子に言ったという。
「今のあなたは違ったけれど、妻となる人の前では、また別の顔があるのかもしれないわね」
「ないさ。表裏のある奴は、俺も嫌いだ」
「でもあなたは人の夫になったことがないでしょう?」
「……なってもいいと思ってる」
「へえ」
「もし俺が、君と結婚すると言ったら、君はどうする?」
「お好きになさったら」
……ああ、この素っ気ない返事がまた、お嬢様らしいこと、この上ない。




