第12話 私の論法
日は落ちたけれども月が明るく、室内はランプが煌々と灯されていた。私は細めていた目をゆっくりと開けて明るさに慣らす。すぐ近くにシャーズがいた。
「終わった」
彼は一言だけ言うと、開けた天幕を紐でくくってまとめる。湯の後片付けに集まっていた使用人たちは既に去った後。静けさの中、窓の方ではちょんちょんと何かを軽く叩く音がする。黒い鳥が飛び跳ねるようにして窓枠の上を行ったり来たり。奥様の使い魔のカラスだ。
鳩が私の肩に飛び乗り、私は床から立ち上がる。鳩を飛ばしてお嬢様の元へ帰さなければならないけれど、あのカラスが邪魔をしないか心配だ。
そう思っているとシャーズが窓際に行き、何気ない動作であっという間にカラスを捕まえる。カラスはシャーズの手から逃れようともがく。
「シャーズ、十を数えたら放してやれ」
フェリックス様に言われてシャーズがうなずく。そして目で私に窓を示す。私は急いで窓から鳩を放す。
「ご苦労さま。お嬢様によろしくね」
鳩は夜空に向かって飛んでいく。続いて十を数え終わったころ、シャーズが手を離す。カラスは飛んでいったけど、それは鳩とは別の方向だった。
「カラスは主人の所へ戻るのでしょう」
少し離れた所でフェリックス様が言った。彼はいったん部屋の奥の方に下がった後、戻って来る所だった。彼は手に何かの道具を持っている。それは二枚貝が開いているような姿で、小さな鏡のような円盤が二つ、端の部分で綴じ合わされていた。
フェリックス様が手の上の器具を閉じる。とたんに周囲が一段暗くなる。
そうか。天幕の内側が明るかったのはこの道具のせいだったのだと、今さらながらに気づいた。初めて見るランプのような道具について、私は尋ねた。
「魔法の力で光る道具ですか?」
「いいえ。光る鉱石でできていて、魔法の力でなくても昼間のうちに光を集め、暗くなると光る。便利でしょう?」
彼は手に持った道具の表裏をひっくり返して私に見せる。そして合わせ鏡のような道具をテーブルの上に置き、自分は布張りの長椅子に座った。
「何事も魔法の力に頼りすぎるのもよくないですからね」
そう言う彼が魔法の短剣を頼っている。フェリックス様がジャンヌ様の婚約者であることの根拠にしている。
「ジャンヌは僕が帰ればいいと言っていたけど、あの分だと、彼女の方が痺れを切らして先に帰ってきそうだ」
フェリックス様はおかしそうに言う。ということは、彼は城にとどまるつもりだ。ジャンヌ様を追ってリールに行く気がない。
シャーズがやって来て、私の肩を押すようにしてテーブル前のベンチに座らせる。そして自らも私の隣に座った。
シャーズはテーブルをはさんで向かいのフェリックス様に葡萄酒の杯を渡す。続いて彼は私にも葡萄酒を勧めてくれたけど、さすがにそれは断った。お客様用の上等な葡萄酒を、使用人は飲んだりしない。普通は。
なのに、私に断られてシャーズは不思議そうな顔をする。そして自分の杯を引き寄せ、それにだけ葡萄酒を注ぐ。彼の主人は何も言わない。従者が自分と同じ葡萄酒を飲むのを当然のように見守っている。変わった人たちだ。
フェリックス様は空にした杯を脇に追いやると私に尋ねた。
「あなたも、ジャンヌと同じ意見ですか?」
「それは、ヴァロン侯とご一家がお決めになることです」
もちろん、私もこの人が早く帰ってくれればいいと思っている。でもそれが簡単ではないことも分かる。
「あなたは考えないのですか?」
「え?」
「どうやったら、この問題が解決するか」
私は目を丸くしてフェリックス様を見る。それが私の仕事だとは考えてもみなかった。
その時、私はシャーズの妙な挙動に気づいた。ぎょっとして思わず目をそらす。見間違いではないかと思って横目でもう一度見る。シャーズは自分の葡萄酒の杯をテーブルに置いたまま、顔を杯に近づけてぺろぺろと葡萄酒を舐めている。
一体何を? 唖然とするのは私ばかり。フェリックス様はシャーズの様子を全く気にしていない。
「それは……あの、どうしたらいいんでしょう。あなた様は金品で買収されるようにも見えないし、脅されて黙るような方でもなさそうだし……」
言いながら私は考える。良い方法があるならこっちが教えてほしいくらいだ。
私たちはジャンヌ様の結婚相手はリュシアン王子だと思っている。どうしてもそこは譲れない。そこで……。
だめだ。シャーズの様子が気になる。気になって他のことが考えられない。よく考える前から口がしゃべってしまう。
「必ずしも結婚の約束にこだわらなくても、途絶えていたご両家の親交が再開し、友情が深まれば、お父上様はそれでお許しくださいませんでしょうか? ヴァロン侯もきっとそのことを感謝なさるかと存じます」
