第30話 青の墓碑銘(5)
奥様は自分の子と、ジョルジェット様の子を結婚させない、と叫んだ。もともとの約束はヴァロン侯の子とテオドール様の子を結婚させるということだったはず。でも今その約束は、未来の奥様の子と、すでにお腹の中にいる女中の子との結婚を意味している。
そして奥様以外の三人は、奥様が望むか望まないかにかかわらず、決して二人の子ども同士を結婚させてはいけないと知っている。それは感情も体裁も関係ない。もっと原始的な理由、父親の同じ子らの婚姻を避けるためだ。
ジョルジェット様が落ちていた短剣の鞘を拾い、テオドール様に渡す。彼は受け取り、短剣を鞘に納める。二人は一瞬だけ目を合わせる。二人はお互いの身体には触れないよう、慎重を期している。
テオドール様はまっすぐに若様と向き合い、魔法の短剣を手渡して言う。
「分かった……クラリスの言う通りにしよう。でも君も代わりに誓ってくれ。生まれてくる子は僕たちの子だと、間違いなくそうだと認めると」
「そんなことを、わざわざ誓うのか……?」
若様は声を上げて笑う。手の中の短剣を面白そうに揺らす。
テオドール様はジョルジェット様を振り返って言う。
「すまない、こんな形でしか、……あなたまで、クラリスに嫌われてしまった……」
ジョルジェット様が頭を横に振る。
「いいえ、あなた様はクラリス様と、この城の名誉とを守ってくださいました」
「名誉? そんなもの……」
テオドール様の悲痛な声。若様は冷笑した。
「お前たちが始めた茶番だ。最後まで付き合ってやる、完璧にやってやるぞ。そうだ、お前たちをこの城で結婚させてやろう。そうしたら誰も、お前たちを認めないわけにはいかなくなるだろう。おいモリス!」
若様はモリスに向かって言い付ける。
「城の司祭を呼んで来い。礼拝堂でそこの二人の結婚式を挙げる。準備させろ。今すぐだ!」
モリスは一礼して去る。若様は短剣を鞘から引き抜くと、何かを呪文のようにつぶやく。短剣の刀身がいったん光を失い、再び光り出す。
「ほら、私の分は撤回した。そしてお前の言う通りに新たな誓いを立てた。次はお前の番だ」
若様は放り投げるようにして短剣をテオドール様に渡す。
テオドール様が下を向いて手の中の短剣を見つめる。その背後から控えめにジョルジェット様が言った。
「出来ないことはできないと、お断りになったらいいのです」
「出来ないことじゃない」
「結婚しなくとも、父親は父親です」
「でも、僕は結婚したくなった。あなたと。……いけませんか?」
彼は振り返ってジョルジェット様を見る。ジョルジェット様は絶句する。少し考え、彼から目をそらして言う。
「あなたが私によくしてくださるのは、全てクラリス様のためです」
それは自分に言い聞かせるようでもあり、他の誰かに言い聞かせているようでもあり。その言葉ではっとしたように、テオドール様は彼女を見る。自分が示した情、男女の情愛ではないけれど、それが受け入れられないと、拒絶された。
想いを寄せられてそれに応えられない辛さ。逆に自分の想いがかなわないと知る辛さ。女性と距離をおくのはいつもテオドール様の方からだった。今その逆に、女性の方が彼を突き放した。彼が初めて特別な感情を抱いたかもしれない女性に、近づくことができない。できるかもしれないけれど、そうしてはいけないと、二人の間で暗黙の了解がなされてしまった。
二人の様子を見ていた若様は、友人を罵って言う。若様も今更後には引けない。虚勢を張り悪態をつくのは、どうしようもできない事態への苛立ちだ。
「見上げた夫婦愛、結構なことだ。いいかテオドール、お前は城の女中を、お前の勝手な都合で城から連れ出すんだ、今までの友情に免じて、連れ去りの補償金を要求しないでやるのが、せめてもの情けと思え。おい女中、お前もだ、聞け」
若様は今度はジョルジェット様に怒鳴りつける。
「お前は奉公を途中で投げ出した。逃亡者だ。城を出てその後は、二度と生きて領内に戻れると思うなよ。城の物を持ち出すことも許さない……」
ジョルジェット様は悲しんでうつむき、テオドール様は憤って若様を睨む。たちまち険悪な雰囲気になる。
そこに再びモリスが現れ、さりげなく男二人を引き離した。
「礼拝堂にご準備が整いました、若様、テオドール様、いつでも始められます……」
テオドール様は手元の短剣を懐にしまう。この時彼は古い誓約をまだ取り消していない。そうする時間がなかったからだ。
魔法の短剣は確かにテオドール様の手に。しかし、彼が既にあった誓約を撤回し、新たな誓約をするのはこの後のことだ。
城の礼拝堂では司祭と、新郎新婦だけの結婚式。モリスと、私の知らない年老いた庭番が証人で、それ以外の参列者はない。
「私はあなたのものです……」
「あなたは私のものです……」
囁くような誓いの言葉が、遠く堂内の壁に響き渡る。ジョルジェット様は声を殺して泣いている。
