第28話 青の墓碑銘(3)
思い出の風景の中でも季節はめぐる。外の景色に見える新緑がまぶしい。
若き日の奥様と旦那様の結婚式は、秋の終わりだった。今は初夏に時間が進んでいるようだ。
私はずっとジョルジェット様の思念を追ってきている。出来事の連続は、どれも衝撃的で感情を揺さぶられる。なのにこの世界はとても静かで澄み切っている。思念の持ち主にとっては、ただ過去の事として、淡々と話が進む。
フェリックス様は思念に捕らわれることを懸念していた。けれど、彼女の想いには強さはあるけれど、それは執念じゃないんだ。感じるのは、ただ……伝える、隠さずに伝える。あなたにゆだねる。話の先にあるものまで、あなたに託す。そういった感情。苦しみの連鎖に引き込むのではなく、希望を信じている、……と。
私はジョルジェット様を直接知らないけれど、フェリックス様が私と彼女との間をつないだ。この思念の旅を終えたなら、今度は私がフェリックス様と彼女との間をつなぐのだろう。もしかしたら想いを届ける相手はフェリックス様だけではないかもしれない。
過去を知ることは未来への道しるべ。塀の外に、道を照らす光を待っている人がいる。私は光を見つけて持って帰る。
私の意識は再び目の前の情景と向き合う。
今度の場所は城の上層階にある奥様の居室、そこに若き日の奥様とジョルジェット様がいる。
奥様の左手には結婚の証の指環、お衣装はずいぶんと薄く軽やかになって、ほっそりとした真っ直ぐな身体の線が見て分かる。
それに比べると女中の衣服というのは色も布地も重苦しい。形も身体に沿っているとは言い難い。そんな中でもジョルジェット様の体形が少し気になる。
でも、まだ気づく人であれば気づくという程度。お腹のあたりがやや丸みを帯びているよう。それは裕福な人のように太っている訳ではなく、女性特有の理由で……。
「お前、私に言う事があるんじゃなくて?」
奥様に静かな声で問われ、女中は観念したようにその足元にひれ伏す。
「申し訳ございません。私の不始末で、私はお城を出なければならなくなりました」
城を追放されるのは、結婚相手のない子を妊娠した時の、お城の決まりだから。ジョルジェット様はその決まりに従おうとしている。
「お城の決まりなんですってね。私も人に聞いた」
奥様は女中を叱責しない。それどころか、驚く女中の手をとって助け起こし、椅子に座らせる。
「でも、お前は必ず戻って来て」
奥様はにっこりと微笑んで女中の手の上に何かを乗せる。それは、……例の、『領主の赦し』の指環だ。
ジョルジェット様は怪訝な顔でたずねる。
「これは、何でございますか?」
「恩赦の印なんですって。女中を呼び戻す方法がないか、この城の家令に聞いたら、この方法があるとね……」
奥様がジョルジェット様に説明した内容は、私が家令のモリスから聞いた話と同じ。出産は西の尼僧院が助けてくれる。実際にはとんでもない仕組みだけど。そして、指環があればまた城に戻って来られる。
でも、奥様は指環の中の毒については言わなかった。家令から聞かなかったのか、聞いたけどあえて女中には教えないのか、それは分からない。
奥様は女中に言う。
「お腹の子が誰の子でも構わない。戻って来て私の子の乳母をしてね。そうしたらお前の子と私の子は兄弟だわ」
兄弟、という言葉に反応してジョルジェット様はぎょっとしたように奥様を見る。お腹の子の父親は、奥様の夫。不義の子と秘密にしていたはずが、もしかして既にご存じだった……?
