第23話 その道でなく
フェリックス様は確かめるのが先だと言い、ヴァロン侯は後だと言う。『魔法の短剣』の誓約がある限り、その秘密を誰も明言してはならない。
……これって、遠回しに……。
ヴァロン侯は、フェリックス様とジャンヌ様は「結婚できない」と言った。もし私の考えが正しければ、二人は絶対に結婚してはいけないんだ。だって二人は、血が近すぎるから。
……いやいや、まさか、そんな。
浮かんだ考えを無理やり抑え込んでいると、別の声が割って入った。
「おい、なんだかすごくやばい話になってるが、大丈夫か?」
イアシントだ。いつの間にマントから出てきたのか、野ネズミは私の肩に乗り、耳元でひそひそと囁く。フェリックス様は少し離れて横を向く。私たちが話し合いをしている間、待っていてくれるらしい。
フェリックス様との話をやめると、とたんに馬車が不規則に揺れ続けるのを感じる。走る車は意外に大きな音がしていることに気づく。
「やばい、って、何?」
私が聞き返すと、イアシントがただならぬ様子で言う。
「ヴァロン侯からもちかけられたのは、血を捧げる子授けの儀式だぞ? まさか、ただ血を流すだけ、だと思ってるんじゃないだろうな?」
「?」
思いがけないことを聞かれた。私は血の繋がりのことばかり考えていたけれど、野ネズミは先祖の霊に血を捧げる、という説明を気にしたらしい。
イアシントは矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「血を流すにはどうする? 剣が必要だ」
「そうね」
「剣を持っているのは誰だ? 男だ」
まあ、象徴的にそういう例えもあるかもしれない。
「子を授かるのに必要な行為はなんだ?」
「それは……」
それは、男と女のことならば、あれだけど。
私がはっきり言わないでいると、イアシントが大真面目な顔で続きを言う。
「当主が持っている剣をもって血を流し、次の世代に伝承するんだ。城主と後継者が二人、聖なる禁域にこもって……」
野ネズミは言いながら、自分の頭を両手で抱えてぶるぶると大きく震える。語られてない部分を自分の妄想で補い、自分で言った事に呆然自失として絶句しているおかしなネズミ。そういう性格なんだろうけど、心配だ。
横から声がかかった。
「考えすぎだ、聖堂ネズミ」
あきれたようにフェリックス様が言う。野ネズミは声の主に向き直る。
「あんた……、あんたはそう考えなかったのか?」
「考えた。考えたけど……考えてやめた」
フェリックス様は肩をすくめる。彼の肩の向こうで、平穏な牧草地の風景が車窓を流れる。
「ヴァロン侯は、自分はそうした、と言っていたけど、僕はそうするつもりはないから、関係のないことだ」
そう言って彼は、相手を納得させるように、ゆっくりと首を動かしてうなずく。
でも、と彼は付け加える。
「あの時のヴァロン侯はちょっと異常だった。意味がないと分かっている儀式を強要するのもそうだが……、」
ヴァロン侯が息子を授かることを期待しながら、そうならなかった。だから、「意味のない儀式」。でも、意味はあったと、ヴァロン侯本人だけは知っているのかもしれない。公式にはお子はジャンヌ様お一人。
「ヴァロン侯は継承に強くこだわっている。血の継承、因習の継承……」
フェリックス様の言葉にイアシントは小さく二回うなずく。
「若い頃のヴァロン侯を見たことがあるぞ。儀礼で聖堂に来たときで……奴は先代に従う素直で真面目な青年だった。ヴァロン家はずっと男系相続だったし、何がなんでもその伝統を継承せねばという強迫観念があるんじゃないのか?」
フェリックス様は皮肉で応じる。
「素直で真面目が年をとり、服従を求める支配者になったか。先祖代々の執念に憑りつかれ、それを自分の意志と受け継ぐ従順さは残したままで?」
「そこに奴の闇がある。心に近づき過ぎれば捕らわれると言ったのは、誰だ?」
「僕だ。お前は正しい、聖堂ネズミ」
フェリックス様はイアシントに同意する。話は打ち切ったが、まだ考え続けている様子。
「で、あんたは、」
イアシントはフェリックス様に聞いた。
「結局どうしたんだ? ヴァロン侯の提案に乗ったのか?」
「いや。拒否した。答えたのは翌日だけど」
その日、単に提示した、拒否した、という以上の論争があったのを私も知っている。
フェリックス様の答えにイアシントは胸をなでおろし、余計なことを付け加えて言った。
「そうか。それならよかった。あんた、誘われて断るのは、場数を踏んでそうだもんな」
この一言にフェリックス様は目を大きく見開き、言葉を詰まらせる。横目で一瞬だけ私を見る。
ん? もしかして、この人に会った最初の夜も、私が誘って彼が断った、そういうことだった?