新郎は結婚証明書に筆をとってサインをし、新婦は筆を断る。代わりに聖水を指にとって印とする。
夜明けとともに二人は城を出る。
城門の手前で、ジョルジェット様は自分の衣服を脱いで置く。服が支給された借り物だったので、出発の時に城の物を持ち出さないよう命じられたからだ。
テオドール様がびっくりして下着一枚になった彼女に、自分の青色のマントを着せ掛ける。そして彼女に約束する。
「……この代わりに、僕からあなたに衣装を贈ります、生涯、二度とこんな辱めを受けることがないように……」
いつのまにか足元に黒猫がいる。まだ若い黒猫。猫は二人の足元をぐるぐると歩き回ってから二人を先導するように城門を出る。そこで立ち止まって外を見つめる。
見送りの人はなく、二人を乗せた馬車はゆっくりと出発する。
……そうだ、全ては真実だったんだ。私は頭を抱えて座り込む。『真実の誓い』の魔法の短剣、食い違っていた証言。でも誰も嘘を言っていなかった。それぞれの知り得た事実を語っていただけだ。フェリックス様の推論は正しかった。
それに、「二度と生きて領内に戻るな」と、若き日のヴァロン侯はジョルジェット様に言った。だから彼女はその言葉に逆らわず、死後に戻って来たのだ。
死後に目指した場所はどこ? 『領主の赦し』を持つ者を受け入れる場所、西の尼僧院だ。
なぜ戻って来た? 帰って来なければならなかったのだ。
「あなたは必ず帰って来て」と奥様は言った。その言葉を違えなかった。城を離れても変わらず、クラリス奥様の忠実な女中であることを示すために。
テオドール様も、死後の妻の望みをかなえた。それは夫妻が二人で果たさなければならないことだったから。
フェリックス様は言っていた。父は母にたくさんの美しい衣装を贈ったのに、母はそれに全く袖を通さなかった、と。
テオドール様は城を出た時の約束を守った。言葉の通り、妻に美しい衣装を贈り続けた。でも彼女は、自分が着るべき服ではないと、受け入れなかった。
夫となった人の家族に対する愛情には感謝しても、女性や妻としては過度にそれを受け取らないように避けていたんだ。貴族の服装を避け、常に一段低い場所に控えて女中のように仕え、お互いに距離を保って触れないようにしていた。
もともとテオドール様が女性に触れないという事情はあった。でも、それ以上に、お互いの立場を貫き通すための象徴的な距離でもあったんだ。
息子への愛情は豊かに、でも夫婦間は距離をとる。この奇妙な結婚生活にフェリックス様は気づく。
フェリックス様の言葉によれば、お父上は多くを語らず、すべてを決めず、後のことは息子に任せると言ってこの世を去ったそうだ。彼は残された手がかりからヴァロン城にたどりつく。それが彼の選んだ方法だった。
テオドール様の息子の登場は、葬り去ったはずの過去がまさに姿形となって現れたよう。ヴァロン侯はさぞ動揺しただろう。でも彼はすぐに奪われた息子を利用することを思いつき、当人に拒絶される。相手は自分が期待した従順な子供ではなかった。
その父のテオドール様も自由な男だったのだ。いつでも好きな時に他人の城を訪れる。それまで結婚する気がなかったくせに、突然思い立って結婚してしまう。
追い詰められたヴァロン侯は友人を罵倒した。それは友人の自由な行動を愛し、同時に彼を憎んでいたからだ。
奥様は一見フェリックス様を手助けしたようで、それだけでない。彼の行動は妨げず、でも監視を続けている。
奥様も本当は、知りたいのじゃないだろうか。何も言わずに去って行った二人のことを。そのうちの一人は無言のまま帰って来た。かつて奥様が言って聞かせた場所、西の尼僧院に。奥様の言いつけを忠実に守って。
だから奥様はきっと待っているんだ。自分が知り得なかった事実を、彼が代わって突き止めるのを。
そうして今この場所で、フェリックス様はすべてを知る。知って、それで、彼はどうするのだろう。親の世代の、こんがらがってしまった友情の糸を解きほぐしたいと思うのだろうか?
ご両親を亡くし、この場所には彼の味方はなく、彼は一人でやって来た。答えを見つけた彼はこの先も一人で、彼の道を探して?
「いいえ、私は一人で来たのではありません」
……ん? おかしい。今確かに、フェリックス様の声がした。空耳かな。違う、声だけじゃない、姿も見える。さっき尼僧院の門をくぐる前に別れた時の彼の姿、そのままだ。
彼が誰かを想って語る、穏やかな声、優しいまなざし。彼の一番美しい表情だ。その彼は机を挟んで向かい合って人と話している。話の相手はこの尼僧院の院長だろうか。
フェリックス様は言う。
「彼女の助けがあったから、私はここまで来ることができたのです」
「それはお気の毒です。その女ならばすでに、この場所で幽霊となっていることでしょう」
「幽霊……?!」
椅子がガタンと大きな音を立てる。フェリックス様が勢いよく立ち上がったのだ。
幽霊? それって、私のこと?




