第38話 古い衣装箱
奥様はわざと、聞かせるためのため息をつき、言った。
「何を言っても聞かないのね……ジャンヌ、お前にもいずれ、分かる時が来る」
「分かった上で、同じ道は選ばない」
ジャンヌ様は奥様をまっすぐにらみ、言い返す。
私は奥様とお嬢様の間に入り、深々とお辞儀をして奥様の退出を促す。
奥様はどうやら、お嬢様の味方じゃないみたいだ。お嬢様の方は……よかった。お嬢様は奥様の嫌みになんか、動じていない。
だけど、奥様が部屋から出て行った後も、お嬢様はしばらく立ち尽くしたままでいた。
私はお伺いをたてる。
「すぐに、ご自分のお部屋にお戻りに?」
「そうね……」
「先に、お衣装を片付けませんと」
「そうね……」
お嬢様は上の空だ。私は並べられた婚礼衣装に近づく。
ベッドの上には豪奢な長衣と飾り帯、マント。頭飾り、首飾りに腕輪などのきらびやかな装身具。全てが高価な品物、私たち使用人の身を飾ることは決してない。
お嬢様が止めなかったので、私はまずマントを手に取った。ずっしりと重い。金糸銀糸の刺繍や縁飾りが威厳を感じさせるし、実際の所、着ている人にも相当に負担になりそうな重さだ。
すぐ隣には立派な衣装箱がある。衣装箱のフタは外されたままで、中はからっぽだった。
立っていたお嬢様が再び長椅子に腰かける。声を張り上げるようにして、離れた場所の私に指示する。
「その箱よ。しまってちょうだい」
「かしこまりました」
私はうなずいて了承を表し、衣装に向き直る。お嬢様は私が衣装を納める様子をじっと見ている。
「その服はヴァロン家代々に伝わる婚礼衣装だそうよ」
「見事なものですね、先祖伝来の重みを感じます」
「……」
とたんにお嬢様は口を閉ざす。私は何かまずい事を言ってしまったらしい。
私は少し、話の方向を変える。
「この美しい衣装は、お嬢様が、こちらに運ぶようにとおっしゃったのですか?」
「私じゃない、お母様よ。私がフェリックスと結婚するつもりだと言ったとたん、大喜びで、準備をしましょうと言って」
「客間の準備も、奥様がなさったのですか?」
「そう」
……なるほど、二十数年前の再現はやっぱり奥様の仕業なのか。
お嬢様はおっしゃる。
「その衣装は、重苦しいのよ」
ははあ。さっきの、お嬢様の無言の反発の理由がわかったぞ。
実際にこの婚礼衣装は重たいのだけど、お嬢様が気にしているのは、ただの服の重さではない。
「見た途端、嫌な気分になった。お祝いの服のはずなのに、全然そんな気分じゃない。うれしさよりも、代々の嘆きや苦しみの声が詰まっているようなんだわ」
お嬢様が顔をしかめて耳に手をやる。聞こえているのは……城の亡霊たちの呼び声かもしれない。
私が心配そうに見上げると、お嬢様は頭を大きく横に振り、その重苦しさを振り切った。
「そんなことを思うのは多分、自分が『領主の妻』にさせられそうになっているからね」
お嬢様は顎の下に手をつき、どこか自嘲気味に話を続ける。
「リュシアンと結婚するつもりだったとき、私は次期当主だった。『王家からの干渉を避けるためにも、強い領主でなければならぬ』、などと言われてね」
それはヴァロン家門を守るためだ。ヴァロン侯の思惑について、フェリックス様も同じことを言っていた。
「なのに、相手がフェリックスになった途端、お父様は『ならば彼を当主にする』と言い出して。私はすっかり当主の妻に成り下がってしまった」
お嬢様は長椅子の背に、ご自身の背中をぶつけるようにして勢いよく座り直す。
「これでは私はいないも同然。隣にいる男のせいで、私は立場が変わってしまうのよ」
「……ジャンヌ様はジャンヌ様です、何があっても」
私は仕事の手を止めずにお答えする。
ヴァロン侯にとってお嬢様は、家門を保全するための手段でしかないのだ。でも、当主の問題はともかく、ヴァロン侯にはフェリックス様とお嬢様の結婚に賛成しない理由があるはずなのだけど。
「お父様はおかしいのよ」
お嬢様の言葉で私は顔を上げる。お嬢様の目は輝きを失わず、遠くをにらんでいる。
「お父様たちは私とフェリックスの結婚を、魔法の短剣に誓っていたはずでしょう?」
私は大きく首を動かしてうなずく。
「私たちが結婚すればお父様の命も助かると言うのに、全くうれしそうじゃないのよ」
「……」
当初の話では、誓いを破ればヴァロン侯は命がない、という話だった。でも、そもそもそんな誓いは無効なのだと、後から気づいてしまったのだ。どうしてそうなったかについては、お嬢様にお知らせできないけれど。
「そんなにフェリックスの母親が気に入らないのかしら? 自分の命と引き換えにしてまで、嫌悪すること? 全く理解できないわ」
確かにヴァロン侯は、フェリックス様のお母上のことを罵倒していた。けど、結婚に賛成できない理由は、フェリックス様の出生の秘密にある。
