第22話 先祖の暗示
フェリックス様の話は夕食会での出来事に戻る。奥様はさらに追い打ちをかけるような発言をしたそうだ。
「夫はずっと自分に息子がないことを気にしていたけど、テオドールの子なら私たちにも息子みたいなもの。フェリックスが来てくれて本当に安心。先の約束はしておくものね、……もう一度、魔法の短剣を見せてくださらない?」
「ならん! お前……」
ヴァロン侯は声を上げ、フェリックス様を睨みつけたという。
「短剣であれ、長剣であれ、この場で剣を抜いてみろ、そうしたならばお前はこの城の敵だ」
「もちろん、私は敵ではありません、ヴァロン侯。でもこの短剣は父の形見でもあるので、お渡しするわけにはいきません」
「……あの、ちょっと待ってください」
私はここで、いったん話を止めるようフェリックス様にお願いする。ずっと結婚の誓約の話ばかり考えてきたけど、それだけでは不十分な気がする。それに何よりも、頭がこんがらがっておかしくなりそうだ。
「私、少し頭の中を整理したいのですが……」
「どうぞ」
そう言うと、フェリックス様は頭を窓の方に向けて外を見る。私の考えが追いつくのを待っていてくれるのかもしれないし、ご自身でも何か思うことがあるのかもしれない。
急に静寂が訪れた。馬車のガタガタという音だけが聞こえる。私たちの間に座っていた野ネズミが心配そうに立ち上がってきょろきょろと周囲を見回す。
「何でもない、大丈夫」
私が声をかけると、イアシントは伏せて目を閉じる。
改めてここで頭の整理をしてみようか。
奥様と旦那様、それにフェリックス様のお父上。三人はそれぞれ言うことが違っていた。魔法の短剣に誓った内容が違っていたし、誓いを立てたという人が違っていた。
奥様は結婚の約束を、旦那様とテオドール様の二人が立てたと、フェリックス様にそう伝えた。
旦那様は結婚の約束を、自分は取り消した、でもテオドール様が取り消さなかった、とお嬢様に説明した。
テオドール様は、生まれる子をテオドール様の子とする約束を、友人と自分とが誓ったと、フェリックス様に言った。友人というのはヴァロン侯のことだ。
……考えてもそれ以上のことは思いつかなかった。
私はフェリックス様に尋ねる。
「結局、魔法の短剣に誓ったことは、誰の言ったことが正しいのですか?」
「誰も間違っていない、推測ですけどね。奥様のいう婚約の誓約がまずあったのだと思います。最後に短剣を持っていたのは父だから、最終的には父の言った親子関係の誓約になっていたと思うのですが、それぞれが、自分の知り得た時点でのことを言っているとすれば……」
あ……。そうか。そういうことだ。
三人の言い分を時間の順に並べてみる。
まず奥様が語ったように、結婚の約束を二人がした。
次に旦那様が怒鳴っていたように、結婚の約束を一人が取り消した。
最後にお父上が言ったように、親子関係の約束を、二人がした。語られなかったけど、それまでの間にお父上も結婚の約束を取り消していたはず。
それぞれの言い分は違うけど、違う時点でのことを言っているのだとすれば、矛盾しない。
すると……。
一昨日、夕食の席で、フェリックス様がテオドール様の血を分けた子供じゃない、ということが、暗黙の共通認識になった。仮に結婚の誓約があるとしても、守る必要はない。
でもヴァロン侯は、その後も「短剣を抜くな!」と、まだ魔法の短剣に恐れを見せた。テオドール様の言っていた親子の誓い、それが自分にまだ有効だと、自分で分かっているからだ。
でも、誓ったのは「フェリックス様がテオドール様の子である」ということ。この誓約を裏切る可能性を、どれほど恐れる必要があるのだろう?
一方で奥様の不可解な態度も気味が悪い。フェリックス様を城に引き入れ、ジャンヌ様との結婚を望むような発言をし、何のために?
私は再びフェリックス様の顔を見る。
「どうお考えですか?」
「ヴァロン侯は、多分、……彼が最も『誓い』を破ってしまいそうな立場にいるのでしょう。例えば、彼が僕の本当の父親を知っていて、それを利用することが彼の得になるとか……」
フェリックス様がそう言ったところで、馬車が大きく跳ねるように揺れた。一度だけでなく、何度も大きな揺れが続く。
馬車の中に座っている私たちは、あっちへこっちへ大きく揺さぶられ、小さなイアシントは座席から放りだされてしまった。フェリックス様は頭をぶつけないようにと用心してくれたけど、それが必要なのはイアシントだった。
私は落ちる野ネズミを受け止めようと、手を伸ばす。イアシントが私の手の上に落下する、その一瞬前に、別の大きな手が私の手を両側から支えた。えっ……。
驚いて目を見張る私の目の前で、イアシントは無事に私の手の中に納まった。同時にネズミを捕まえて、私とフェリックス様は顔を見合わせる。手の中の小さなイアシントも、それを包み込むフェリックス様の手も、どちらも温かい。
「間に合った」
フェリックス様は微笑し、つられて私も微笑む。私たちは一緒に野ネズミを座席に下ろし、手を離した。
「助かった。ありがとうよ」
イアシントは言いながら私の肩を駆け上る。馬車は平坦な道に戻り、揺れはすっかりおさまったようだ。
肩の上でイアシントが鼻をひくひくと動かしながら言った。
「ずいぶんと急いで走るんだな。まだ遠いのか?」
フェリックス様は窓から身を乗り出す。すごい速さで平原の風景が流れて行く。太陽はまだ空の頂点には達していない。
それらを確かめるとフェリックス様は言った。
「あと半分くらいだろう。正午には着く」
「そうか、じゃあ、まだしばらくかかるな」
フェリックス様は座席に座り直し、イアシントは私の肩から降りてくる。そして野ネズミは私のマントの襞に収まった。
「ここなら、揺れても投げ出されずにすみそうだ。座っている時に俺をつぶさないでくれ」
「わかった、イアシント」
答えながら、思い知る。私たちはもう、道程の半分を来たんだ。目的地に着いた時、そこで何を見出すのだろう?
