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遅れて来た婚約者  作者: 井中エルカ


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第17話 聖堂ネズミ

「名前を呼び合うのは、人と使い魔が関係を深める最初の手続きであり、最も重要な要素だ」

 そう言ったのは、前方から現れたフェリックス様だった。

「お戻りでしたか……」

 彼が帰って来た。彼の姿に私はとてもほっとする。

 フェリックス様は無言で私の横まで来ると、床に転がっていたメダリオンを拾った。

「あった。これだ」

 彼はメダリオンを手の中に握りしめる。その様子はどこも、お変わりないようだ。予定のご用はお済みなのだろうか。

「フェリックス様、地下廟には行ってらしたのですか?」

「……まだ奥には入ってません」

 彼は私の顔を見て一瞬押し黙った。その後、聞かせるつもりがないくらいの早口でまくし立てる。

「聖廟で僧侶たちが、あるはずの聖印が無いと騒ぎだした。それで聖印を持ち出した者を探したら、案の定それがネズミ使いの使い魔だったので、当初の用は果たしたことになります」

 彼の口調には、どうせ言っても分からないだろうという態度がありありと分かる。よく分からないながら、私は彼の手にある物を尋ねる。

「ではそれが、お探しの聖印ですか?」

「そうです」

 言いながら、彼が見ているのは私の肩にいる野ネズミ。イアシントはわざとらしくフェリックス様から顔をそむけ、私に向かって言う。その声はもちろんフェリックス様にも聞こえている。

「俺には奴の言っていることが分かる。この聖堂には使い魔の化けた僧侶がいて、そいつが聖印に呪いをかけた。聖印に込めた祈りを反転させて呪いに変えるのは、極めて効果的なやり方だ。健康を呪い、繁栄を呪い、城と領土の守護を呪う……そうやって標的を弱らせる」

 フェリックス様はむっとしたようにこちらを見ている。彼が否定しない、ということは、イアシントの言っていることは正しいのだ。

 私はイアシントに先を促す。

「それで?」

「使い魔は追手が来たことに気づいて聖印を持って逃げたが、あいつとそいつで使い魔を挟み撃ちにし、消滅させた。同時に聖印の呪いも解けた。と、ここまではそいつの想定内だったんだが……」

 「あいつとそいつ」はシャーズとフェリックス様のことに違いない。二人の共同作戦だったのだ。

 イアシントはちらちらとフェリックス様の方を気にしながらしゃべり続ける。

「想定外だったのは、俺がいて、あんたの使い魔になってしまったことだ」

 ……使い魔? そこがよく分からない。

 

 私が言葉を継げないでいると、代わってフェリックス様が会話に入った。

「なってしまったものは、今さら仕方ない、聖堂ネズミ」

 フェリックス様は何の不思議もなくイアシントに話しかける。彼はイアシントのことを『聖堂ネズミ』と呼んだ。

「見たところ、百年は生きているようだ。人の姿にはなれるのか?」

「もちろん」

 野ネズミのイアシントが答える。そのとたん、野ネズミの姿は消えて、代わりに青い目をした若い男が立っていた。

「……!」

 驚きが全く声にならない。まさか、まさか。

 身体の力が抜けて私の足が勝手に二歩、後ろに下がる。そのまま倒れそうになったところを、フェリックス様が助け起こしてくれた。

 私は背を振り返り、フェリックス様に聞かずにはいられない。

「あの、……あれは、ネズミのイアシントと同一人物なのですか?」

「そうです。使い魔も百年生きると、人間に化ける。見かけにだまされないようにしてください」

 フェリックス様は青い目の男をじっと見る。青い目の男は再び野ネズミの姿に戻った。

 ……見てしまった。今度こそはっきりと、化けて姿の変わるところを見逃さなかった。見ることは信じることだというけれど、すぐにそうならないことも、あるってことだ。

 私はフェリックス様に言う。

「よく分かりました、大丈夫です。ありがとうございます」

 彼は私の顔を見てうなずき、背に置いていた手を離した。


 イアシントはフェリックス様を足元から見上げ、一生懸命言い訳をする。

「野ネズミが俺の本性なんだ。確かに人間にもなるが、別にだましていたわけじゃない」

 小さな野ネズミと大の大人が話している様子は、傍目にはかなり滑稽に違いない。でもこの二人、正確に言うと一人と一匹は真剣そのもの。睨み合いに火花が散っている。

 イアシントは必死に訴えかける。

「あの時、俺は危なかったんだ。たまたまレアが俺の声に気づいてくれたからよかったようなものの、そうでなければ消えるところで……あ、ちょっと待った」

 イアシントは何かに気づいたようだ。

「レアに声が聞こえたのは、あれはあんたが一枚噛んでるのか?」

 イアシントの問いを、フェリックス様は即座に否定する。

「違う。僕の仕業じゃない」

「本当か?」

 今度はイアシントがフェリックス様を睨みつけ、フェリックス様が弁明をする。

「仮にそうしたいと思っても、彼女の方が先を行ってしまう、軽々と飛び越えて」

「なるほど。じゃあこれは、レアと俺との問題だ」

 イアシントは小さな頭を動かしてうなずく。一人と一匹の間で何かが合意したようで、そこで対話が終了した。

 