しかし、この心配は単なる心配で終わった。奥様が微笑んだままで言葉を続けたからだ。
「お前の子と私の子は乳兄弟になるの、素敵でしょう?」
なんだ、兄弟は兄弟でも乳兄弟か。もしジョルジェット様が、これから産まれるかもしれない奥様の子の乳母をしたならば、そういうことになる。
ジョルジェット様が心底ほっとした表情を浮かべる。椅子から降り、あらためて跪く。床に頭をこすりつけるようにして奥様の靴先にひれ伏す。
「ご厚恩に感謝いたします……何があっても私はあなた様に忠義を尽くします」
言う声が涙声になっている。結婚して子供を望むはずの奥様にはまだその兆候がなく、先に自分の方が子を妊娠してしまった。しかも父親が誰なのかは打ち明けることができない。奥様も知らず、誰だか聞かず、女中にいたわりの言葉をかける。
こうして、モリスが奥様に渡した指環はジョルジェット様に渡ったのだ。モリスの知らない所で、奥様が女中を助けたいと思う一心で。
鳥の羽ばたきの音がする。窓からカラスが入って来てテーブルの上に乗る。涙に暮れていたジョルジェット様が素早く立ち上がり、カラスを追い払おうとする。すると奥様がそれを止めた。
「待って、好きにさせておいてちょうだい、……このカラスは私の使い魔なの」
「使い魔?」
ジョルジェット様が驚く。自然な反応だ。そういえば私も、このカラスが奥様の使い魔だと聞いた時には驚いた。
「結婚した少し後のことよ……、何となく目が合って、私に懐いちゃったの。私、動物は好きじゃないんだけど、このカラスだけは別ね」
奥様は立ち上がって自分で水差しを取りに行く。ジョルジェット様が手伝おうとするのを手で制し、自分の手で水を深皿に移す。カラスは喜んで水を飲む。
「このカラスは頭がよくて、忠実で……いろんな所を好きに飛んで、見てきたことを教えてくれる」
カラスは水を飲み終えると、テーブルの上をちょんちょんと飛ぶように歩き、奥様に近寄る。目と口とを大きく開いて、まるで奥様に向かって話をしているかのよう。でも本当に話しているのかどうかは分からない。使い魔の声は主人である奥様にしか聞こえないから。
しばらく奥様とカラスとの会話が続き、ジョルジェット様は黙ってそれを見守る。途中、カラスからの報告を、奥様はうれしそうにジョルジェット様にも伝える。
「街道をテオドールの馬車が向かってきているのを見たんですって。もうすぐ城に着くわね。ロランの誕生日が近いから、そのお祝いかしら? あの人はいつもぎりぎりにやって来るから、本当にびっくりね。ありがとう、もう行ってちょうだい、私の代わりに、色んな所へね……」
最後の方の言葉は、カラスに向かって言った。城での生活が、奥様には窮屈なのかもしれなかった。
カラスは窓枠の所まで足で跳ねて歩き、窓に飛び乗るとそこから飛び去る。飛び立った使い魔を見送って奥様は文机に向かう。読書の時間だ。
ジョルジェット様は一礼して部屋を出る。
部屋を出た後まっすぐに向かった先は城の衣裳部屋。ジョルジェット様はそこで旅装用のマントと靴を借り、さらに城門の方に向かう。
ジョルジェット様の格好を見て私はどきりとする。私が今着ているマントと同じなのだ。偶然? いいえ、たぶんジョルジェット様と私は体格が似ていて、同じマントを選んで借りた、ただそれだけ。
「ジョルジェット、あなた、奥方様の侍女のジョルジェットでしょう?」
城門の手前で、たった今到着したらしいテオドール様が彼女を見つけて声をかける。声をかけずにはいられないくらい、ジョルジェット様が思い詰めた表情をしていたからだ。
呼び止められてジョルジェット様ははっと我に返った。
「ご無事のお越しで何よりでございます……お待ち申し上げておりました」
形式通りの挨拶には目もくれず、テオドール様はマントの下の、彼女の体形の変化に気づく。そして、明らかに思ったのとは逆のことを言う。
「あなたも今、帰って来た所ですか? では一緒に城に入りましょう」
ジョルジェット様の返答より早く、テオドールは彼女を促し、二人は歩き出す。傍目には女中が客人を案内しているように見える。
テオドール様は小声で言う。
「お腹の子の父親は、もしかして僕たちがよく知っているあの人?」
「……」
ジョルジェット様が否定しないので、それは無言の肯定だと理解された。
「この城の子として育てるつもり?」
「難しいかもしれません」
「では僕が、親代わりに」
さすがにこれには驚いた。ジョルジェット様はびっくりしてテオドール様を凝視する。
「本気ですか?」
「僕は男女の普通の結婚は望まないし、生涯父親になることはないとあきらめていた。けれど、もしあなたが許してくれるなら」
「正気でおっしゃっているとは思えません」
「考えてもごらんなさい、もし僕が父親になったら、その子を連れてこの城に遊びにきますよ。そうしたらあなたも子供の成長を見られるわけだし、悪くないでしょう?」
「母親なしで、子供が育ちますか?」
「世の中には、よい養母はいても、よい養父はいないと思われているらしい。不公平ですね」
「……突拍子もない考えで、なんとお答えしたらいいか分かりません」
「では、見込みがないわけではないんですね?」
ジョルジェット様は言葉につまる。テオドール様が微笑みかける。
「僕では不満?」
「いいえ、そういうことでは……」
「じゃあ、考えておいてください、時間をおいてあらためて聞きますから」
そしてテオドール様は突然自分で自分を笑い出す。
「どうなさったんですか?」
「いや、こうやって女性を口説くんだなと思ったらなんだかおかしくて。もちろん、本当に女性を口説こうと思ったことはないですが……」
それは彼が女性を愛せないからだ。
「テオドール」
「やあ、ロラン。思ったより早く着いた」
向こう側から若様が歩いてくるのが見える。若様はお供の従者を下がらせ、自分一人が友人に近づく。
ジョルジェット様は顔を隠すようにして横に向く。しかし彼女の存在自体が若様の注意を引いた。
「お前が女連れとは珍しいな……違った。城の女中か……待て、お前は確か……」
テオドール様が止めるより若様が一瞬早かった。若様はいきなりジョルジェット様を突き飛ばし、壁に叩きつける。
「分かったぞ、お前、お前のせいだな……」




