そんなに背負い込まなくても、大丈夫なのよ
世間に流れるクヴィスリング・チャロアイトと、実際のクヴィスリングは全然違う人みたいだった。
人の噂と実際の人が違うことって、よくあることだよね。
「子爵令嬢も、最初は恩を感じてたそうなの。前男爵は子ども達に分け隔てなく愛情を注ぎ、教育も受けさせた。だけど、だんだん子爵令嬢の方が壊れてきてしまったんですって。家の再興も出来ず、自分の子どもの父親も分からない」
アイリスは自分の片頬に手を当て、困ったように小首を傾げると、今度は自分が仕入れてきた情報を答え合わせのようにその場にいる全員に説明を始めた。
「母親として、どうにか子どもを守りたかったのだと思うけれど、生まれた子を前男爵の子だと思うようになってしまったの。…分け隔てなく愛情を注いだ事が裏目に出てしまったのね。それからは、何かにつけクヴィスリングへ「本当の当主は貴方」「ヴェルテュに負けてはならない」と言い聞かせ続けたんですって。運良く当時務めていたメイドから話を聞けたのだけれど、一種の洗脳みたいな状態だったらしいわ。当然、皆止めたのだけれど、「本当に愛されているのはこの子でしょう」と言って、半狂乱になってしまったそうなの。酷く暴れて、クヴィスリングも傷付けようとするから、それ以上止める事も出来なかったんですって」
初めて聞く話に、リディアを始めとした役員達もただただ呆然とするしかなかった。
ましてや、自分が今まで苛まれてきた元凶に、そんな重い過去があったなんて、欠片も想像する事が出来なかった。
リディアにとってのクヴィスリングは、チャロアイト男爵を困らせ、領の皆と自分たち家族を不幸に陥れる悪者でしか無かった。
だから、いくら彼が「自分こそが当主」だと言っていても、所詮権力争いの戯言だと思っていたのだ。
その確固たる定義が、今リディアの中でグラグラと揺れ始めているのが分かった。
自分が悪だと思っていたものは、他の誰かに造られた物だった。
その誰かも多分、絶対悪ではなくて、少し境遇や何かが変われば違ったかもしれない。
リディアは自分がどうすればいいのか、どうするべきなのか分からなくなってしまった。
自分や家族、領の事を思えば許すべきではない。
けれど、それならクヴィスリングは……?
自分の母親のせいで歪んでしまったクヴィスリング。
幼い子どもにとって、母親の存在は唯一無二だ。
その唯一に、呪いのように刻み込まれた事が原因なら?
グルグルと回る思考の中で、リディアは迷子の子どもになったように感じた。
終わりのない迷路に入ってしまったような心細さ。
知らずにまたスカートの裾を握り締める手に力が入り、拳が白くなっていく。
それが突然終わったのは、誰かの暖かい手が自分の強張った手を上からそっと握りしめてくれたからだった。
呆然と重ねられた手から順に視線を上に向けると、そこには優しく微笑んでいるアイリスの姿があった。
「そんなに背負い込まなくても、大丈夫なのよ」
リディアが頑張って耐えてこれたのは、明らかに「悪」があったから。でも、信じたものが根底から揺らぐのって怖いよね。
ここまで、お読み頂きありがとうございました。