お嬢様にとっても、フェリックス様との結婚に抵抗がある。自分から決心を言い出しておきながら、あれこれと難癖をつけ、欠点を探しているようだ。
フェリックス様もお嬢様との結婚を望んでいないし、私もお二人の結婚をお止めしたい。
婚礼の衣装を箱にしまい終え、私はフタに手を伸ばす。
「お前はフェリックスをどう思う?」
お嬢様は聞いてきた。当然の質問だ。まずは当たり障りのない所から答える。
「顔だけは申し分ないかと」
「それは私が言ったことね」
お嬢様は笑う。使い魔の鳩に託した伝言の中で、お嬢様はフェリックス様を「顔だけはいい男」と評していた。
「私の夫として、相応しい男かしら?」
人の夫としてなら、リュシアン王子よりは百倍も誠実な人だと思っている。彼は愛情で結ばれたご両親を尊敬していたし、そこから外れた振る舞いはしないだろうから。
でも、お嬢様の夫にするのは絶対にだめだ。私は答えを選ぶ。
「それはお嬢様のお気持ち次第です」
「気にせず答えていいのよ、お前たちのことは咎めないから」
「?」
お嬢様は事もなげにいう。
「お前さえいいなら、結婚後もずっと関係を続けていて構わない。こういうのは、夫婦の義務とは別物だから」
「……」
あー、これは私が少し答えをためらったせいだ。お嬢様はそれが理由で、私が答えにくいのだと思ったに違いない。
お嬢様は結婚において、夫婦の義務と恋愛感情は別だと言う。それはとても貴族らしい考え方で、「構わない」というのも本心だろうと思う。でも。
「その件については誤解があるようなのです……」
私は言いかけて口を閉ざす。お嬢様は人の話なんか聞いていない。
お嬢様はしばらくの間沈黙し、何かを考え抜いた末に、思い切るようにして言った。
「そうよ、……相手がフェリックスだから言うんじゃない。今のリュシアンでもそうよ。今日明日、お前がリュシアンの隣にいても、何とも思わない」
えっ?
手がすべった。衣装箱のフタが勢いよく閉まり、ドーンという大きな音を響かせる。
「服だけじゃないのね。箱まで、重くて大袈裟ね」
お嬢様が落ち着いて衣装箱の感想を言った。
……いやいやいや。落ち着いている場合じゃない。
お嬢様がフェリックス様に対して言うことは、まあ、想定の範囲内。でもリュシアン王子については全くの想定外。ここにきて、お嬢様はついにリュシアン王子を見限ってしまった?
……いや、違うな、そうとも限らない。
お嬢様は、威勢よく言った割には、その後は拗ねたように横を向いている。決して私と目を合わせようとしない。
私は、お嬢様はリュシアン王子と結婚するのが幸せなのだと思ってここまで来たけれど、お嬢様の気持ちは今、どこを向いているのだろう?
私は何事もなかったかのように、お嬢様に聞く。
「鍵はお持ちですか?」
高価な品物の箱には鍵穴がついている。その鍵は大抵、ヴァロン侯のご一家がお持ちで管理されている。
お嬢様は首を振った。
「いいえ、この箱の鍵を持っているのはお母様ね」
「では、いったんこの箱はお嬢様のお部屋に運ばせましょう。私が番をいたします」
「そうしてくれる?」
「はい」
無くしたり盗まれたりしては一大事だから。私がその番をするのはごく自然な成り行き。でも、この衣装箱は重すぎて私には運べない。
「運ぶ人の助けを呼んで参ります。合わせて、お部屋にお湯の準備もさせましょう」
お嬢様はご自分の服の袖を、鼻に近づける。
「私、臭う?」
「いいえ」
私は即答する。お嬢様はいつもの香水の香り。でも、今はそれが問題なのだ。
「長旅でおつかれなのではと思いまして、かえってご面倒でしょうか」
「そうね……少し気分を変えて、気晴らしをしたいわ」
「かしこまりました」
用を頼むために私はいったん客間を出る。
さて、これからどうしようか。衣装箱の番を口実に、とりあえず私はお嬢様の部屋に、お側にいられる。リュシアン王子との間に何があったのかをぜひとも聞き出さなければならない。
それと、もう一つの大事なこと。気分を変えたいお嬢様には普段と違う香りをおすすめする。あの、ネズミを引き寄せる香水ではなくて、別の香りを使っていただくのだ。
間もなく客間の入口に使用人たちが現れた。彼らは二人がかりで衣装箱を持ち上げる。
「行くわ」
お嬢様が長椅子から立ち上がる。それに続こうとすると、客間の奥の方から床を擦る音がした。
レグリスだ。黒猫が床の上で、何かを蹴って追いかけて遊んでいる。レグリスが遊んでいるのは小さくて軽い物、藁を編んだような……レグリス、あなたはそれをどこから見つけて来たの?
婚礼衣装を前にして、二十数年前と同じ、そんな物が今になって出てくるとは。
私はレグリスの元に駆け寄る。床からそれを拾い、懐にしまう。
おもちゃにしていた物を取り上げられ、猫は不満そうに走り出す。お嬢様に追いつき、先導するようにその先を進む。私も大急ぎで客間を後にした。




