第37話 まるで同じ
どうしたらいいのだろう。立ちふさがる奥様の先、長椅子にジャンヌお嬢様が座っている。窓際に背を向けたヴァロン侯。入口付近の壁に老女中のアンナ。ということは、突破すべきは目の前の奥様だけだ。
事をあせらず、でも引き下がらない。あくまで従順な女中のように、私は事態を報告する。
「お客様がお命じになったのです。訪ねる先があるから、私には先に城へ戻るようにと……」
「それで素直に従ったの?」
奥様は嘲笑する。
「あの若者は逃げたのね? もう戻って来ないつもりかしら?」
「いいえ、なるべく早く戻る、とおっしゃっていました」
「まあ、そう……そんな言葉を信じるだなんて、考えが甘いわ。賢そうに見えても、お前はまだ若いのね」
その通りだけど、余計なお世話だ。
奥様の嫌味にいちいち腹を立ててはいけない。フェリックス様の味方をしていることも悟られてはいけない。でも。
「フェリックスはお前をさぞかしいい目に合わせてくれたのでしょうね。それですっかりお前が、彼の言うことを聞くようになってしまうくらいに……」
思わず目を剥いてしまった。それは奥様の思い込み。そんな既成事実はない。ないことを、わざわざジャンヌ様の前で言わなくてもいいのに。
反抗的だと思われたくないけど、これくらいは問題ないはず。私は平身低頭、申し上げる。
「お疑いになるようなことは、何もございません」
「今さら、そんな言い逃れを?」
奥様は鼻で笑う。
「のこのことやって来て、恥ずかしげもなく、よくその顔を出せたものね」
奥様の手が私の肩を後方に押す。私が後ろに数歩下がった所で奥様が鋭く号令する。
「お下がりなさい!」
「下がらなくていいわ!」
すかさずお嬢様の声が言った。強い口調で奥様に反論してくださった……うれしくて涙が出そうになる。
奥様は不機嫌だ。手を振って合図をし、老女中のアンナを部屋から下がらせる。
出入口は十分広いのに、アンナは私のすぐ横をぶつかるように通る。それ幸いと、私は彼女と入れ替わって室内に入る。さっきまでアンナがいた場所からお嬢様に目礼し頭を下げる。だけど、まだ言葉をかけられる雰囲気でない。
奥様はますます不機嫌になった。奥様はお嬢様の隣に座る。お二人の膝が触れそうなくらいの近さから、奥様はお嬢様に言い聞かせる。
「感心しないわよ、ジャンヌ。自分の婚約者と情を通じた女中を側におくなんて」
「婚約者になる以前のことでしょう? 正式に婚約するまでの恋愛は自由、お互いにね」
お嬢様はそう言うと、奥様から少し離れて座り直す。
お嬢様が奥様の言いなりにならないのはよい傾向。だけど、状況は恐れていた通り。フェリックス様がお嬢様の婚約者になってしまっている。
数日前まではあんなに反発していたのに。恋人のリュシアン王子は、もう完全に過去の人? 私は間に合わなかった? もう、何を申し上げても無駄なのだろうか。
奥様はわざとらしく首を傾げ、お嬢様に尋ねる。
「それで終わりならいいのだけどね。子どもは、どうするの?」
「子ども?」
「そう。女中のお腹にいる子どものことよ」
奥様は繰り返す。
「主人が女中に産ませた子どもよ。どうするつもり?」
それは、ない。絶対にない。誰も見ていないけれど、私は強く首を横に振る。
奥様はありもしないことを繰り返し言っている。繰り返されるうち、それが事実のように思い込んでしまう。ジャンヌ様、どうか奥様の術中に陥らないでください。
「どうもこうもしないわよ……」
お嬢様は、確認するように私を横目で見る。私はうなずく。今度は伝わった。
お嬢様は奥様にはっきりと答えて言う。
「別に、構わない。先に生まれたなら、次は私の子の乳母をしてくれればいいわ。レアの子なら私の子も助けてくれるでしょうし、血のつながった乳兄弟なら、なお心強いわ」
……。
……頭の中が真っ白になった。そして。
「滅相もございません」
言って、私は顔を伏せ、絶句する。
お嬢様は私を信頼してあのように言ってくださったのだ。ありがたいことに。なのに、全く喜べない。
だって、全く同じなんだ。二十数年前、奥様がジョルジェット様に言ったことと、たった今、お嬢様がおっしゃったことと……。
思念の中の光景を思い起こし、私は天を仰ぐ。
あの時とまるで同じじゃないか。実際には私は妊娠していないし、子の父親が分かっているという点も違う。でも、この際それは問題じゃない。
「ならん!」
それまで沈黙していたヴァロン侯が突如として怒鳴る。少し離れた窓際に立ったまま、睨みつけるようにお嬢様の方を見ている。
お嬢様はお父上の様子を確認し、軽く肩をすくめる。いつもの癇癪くらいに思っている。
奥様が声を出して笑う。響くくらいの大笑いだ。
「私も同じことを言ったことがあるわ」
「同じ?」
「私にも頼りにする女中がいてね、子供ができてもお城にとどまってくれるよう頼んだのだけど、だめだった」
