第33話 指環の秘密
「本当のこと……?」
私が繰り返すと彼はにっこり笑う。彼がうれしそうにしているから、きっとそれは良い報せなのだ。そうであってほしいと私も思う。
あ、まぶしい。一瞬だけ手で目を覆う。馬車が角を曲がって急に明るい光が差し込んだのだ。
日の光が彼の姿を後ろから照らし出す。彼の表情は分からない。でも、私が彼を見ているように、彼もそうしているのが分かる。
私は彼の姿をしばらく見つめていて……それで、なぜか大胆にもこう言った。彼がそう望んでいるようでもあり、私もそうしたいと、きっと思ったからなんだ。
「ご面倒でなければ、あなた様が私に、読んで教えていただくわけにはまいりませんか? ……」
声がうわずりそうになるのを何とか整え、一息に言う。言って彼の反応を待つ。彼はすぐに答える。
「もちろん、よろこんで」
手招きされて私は少しだけ近づき、彼の手元を覗き込む。
こういう時、馬車は便利だ。馬車の進む規則正しい音が、自分の心臓の音をかき消してくれるから。胸がつまりそうな呼吸をしていても、馬車が揺れているせいにできるから。
私の肩の上のイアシントも興味津々、下を向いているのが分かる。が、ちょっと身を乗り出し過ぎじゃない? そう思った所で。
「あ」
「わっ」
気付いたフェリックス様は短く言い、イアシントは声を上げ叫ぶ。なんと、イアシントが滑って私の膝の上に落ちて来た。野ネズミはすぐに起き上がって座り直す。
「大丈夫、イアシント?」
「うん、ちょっと前のめりになり過ぎてしまった。あんただって気になるだろう?」
誤解を招くようなことを言わないで。私は別に前のめりって訳じゃないし。
気になるのは確かだけど、それは遺書に何が書いてあるかということよりも、フェリックス様がそれをどう感じているかということの方なんだから。
イアシントは前脚でせっせと顔を拭きながら言う。
「いよいよ、謎解きの結末だ」
「……」
それは、フェリックス様がこの地に来た目的の結末で、彼の旅の終着点。
私は旅の道連れで……だから当然のような顔をして彼の隣に座る。でも、それはもうすぐ終わる。最後まで悔いのない旅を。私も見届けるから。
そう思って彼を見ると目が合う。フェリックス様は私に確かめて聞く。
「大丈夫そうなら、こちらの話を続けても?」
「お願いします」
私は腰を動かして座り直す。落ち着かない。膝の上にいる野ネズミの背に手を置く。イアシントの小さな体が温かい。
改まってフェリックス様がお母上の遺書を読む。
「では。 ……『自分の死後はヴァロン領の西の尼僧院に埋葬すること。その際、『指環』を院長に渡して赦しを求めていることを伝えてほしい。』」
「指環」とは、この場合、「領主の赦し」の指環のことだ。それがあれば西の尼僧院は持ち主を受け入れてくれるから。
「……『墓碑には『あなたの忠実な女中 ジョルジェット ここに眠る』と刻み、『指環』の中の青い塗料を使って色をつけること。』 これは先ほどあなたが見てきてくれた通り」
墓碑銘の「忠実な女中」には二通りの意味が考えられて、一つはかつての主君である奥様に対する忠義。もう一つは夫であるテオドール様に、生涯女中のように仕えた事。
あれ、ちょっと待った。この遺書を代筆しているのはテオドール様だ。ということは。
「ご両親は、お二人とも指環のことをご存じだったのですね?」
「そのようです。母だけの秘密ではなかった」
そうと分かると何だかほっとした。指環の秘密は、ご両親のお二人が共有した秘密だ。
妻のために筆を動かす夫とそれを見守る妻。二人の愛情豊かに見交わす顔が見えるよう。と、思ったら、膝の上でイアシントがむくっと起き上がる。
「何だ、俺の出番か?」
「いやいや、違う、もう何も『見る』必要はないから」
「そうか」
私はイアシントを落ち着かせる。もう、誰かの思念を追う必要はないんだ。
そして私はもう一つの疑問を口に出す。
「指環の中に粉が入っていることは、誰かが言ったり聞いたりして分かったのでしょうか?」
「指環にど……薬を入れるのはよくあることだから、言われなくても気づいたでしょう。中身が何であるかも、青い色で分かったと思います」
「私は、人に言われるまで全然分かりませんでしたが……」
モリスが教えてくれなければ私は多分一生分からなかった。でも、宝飾品の細工を見慣れている人なら、すぐに分かるものなのかもしれない。
フェリックス様は微笑する。
「モリスは、奥様に指環を渡した時、中身については何も伝えなかったそうですよ。まさか領主夫人に毒を渡したと直接言うのは憚られるし」
「気づくかどうかも含めて、後のことは奥様がお決めになることだと思ったのでしょうか?」
「おそらくね。彼は問題に立ち入らないようにしたけど、後になってその判断を後悔していると言っていた」
「……」
今、モリスがフェリックス様に協力的な理由もそこにあるのかもしれない。