 フェリックス様は私に言う。

「聖印を返しに行ってきます。レア、あなたは話が付いたら馬車に戻ってください」

 彼は私の返事を待たずに背を向ける。何かを言う間もなかった。シャーズが主人に従ってついて行こうとしたが、フェリックス様はそれを手で制し、一人で歩いていく。

 すかさずイアシントが言った。

「レア、あんたと俺はこれから長い付き合いになるわけだし、いったん状況を整理しておいた方がいいと思うんだ。あいつも、話が終わるまで待つと言ってくれたことだし」

 フェリックス様はそうは言わなかったけど、「話が付いたら」というのが、イアシントの理解だとそうなるらしい。

「で、どっちの姿が話しやすい? 人か、ネズミか?」

 言いながらイアシントはもう一度若い男の姿になってみせる。

 わわ。これは何度見てもびっくり、心臓に悪い。全然慣れそうにない。

「あなたの好きな方でいいけど……」

「じゃあ、ネズミだ」

 言うが早いか野ネズミの姿に戻る。一緒にいてネズミの方が落ち着くのは、最初に会った時がその姿だったからに違いない。


 イアシントは柱の台石に跳び乗り、私はその隣に座る。シャーズは回廊の向こうで私達に背を向けて立っている。彼はよくこうやって全方位に気を配っている。

 イアシントは大まじめな顔をして講義を始める。

「まずはここから始めよう。人間はその存在を二つに分けて考えることがある、身体と精神だ。この二つは様々な呼び方があって、前者を肉体や器、後者を精神、思念といったりもする」

 イアシントは確認するように私を見る。私はうなずく。今のはよく言われる話だ。初めて聞くことではない。

 

「身体と精神があるのは人間だけなんだが、稀にけものたちの中にも感受性の強い者がいて、精神が宿ることがある。こうなった者を『使い魔』と呼ぶ」

「人の用をするから、『使(・)い(・)魔』なんだと思ってた」

「人の用をしてもしなくても使い魔だ。魔物と呼んでもいいのかもしれないけど、恐ろしい見た目でないし、人に危害も加えないし、……逆に人に付いていない場合には、放浪使い魔なんて言い方をして区別することがある」

「そうすると、世の中は案外、放浪使い魔だらけってことはない?」

「一応例外的な存在だから、そこまで多くないと思う」

「そうなの。すると、あなたの場合は何になるの?」

「俺はこの百年ほど聖堂に棲みついている、いわゆる放浪の使い魔だったんだが、それだと立場が危うくなったんだ」

「?」

「例のネズミ使いは、聖堂のネズミたちを感化して自分の使い魔にし、それを使って人間の僧侶の幻影を作り上げた。当然、俺はネズミ使いの号令には従わなかったんだけど……」

 イアシントは全身をぶるっと震わせ、言葉をつづける。

「あいつらは幻影を破って、使い魔のネズミたちを消しただろう? あれは使い魔の身体に本来宿るべきではない思念を消し去ったんだ」

「消したのは思念だけ? その割には、ネズミの姿自体も消えたけど?」

「幻影が消えただけだ。本体は別の場所にいて、ただのネズミに戻っている」

「……」

 幻影だの本体だのと複雑な話だ。けど、今は分からなくても問題はないと思った。

「で、あいつらの術は、聖堂内にいる使い魔ネズミ全体に対して思念を消そうとしたんだ。危うく俺の精神もかき消されそうになり、消されないよう強力なつながりを求めた。それが人の使い魔になることで」

「それが、私とつながったということ……?」

「ご明察」

 イアシントは片手、じゃなかった、前脚を上げて同意を表す。仕草がいちいち人間臭い。

 

「使い魔というのは、元来不安定な存在なんだ。けものの身体に精神というのが、そもそも自然ならざる存在だから仕方ない。それで人と結びついて存在を安定させようとする」

「あなたも、もっと早くから、人とつながっておけばよかったんじゃないの?」

「人なら誰でもいいってわけじゃない。人と絆を結ぶにあたって、相応しい相手をいつも探していた」

 イアシントは偉そうに胸を反らす。

「使い魔になり始めのうちは誰とでも感性が合い、俺の声も届いた。が、時間が経って己の精神が成熟するにつれ、相手は限定される。もっと相性のいい相手がいるかもしれないと待っていると、いつの間にか誰ともつながれなくなるわけで、どの時点で人とつながる選択をするかは、使い魔のジレンマなんだ」

「へえ……そんなことを考えながら生きてきたなんて、使い魔も楽じゃないね」

「ただの生存欲求だ。もっとも根本的な欲求だ。大した考えもないまま、生きていられる人間のほうが、よっぽど大した存在だと俺は思うけどな」

「……」

 また難しい話になった。と思っていると、イアシントは私の肩に跳び乗って促す。

「そろそろ行こうか」


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