その女中というのはジョルジェット様のことだ。フェリックス様のお母上の。
「恋人が迎えに来て、彼女は城を出て行った。着ていた服とマントを城門に脱ぎ捨てて。まるで、もう戻らないと、言っているみたいだった」
奥様はじっと私を見る。私も着るこのマントを見ている。
外出用のマント。城の衣装室から借りた、誰の物でもないマント。いつもなら城に戻ってすぐに外しているのに、今回は急いでいたから、着たまま来てしまった。それが奥様の記憶を呼び覚ます。
私も、記憶の風景で見た。ジョルジェット様がこのマントを着ていたのを。奥様もそれを、今日の事のように覚えているに違いない。
「……そうして出て行った女中が、フェリックスの母親よ」
震えるような声を絞り出し、奥様は結末を言った。事情を知らない奥様はそのように理解したのだ。でも、それが真実ではない。
「へえ、そうだったの」
お嬢様にとっては初めて聞く話。用心深く耳を傾ける。
奥様は懐かしそうに目を細める。首を動かしてお嬢様の肩の向こうに、確認するようにヴァロン侯を見る。
「結婚する前、よそ者の私も、この客間に泊まっていた」
あっ、思い出した。私は手で胸元を探り、ぎゅっとマントの合わせ目をおさえる。
この東の客間の様子、どこかで見たと思ったら、思念の中で見た光景だったんだ。ヴァロン侯との結婚前日、奥様とジョルジェット様がこの部屋にいた。ベッドの上に結婚衣装を広げて……。
私は室内を見回し、ベッドの所で目を留める。気づいた瞬間、背筋が凍り付く。今日もベッドの上に、婚礼用の衣装がある。
同じだ。あの時と同じ状況を作り出して、お嬢様にも同じことを言わせた。それができるのは、昔を知る奥様しかいない。
私が奥様の策略の一部なら、お嬢様もそうだ。奥様はお嬢様の結婚のことなんか、これっぽっちも大事に思っていない。
過去の因縁とお嬢様とは関係ないはずだ。二十数年前のあの時何が起きていたのか、全てを明かして終わりにしてしまいたい。だけど何も証拠がない。思念の中で見ただなんて、誰が本気にするものか。今はまだその時ではないし、そうするにふさわしい人が、この場に来ていない。
奥様がどこへ向かおうとしているのか、分からない。
奥様は回想を続ける。明らかに、人に聞かれることを意識して話し続ける。
「全く気付かなかった。あの子は忠実な女中、私たちはずっと一緒にいたのに、呼べばいつでも現れたのに、なのに、……いつテオドールと愛し合う暇があったのかしら? 今考えても本当に不思議……」
旦那様は顔を真っ赤にし、遠くから奥様を怒鳴りつける。
「黙れ、それは今話すようなことなのか」
「話を続けてよ、聞きたいわ」
お嬢様が即座に抗議した。ご両親の間にはさまれたまま、お嬢様はお父上に言い返す。
「聞いてはいけないの? 自分の婚約者のお母上のことでしょう、知りたいと思うのは当然じゃない?」
奥様は笑いをおさえきれない様子。誰かを小馬鹿にするように、明らかに旦那様を挑発して言う。
「私、テオドールが来ていた日のことを、繰り返し思い出そうとした。あの日かしら、それともあの日かしら。二人が結ばれたのは、いつだった? それでとうとう、あの時しかないと気づいた」
奥様はヴァロン侯に向かって問いかける。どこまで本気でどこまで嘘なのか分からない。素知らぬ振りをしながら、核心に近づこうとする。
「でも、どこでどうやって? 疑い出すときりがない。他に協力者がいたんじゃないかしら、そもそも、あの子の相手は本当にテオドールだったのかしら、と……」
「やめろ、やめるんだ」
ついに旦那様が動いた。長椅子にいる奥様につかみかか……らなかった。違った、寸前で我に返った。旦那様は肩で大きく息をし、振り上げた手を下ろす。
「馬鹿馬鹿しい。お前が知る必要はないことだ」
奥様から顔を背けて、旦那様は吐き捨てる。
「妻の役割を果たせなかったくせに、生意気を言うな」
ヴァロン侯は振り返らない。そのまま奥様の前を通り過ぎ、部屋から出ていってしまった。
奥様は旦那様の出て行った方を目で追ったまま、ご自分の両手首をご自身の手でさするような動作をなさる。この仕草、前にも見たことがあるような。何かが引っ掛かる。この嫌な感じ、何だろう?
「ジャンヌ、お前も部屋に戻りなさい。未婚の娘が、いつまでも男の部屋にとどまるものではないわ」
「そうします、すぐに」
母娘はそろって長椅子から立ち上がる。お嬢様は私に目で指示をし、言う。
「お前も来て」
すかさず私はお嬢様に駆け寄る。お嬢様の服の裾のすぐそばで、膝をついて頭を下げる。
案の定、お母上は私にいい顔をしない。
「その女中はよしなさい」
「それは、私が話を聞いてから決める」
お嬢様はご自身の判断をお望みだ。
「レアからはフェリックスのことを聞くわ。彼がどういう男なのか知りたい。レア、一緒に来て」
私は一層頭を下げる。……これからだ。私が何を話すか、責任重大だ。