「で、僕の母は、遺書で指環の中身の使い道を、決めておくことにした。父もそれを承知していた。一歩間違えば僕に使われる可能性もあったわけだし、僕が今ここにいるのも奇跡みたいなものですね」
「そんな……!」
思わず手が出た。私の片手が彼の胸元、マントをつかむ。膝の上にいた野ネズミが驚いてどこかへ走り去る。私も自分にびっくりして彼の顔を見上げ、彼も不思議そうな顔をして私を見る。私は切に訴える。
「そんなふうにおっしゃらないでください」
「どうして?」
「悲しくなるからです」
私は下を向く。目の前のこの人が、自分で自分を軽んじているみたいな言い方をするのが、悲しいんだ。
「……分かった、もう言わない」
彼の言葉で私は顔を上げる。するとそこには優しい目をした彼がいる。
彼は無言で私の手元を見る。私は彼のマントから手を放して言う。
「ぜひ、そうなさってください……」
別に私は、彼に反省や譲歩を迫るつもりはなかった。なのに、……聞き入れられたみたいで、すごく変な気分だ。
彼はただ微笑む。
「続きを読みます……『もし自分の死を問うてきた人があれば『指環』を渡して伝えてほしい。その人への忠義を忘れたことは一日もなかった、と。』 ……残念ながらこれは、希望通りにならなかった」
「?」
「尼僧院長は指環を渡す相手が父のことだと思って、そうしたと言っていました。院長によれば、父はいったん断ったけれど、結局は指環を受け取って持って帰ったそうです」
私はおそるおそる確かめる。
「お母上は本当は、奥様に指環を渡したかったのだ、と?」
「そう思います。父が持って帰ってしまったので、今は僕の手元に……」
言いかけて彼は気づく。お母上の指環なら、今は私が持っているのだ。ややこしいのだけど、尼僧院に入る前に彼の指環と私の指環とを取り換えたから。
私は首元を探って指環を取り出す。揺れる馬車の中で落とさないよう、慎重に彼に渡す。
「これです。お母上の指環はここにあります。お返しします」
「……ありがとう」
フェリックス様はいったん遺書を横に置き、指環を受け取る。中の粉は墓碑に使ってしまったから、指環の中は空っぽだ。彼はじっと指環を見て、懐の守り袋にしまう。
再び彼は遺書を手に取り広げる。私を見る。
「さらに続きがあります。母に言われたのではなく父が自分で書いたもので、……」
私はうなずいて先を促す。彼は遺書に目を落とす。彼は静かに読み上げ、私は彼の声に耳を傾ける。
「……『愛する妻の望みが叶えられるように、私はいつでも必要な手助けを惜しみません。私は確かに妻を愛し、息子を愛し、彼女が私に家族を与えてくれたことを感謝しています。私は幸せでした。』 ……この下、に父の身分……と……署名、と、がありま……す……」
最後の方は涙声で途切れ途切れになり、私も自分が泣いてしまってよく聞こえなかった。
「ありがとう、レア、一緒に聞いてくれて……」
そうして私は、あっという間に彼の腕の中。
……強く抱かれてるわけじゃないのに、息がつまりそうだ。私の役割がずっとじゃないのは分かってる。でも。私は頬を彼の胸に寄せる。もう少しだけ、このままでいさせて……。
馬車が大きく揺れた。目的地に着いて、止まったのだ。続いて扉が開き、シャーズが顔を出した。
「着いた」
その一言をきっかけに、イアシントが戻って来て私の肩に登る。
「ありがとう、シャーズ」
フェリックス様はゆっくりと私から離れる。突如、彼はあっ、と叫んだ。
「そうだ、あなたの指環」
彼は懐からもう一つの領主の赦しの指環を取り出す。尼僧院に入る所で交換した、私の指環だ。それを私に返そうとして、ふと気づいたように彼は聞く。
「あなたの指環にも青い中身が?」
「はい。モリスは入ってると言ってましたけど……」
「確かめた?」
「いいえ」
私は何でそんなことを聞かれるのか分からない。すると彼は目を大きく見開いて私に言う。何かを期待している表情。
「今、僕が確かめても?」
「構いませんが……」
私が見ている前で彼は指環のフタに手をかける。私も息を呑んで見守る。すると、ほっとしたように彼は指でつまんだ指環を左右に振る。
「何も入ってない」
「えっ?!」
まさか、そんなはずは。
私は大急ぎで指環を受け取り、自分でも確かめる。何度もフタを開けたり閉めたり、細工を回してみたり。何か出てこないかと思いっきり振って、それでも何も起こらない。じっと鈍い銀色に輝く指環の空洞を見つめる。
「本当に、……でも、どうして?」
モリスが私に嘘をついた? 信じられない。彼が嘘を言うなんて、あり得ない。ところが。
フェリックス様は破顔一笑、私を短く強く抱きしめる。
「やっぱりモリスだ。彼は今度こそ、後悔したくなかったんだ」
「どういうことでしょう?」
「直接確かめたらいい、あなたから」
フェリックス様は勢いよく馬車から飛び降りる。私も慌てて後を追いかけ、馬車を出ようとする。すると、先に降りた彼が手を差し出して待ち構えていた。




