第29話 青の墓碑銘(4)
若様がジョルジェット様を指さす、その手がぶるぶると震えている。
「お前の腹に子供がいる、だから、奥方に子ができないのだ!」
「そんなことはありません」
壁を背に、ジョルジェット様は首を横に振る。
「その子供、殺してしまえ。そうすれば、城には跡継ぎが……」
若様がジョルジェット様に近づく。お腹を蹴りつけようと足を上げたところで、テオドール様が後ろから止めた。ジョルジェット様は壁側から逃れる。
「やめろ!」
「邪魔するなテオドール、放せ。その子供を、今すぐここで、なかったことにするんだ……」
「よせ、だめだ」
男二人が力任せに押し合う。二人が組み合ったまま後ろ向きに下がり、壁近くにあった燭台を倒した。大きな音が辺りに響き渡る。二人はお互いをつかんでいた腕を放す。
テオドール様が廊下の遠くに向かって叫ぶ。
「誰か! 人を呼んでくれ、城の家令を!」
声を聞いてすぐに使用人が現れる。が、その顔は、城の若様とその友人のただならぬ様子に呆然とし、驚いて立ちすくむ。
「誰も呼ぶな!」
若様は恐ろしい声で使用人に命じ、睨みつける。呼べと言われたり、呼ぶなと言われたり、使用人は困惑する。
そこにジョルジェット様がささやくように言った。
「お願い、モリスを呼んで来て」
その一言に使用人は頷き、廊下の向こうに走り去る。それを見て若様はますます怒り狂う。ものすごい形相でジョルジェット様を睨みつける。
若様の目は完全に狂気じみている。ジョルジェット様やテオドール様はその理由を知らない。でも、私は分かる、今に至るまでを……ずっと見てきたから。きっとこういうことだ。
代々の城主の『儀式』によって、若様は自分の跡継ぎを得られると信じた。が、奥様との間には子が出来ず、代わりに一夜限りの関係を持った女中との間に子供ができてしまった。それが儀式で多大な代償を払ってまで得た子、しかも自分の過ちのせいで出来た子。
城の後継者として失敗はゆるされない。過ちの子供はなかったことにしなければならない。そうすれば、本来そうあるべき妻との間に子供を授かるはずだ……と。
でもこれは完全に狂った考え方だ。城の亡霊たちが若様を狂わせている……。
若様は執拗にジョルジェット様を狙い、つかみかかろうとする。テオドール様が止めに入り、若様は友人に向かって怒鳴る。
「お前に何が分かる? 一族の末子で、何の責任もなく、結婚もせず、遊び歩いているだけのお前に?!」
「そうだ、僕には分からない。だから僕は君を止める」
「余計な事をするな。父親のない城の子を、どうしようとわたしの勝手だろう」
「父親がないから? それだけの理由なのか?」
「そうだ。お前には関係ないことだ。失せろ」
「じゃあ、それなら、……」
テオドール様が大きく息を吸い込み、確認するようにジョルジェット様の顔を見る。二人の目が合う。ついさっき、テオドール様が言っていた言葉が思い出される。それはだめだと、ジョルジェット様は大きく首を横に振る。彼女に対してテオドール様も目で答え、でも思い切ったようにそれを言ってしまう。
「僕が父親だ。お腹の子は僕の子だ。それなら文句はないだろう?」
……言ってしまった。ジョルジェット様は大きく目を見開き天を仰ぐ。気まぐれな貴族の冗談と思っていたのに、本気で言ったことになってしまった。
テオドール様の真剣な様子に若様は一瞬硬直する。しかし、すぐ思い出したように、せせら笑って言った。
「馬鹿な、笑わせるな。お前に子供なんか、いるはずないだろう」
「そんなことはない。そうしてみせる……」
この時、テオドール様は何かを決心したのだ。それはジョルジェット様にも伝わった。
暴力の応酬がまだまだ続くかと思われた次の瞬間、思いがけない声が割り込んだ。
「どうしたの二人とも、喧嘩ならやめてよ!」
奥様だった。息せき切って奥様が争いの現場に駆け付けたのだ。手には護身用の短剣とおぼしき物まで握りしめている。
若様もテオドール様も、ジョルジェット様も、驚いて動きを止め、突然現れた奥様を見つめる。
今の話を聞かれてしまったのか。若様が苦々しい表情を奥様に向ける。若様としても、喧嘩の理由やテオドール様の秘密について、奥様に聞かせるのは本意でなかったのだ。
「聞いたのか、クラリス。どこまで聞いたんだ?!」
「喧嘩だっていうから、慌てて来たのよ」
奥様はとぼけているのではなく、本当に聞いていなかったのだ。それが分かると若様は再び高笑いし言い放つ。
「聞け、クラリス、そこの女中の腹の子、テオドールが父親だとよ」
「え?」
奥様は何を聞いたのか分からないという表情。
「よくわからなかった。もう一度、言ってくれる?」
若様は自分で言わず、友人をけしかける。
「テオドール、言ってやれ、お前から。もし違うというのなら……」
「テオドール?」
奥様は首を傾げてテオドール様を見つめる。見られてテオドール様には苦渋の表情が浮かぶ。