「友情? 感謝?」
フェリックス様は馬鹿にしたように笑った。長椅子にそり返るように座り直し、足を組む。彼にしてはめずらしく尊大な態度。
「友情というのは、そうするに値する相手と結ぶものです」
彼の言葉には憎悪が満ちている。でもそんなに憎らしい家の相手と結婚しようというのは、ずいぶんと変な話ではないだろうか。
シャーズは葡萄酒を舐めるのをやめた。テーブルに置いた杯の前に両手をそろえておき、じっと杯の中の液体を見つめている。今度は何をやっているんだろう。
フェリックス様は言った。
「……あなたの言う事は現実的にあり得ない。何も知らないのだから当然か……いや、でも、どうだろう? あなただって、もう十分関わった」
そこで彼は嫌な笑い方をした。
あ。この笑いには見覚えがある。リュシアン王子が時々人を見下したように笑う、あの表情じゃないか。フェリックス様でもそんな顔をするんだ、と、別に驚くでもなく、ただそう思った。
「和解の条件として必要ならば、彼らはためらいなくあなたを差し出すでしょうね?」
「あー、それは……」
お城では時々、他所のお城と使用人の交換をすることがある。彼が言っているのはそのことだと私は考えた。
私はもともとこの城で生まれ育ったわけでもないし、行けと言われればどこへでも行って働く。女中にはそれしかできない。でも。
フェリックス様に言い返したのは別の事だった。牽制するつもりはなくて、本当にそう思って言ったんだ。
「でも、もし差し出されたとしても、フェリックス様はお受け取りにならないんじゃないでしょうか」
「え?」
彼は顔を上げ、いぶかしむように私を見る。私は言葉を続ける。
「そういう交換条件はお嫌いなんじゃないでしょうか。それに、もし私のような者が近くにいたならば、あなた様の奥様をお苦しめするのではと思いますし」
「それは、ちょっと……話が飛躍しすぎていて、ついていけない……」
フェリックス様は腕組みをして考え込む。いったん宙を見つめた後、分からない、といったように頭を振った。
隣でどさりと大きな音がした。なんと、シャーズがテーブルの上に上半身を投げ出し、突っ伏して寝ている。
えええええ。この人、どうしちゃったの? わずかの葡萄酒で酔っ払い?
思わず目でフェリックス様に助けを求めると、彼は頷いて言った。
「大丈夫。彼はいつもこう……すぐに起きますから大丈夫。そのまま少し、休ませてあげてください」
「承知しました」
口でいうのとは裏腹に、承知したどころかすっかり気が動転している私。さっきまで何の考え事をしていたか忘れてしまった。
「申し訳ありません、ええと、なんの話でしたっけ……」
「僕の奥さんを苦しめるとかいう話です」
フェリックス様は長椅子から背を起こした。テーブルの上に頬杖をつき、あきれたように私を見ている。頭のおかしい女中だと思われたかもしれない。何とでも思ってくれ。
私は開き直って説明する。
「フェリックス様はこの後、ご結婚なさるでしょう?」
領主という立場は、跡継ぎのことを気にするものだから。
「分からないけど、仮にそうだとしておきましょうか」
「その時、他所の城からわざわざやって来た女中がいたとしたら、お城の皆さんは連れて来た女中について何かと詮索をするものでしょう?」
「そうかな。……じゃあ、それもそういうことにしておきましょう。すると?」
「もし奥様が心優しい方だったら、噂をあれこれと気にしてお悩みになると思います。そうでなければ、目障りな女中を城から追い出すはずで、結局私はヴァロン領に帰ってきます」
「……あなた、それはちょっと考え過ぎなんじゃないですか?」
「いいえ。お城で暮らす者にとっては重要なことなんです」
どこへでも出かけて行く人たちとは違って、私たちにはお城での生活が全て。
分かったのか分からないのか、フェリックス様はまた思いもよらないことを聞いてくる。
「で、あなたはどっちなんです?」
「はい?」
「心優しい方なのか、それとも意地悪をする方ですか?」
「ええと……私は鈍い方なので、あまり噂は気にしなくて、どちらでもないような……」
「自分で例えておきながら、あなた自身はそのどちらにも当てはまらないんですか」
確かに。これでは私の言うことは全く信用ならない。私の下手な論法に彼は言う。
「僕は覚えておきますよ。あなたのように心優しい人を、苦しめることがないようにね」
あれ? 何かが違う。相変わらず彼は頬杖をついて私を見ている。だけど、さっきまでの苛立ちはどこにもない。
それどころか……。