私は話題を変えフェリックス様に話しかける。
「あなた様を追い出すのをやめて城主にしようだなんて……ヴァロン侯は急に態度を変えたように見えますね」
私の心は完全に上の空。頭はフェリックス様が誰の子かという疑念でいっぱい。でも、私が気づいた疑念に、この人が気づいていないはずがないのだ。
彼は律儀に答えてくれる。でもそれを聞く私は、話に全く身が入らない。
「ヴァロン侯も途中で思いついたのでしょう……ジャンヌと僕が結婚する必要がないと分かった時点で、僕が利用できると考えた」
「利用?」
「そう。リュシアン王子が娘婿になれば、どうしても外戚として王家の干渉を許してしまう。程度によってはヴァロン家自体が乗っ取られてしまうかもしれない」
どうやら身分が高い人との結婚は、喜ばしいことだけでないらしい。リュシアン王子は今のところ、ヴァロン領内のことには全く関心を見せない。執心しているのはお嬢様にだけ。結婚後もそうという保証はないけど。
「僕を跡継ぎに据えて、ジャンヌを城から追い出せば、家門は守られる。僕は弱小貴族だから都合がいい。それにヴァロン侯が、身寄りのない親友の息子の後見になるといえば、世間には説明がつく」
話しながら、フェリックス様は何か嫌なことを思い出したようだ。
「でもヴァロン侯が僕に求めているのは服従。僕は応じられない。それにあの男は、僕の父母を繰り返し侮辱した。許せない。その上に、さらに……」
彼の口調が苛立ちを感じさせる。
「……なのに、僕が探し続けてきた答えを、あの男だけが持っているかと思うと腹が立つ。そして僕にもあの男と同じ……」
あっ……! 私は思わず彼の服の両袖をつかむ。
「同じ……」
その先は言ってはいけない。私は彼が言った言葉の部分を繰り返す。その可能性についてフェリックス様は言いかけた。でも最後まで言わなかった。代わりに彼は言う。
「推測ですよ、確証はない」
彼は私の手から袖を引き抜くと、いったん私から顔をそむけた。
「……僕は知りたいことを知るために、彼の交渉に乗るかどうか、一瞬でも考えなかったかというと、嘘になります。でも……」
「でも……?」
彼は再び私を見る。穏やかな表情で、私の目を見つめる。
「あなたが言ってくれたでしょう、差し出されたものを『僕ならば受け取らないはずだ』と」
「そんな大それたこと、私が言ったのでしょうか?」
「言ったんです」
彼は強く言って私を見る。私は戸惑う。
言ったかな? 言ったかもしれないけれど、深い意味があったわけじゃない。思いつきだ。
私は恐縮して下を向く。彼の視線から逃げたいけど、逃げられない。こういうの、困るんだ。
「それで僕は気づいた。甘言に乗って邪悪な取引をすべきではない。僕はあやうく踏み外しかけた道を戻ることができた。もう二度と同じ過ちは繰り返しません」
フェリックス様はにっこりと笑って私を見る。
私は昨日の出来事を鮮明に思い出す。前日にヴァロン侯とフェリックス様が会話をしたその場所で、二人は再び会った。
私がいたり、灰色ネズミたちの行列があったりしたけれど、状況としてはヴァロン侯が待っている所にフェリックス様がやって来た。
ヴァロン侯はあの時「来ると思っていた」と言った。フェリックス様の方からやって来たから、きっとヴァロン侯は、フェリックス様が自分を受け入れると思ったのだ。でも思い通りにはならなかった。フェリックス様はヴァロン侯の手を振り払った。ヴァロン侯は激怒し、呪いの言葉を吐き、完全に二人は決別した。
これですっかり真実を聞き出す道が遠のいてしまったというのに、……フェリックス様はとてもうれしそうなのだ。
「そんなことがあったのか」
イアシントが言う。じっと何かを言いたそうにフェリックス様を見ている。気づいてフェリックス様が聞く。
「何か?」
「言っておくけど、俺の能力は人の想いを呼び寄せる。あんたの想いはダダ漏れなんだ」
一人と一匹は私の肩越しに会話をする。フェリックス様は私の肩のネズミを睨みつけて言う。
「それで?」
「でも、言っていいことと、いけないことの区別がつくくらいの分別はある」
「それはどうも」
「だけど、あんまり時間がかかるようならば、我慢比べだ。あんたが折れるのが早いか、それとも俺が堪えきれずに、ばらしてしまうのが早いか」
「……勝っても負けても、全くうれしくない勝負だ」
フェリックス様はため息をつき、イアシントはさらに問い詰める。
「どんな気分だ?」
「正直言って、ずっと続けるのはしんどい」
おやおや。この一言には驚いた。この人が隠さず心情を告白するなんて。
フェリックス様は言う。
「長くは隠せないと思ってる。進んでこの道に身を投じる人の、気が知れない」
この言葉にイアシントは腹を抱えて大笑い。そして笑ったついでに二本足で立ち上がり、私の肩から真っ逆さまに転がり落ち……なかった。フェリックス様の手が私の肩に手を添えたのだ。イアシントはフェリックス様の手の中から出て、慌てて私の肩に這い上がる。
それを見てフェリックス様は微笑し、私に言う。
「僕は学習した。あなたの野ネズミがどんな時に落っこちて来るか」
「ちっ」
イアシントは盛大に舌打ちしてくやしがる。深刻な話をしているはずが、私たちは顔を見合わせて笑った。