どう答えても誰かを苦しめる。違うと言えば、若様がお腹の子を殺してしまう。いや、お腹の子だけにとどまらず……。
テオドール様の逡巡。答えを待つ奥様のまなざし。冷笑する若様。三者を見つめ、ジョルジェット様は押し殺した声で言う。
「テオドール様、お願いでございます、お助けください……!」
その一言が運命を後押しした。テオドール様は静かに宣言する。
「ジョルジェットのお腹の子供は、僕たちの子なんだ……」
テオドール様の声はとても落ち着いている。それまで気を張っていたジョルジェット様が壁に寄りかかる。奥様は顔色を失い床に座り込む。
「嘘でしょう、信じない。ねえ、ジョルジェット、本当に、本当にそうなの?」
「間違いありません……」
聞かれればジョルジェット様もそう答える。言ってしまったことに、もう後戻りはできない。
奥様はがっくりとうなだれる。
「そうなの、そうだったの、お前だけはいつまでも私の味方だと思っていたのに、私だけが知らなかったんだわ……」
奥様はうつむいて肩を震わせ、手にしていた短剣を取り落とす。ごとっ、鞘の重い音がして短剣が床に落ちる。落ちたのが『真実の誓い』の短剣だったことに、一同は気づく。
『真実の誓い』の短剣は若様とテオドール様の友情の証。奥様もその友情の実現を心待ちにしていた。親友二人の喧嘩と聞いた時、奥様は何かの役に立てばと、それを持ち出したのだ。しかし、現実はもう、元の鞘には戻らない。
重苦しい沈黙が辺りを押しつぶす。
テオドール様も、ジョルジェット様も、初めからこんなつもりじゃなかったんだ。二人とも奥様が大事で、奥様を傷つけたいとは全く思っていなかったんだ。でも、二人は奥様を深く絶望の淵に落としてしまった。
テオドール様は当初、父親になるはずのない自分が、そうなってみたいというくらいの軽い気持ちだった。ジョルジェット様も、子供の心配よりも、子供を産めば乳母になれるから、その後は奥様のもとに帰ることを第一に考えていたに違いないんだ。
でも、テオドール様は後先を考えず、本気で母子のことを心配してしまった。これまで何の責任も感じていなかった彼が、初めて自分で何かを背負う決心をした瞬間だったんだ。
そしてジョルジェット様も考えを変える。お腹の子は女中の落ち度ではない。女主人は許してくれるかもしれないけれど、周囲は違う。たった一つの醜聞をよろこび、正妻を軽んじるようになってしまう。奥様を守るには、今のうちにこの城を去って戻って来ないこと、それが最良の方法だと。
そうして、たまたま奥様の想い人だった彼が、奥様の忠実な女中に助けの手を差し伸べた。もしそれがテオドール様でなかったなら、こうはならなかったのに。でも、彼以外の誰に、それができただろう?
床の上の奥様が、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「嫌よ、絶対に嫌……」
しばらくして奥様は気を取り直したように立ち上がる。憤怒の表情で女中を睨みつける。
「お前、お前は赦さない……」
奥様の迫力に気圧され、その場の三人はただ黙って奥様の次の挙動を見守る。
「誰が、私の子とお前の子を結婚させるものか。死んだって、絶対にそうさせないから……!」
奥様が『真実の誓い』の短剣を拾い、鞘から引き抜く。煌めく刀身の先をジョルジェット様に向け、襲い掛かる。あっという間のことだった。
さすがにこれには男たちも驚いた。
ジョルジェット様は目を閉じ、奥様の短剣から逃げようとしない。あわやというところで若様が奥様をとりおさえ、その手から短剣を叩き落とす。それをテオドール様が拾う。
奥様が若様の腕の中でもがきながら言う。
「そうよ、そうやっていつも私をのけ者にして、私が何も知らない女だと思ってみんな裏でさんざん馬鹿にして笑っているんだわ……」
奥様は逃れようと激しく抵抗し、それがだんだんとおとなしくなり、すっかり静かになって、力なく下を向く。
走って近づいてくる複数人の足音が聞こえる。たった今、家令のモリスが数人の使用人を引き連れ、到着した。
「部屋に連れていけ」
若様は奥様の身柄を使用人たちに引き渡そうとし、奥様がそれを制して鋭く叫ぶ。
「触らないで! 私を誰だと思っているの? 城の奥方よ、お前たちが気安く触る相手じゃないわ」
使用人は躊躇し手を止める。奥様は落ち着き払って言う。
「私なら一人で歩けます。助けはいりません。行けと言うなら行きましょう」
使用人たちを前と後ろに従え、奥様はすたすたと歩く。後ろは見ない。
使用人たちの中でモリスはこの場に残った。少し離れた場所で目立たないように、用を言いつかるのを待っている。
旦那様がテオドール様の手に残った短剣を見て言う。
「聞いたな、今の話」
「……?」
「クラリスが私とお前の子を結婚させない、と望んだ」
「ああ、そうだな」
「『真実の誓い』は取り消そう」
「……」
テオドール様は手元の短剣を見つめる。