「レア」
不意に名前を呼ばれた。私はフェリックス様を見る。彼は何か言いたそうにしている。
「到着前に、あと一つだけ、話してもいいですか?」
もちろんです、と言いかけた私は、彼に見つめられて思わず動きが止まってしまう。彼が言う。
「あなたに、聞いてほしい」
「……あ、はい、……」
聞いてほしい、だなんて、そんなことを言われると、どきりとするじゃないか。
険悪な雰囲気に終わった夕食の後の出来事だ。ヴァロン侯はフェリックス様に城内を案内して歩き、相変わらずお母上を馬鹿にするような発言をしたそうだ。
「君の母親は一つだけいいことをした。君という息子を生んだことだ。君は父親の血統を確かに受け継ぐ息子だ」
その血統はテオドール様のことではないと、話す方も聞く方も知っている。
やがて二人は城のある部屋の前まで来た。ヴァロン侯はその部屋を、城主だけが使う特別な礼拝室だと説明したそうだ。
へえ。あの場所が礼拝室とは知らなかった。私たち使用人はその部屋が何か知らないから、単に、領主様の仕事部屋、と呼んでいた。昨晩その近くでヴァロン侯は灰色のネズミたちに襲われ、後から駆け付けたフェリックス様と激しく言い争った。……昨晩のことを思うと、あまりいい気分がしない。
私がしかめっ面をしているとフェリックス様がそれに気づいた。場所が場所だけに、話を続けていいか気にかけたようだ。
「どうぞ、お続けください」
私は先を促す。
その部屋の、閉ざされた扉の前でヴァロン侯は言ったという。
「城の当主たちはみな、この礼拝室で先祖代々の霊に血を捧げて、跡継ぎに男児を授かってきたものだ。私もそうした。しかし自分にだけは息子が生まれなかった。テオドールの奴は、何の苦労もなく息子を得たというのに……」
先祖の霊に血を捧げる、だって? 急におどろおどろしい展開になった。あの暗い廊下を思い出して私は身震いする。それにヴァロン侯はテオドール様を妬んでいる。暗い感情だ。
フェリックス様の顔を見ると、やはり彼は私の反応を気にしている。気味の悪い話だとは思うけれど、古い城に謎めいた風習はつきものだし、ヴァロン侯の性格も今に始まったことじゃない。私は彼に言う。
「大丈夫です、どうぞ、続きを」
この時、ヴァロン侯はフェリックス様に言った。
「城主のみが入室を許されるが、君にもこの礼拝室を使う資格がある」
城主のみ……資格……? いきなり、何を?
当然フェリックス様にも意味が分からず、ヴァロン侯の真意を探ろうと尋ねた。
「それは、ジャンヌとの結婚を許して、私がこの城の婿に入るのを認めるという意味ですか?」
「違う。君はジャンヌとは結婚できない。が……」
結婚する必要がない、のではなくて、できない、ヴァロン侯はそう言った。
「跡継ぎは一人でいい。男と女がいれば男だ。先祖の霊も君を選ぶだろう。ジャンヌは王族の妻になり、君はこの城の主になったらいい。君は相応しい女を妻にし、気に入った女があれば側におけ」
言葉の裏に隠された可能性に気づく。でも、まだ不確かだ。
ヴァロン侯はさらに言った。
「テオドールは死んだ。彼が遺した魔法の短剣など、君にはもう必要ない。君自身の意志で、代わりの大きな力を受け取るんだ」
暗に、魔法の短剣を手放せ、と言っているように聞こえる。その代わりの条件は既に提示されているが、フェリックス様があえて確かめる。
「ヴァロン侯、それはあなたとこの城が私に力を貸してくれるということですか?」
「そうだ。先祖代々の霊とこの血に誓って、そうすると約束する」
「しかし私は、その前に、本当に私にその資格があるのかどうか、知る必要があります」
「君が決心した後ならば、いくらでも教えよう。男同士、隠し事はなしだ。君と私とは対等に話ができる。そうだろう?」




