第7話:魔法の鏡の終焉
初めてのコラボ配信
シン・新宿の夜は、嘘と電気信号、そして絶え間なく降り注ぐ酸性雨で塗り固められている。
空を覆うのは希望の星ではなく、ホログラムの巨大な魚が泳ぐ極彩色の広告の群れだ。
酸性雨を弾く透明なドームの下に設置された屋外特設ステージでは、
眩いばかりのARエフェクトが舞い踊り、物理法則すらもフェイクの光で上書きされていた。
「はーい、みんな! 今日も世界を可愛くハックしちゃうよ!」
ステージの中心で、シン新宿のトップ・インフルエンサー「リリ」が、完璧に計算されたウィンクを投げる。
彼女の顔には、この街の美の基準である幾重にも重なったARフィルターが常駐していた。
陶器のように白く発光する肌、物理的な限界を超えた瞳、そして鋭利に削り取られた顎のライン。
モニターの中に映し出された彼女は、もはや生身の人間ではなく、
記号化された「美」という名のデジタル・データの塊であり、究極のフェイク(偽物)だった。
その隣で、ヘレンは借りてきた猫のように強張った表情で座っていた。
ミントによって「西洋の田舎から来た武芸者」という設定で用意された衣装は、
パンガイア大陸の騎士服を現代的にアレンジした、機能美と重厚さを併せ持つ特注品だ。
周囲のノイズにまみれたエフェクトの中でも、ヘレンだけは決定的に異質だった。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた者にしか宿らない、確かな肌の質感。
長年、鋼の剣を握り締めてきた手のひらのタコ。
加工された虚飾の光の中に、一人だけ「現実の質量」が座り込んでいるような、奇妙で暴力的な存在感。
リリがヘレンの肩に、親愛を装って馴れ馴れしく手を回し、モニター越しに視聴者へ語りかける。
「今日はなんと! 今超話題の『天然系』騎士様、ヘレンちゃんと初コラボだよー!」
ヘレンは困惑したように眉を寄せた。
彼女は事前にミントから「配信」という概念のレクチャーを受けてはいたが、目の前のモニターに映し出されている光景には、どうしても理性が納得を拒んでいた。
実直な彼女は、目の前にある「不整合」を放置することができないのだ。
「緊張してるのかな?『侍 vs 騎士』のアーマードバトルの前だもんね」
リリが宣伝を織り交ぜて話を振る中、ヘレンは、隣に座るリリの実物の顔と、モニターの中に映る「何か」を交互に見比べた。
その瞳には、侮蔑も嘲笑も含まれていない。そこにあるのは、純粋な驚きと、深淵を覗き込むような困惑だけだった。
「……あの、失礼ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか」
ヘレンは至極真面目な顔で、むしろ隣にいる女性の重篤な容態を心から案じるような、
慈愛に満ちた瞳で問いかけた。
「そちらの『魔法の鏡』に映し出されているお方は、一体どなたなのでしょう?
先ほどから拝見しておりますが……隣にいらっしゃる貴女様とは、随分とお顔が違うような気がいたします」
刹那、スタジオの喧騒が消え、スタッフたちの動きが凍りついた。
配信のコメント欄は一瞬の空白ののち、ダムが決壊したかのようなログの滝が荒れ狂った。
(公開処刑きたあああ)
(魔法の鏡とかワロタ。騎士様、素で言ってるぞこれ)
(ちょ、天然ってそういう意味!? 物理アタッカーすぎる)
(誰かリリのメンタルを修復してやれ)
しかし、ヘレンの「追撃」は止まらない。彼女は真剣にリリの顔を覗き込む。
「それとも……もしや、魔法の調子が悪いのでしょうか? どこかお加減でも悪いのですか? 」
「あ……あはは、ヘレンちゃん冗談きつーい! これはフィルターっていって、その……」
リリの引き攣った笑顔が、ARフィルターの追従ミスを引き起こし、画面上では彼女の顔がグニャリと醜く歪んだ。
『配信中断』
モニターが暗転し、スタジオの空気が冷酷に凍りつく。
舞台袖から、ミラーグラスをかけたミントが歩み寄ってきた。
「申し訳ない。プロデューサーとして、不手際を謝罪するわ。彼女、かなりの『世間知らず』なの」
ミントはミラーグラスの裏側で、加速するSNSのエンゲージメント数値と、
サーバーがパンクするほどのトラフィックを確認した。
『魔法』という言葉。
ミントは異世界転生する際、自動翻訳チートの仕様確認を女神ガイアにしたことがある。
「『サイバーウェア』という単語の場合は、強制的に『魔法の道具』として置換される。
これはシステムの問題ではなく、受信側の限界ですね」
と説明されていたことを、思い出した。
ヘレンからしたら、ディスプレイやARの概念はないから魔法の鏡と翻訳されたのだろう。




