第2話:異世界の監査役、現実で赤字に悩む
マルチウィンドウに映し出される家計ログの予想値は、回避不能な鮮やかな赤字を刻んでいた。
異世界の住人を三人も養うという、かつてのミントの人生設計には存在しなかった予想外のコスト。
それが、彼女が何よりも大切にしていた「孤独な最適化」を根底から破綻させる決定的なトリガーとなった。
「異世界で国家予算を監査していた私が、家計の赤字に悩むなんて皮肉ね。
けど、ワタシ一人で三人を養えないのは当然」
独りごちるミントの指先が、空中に浮かぶ赤い数字を弾く。
もはや夢の中のモノクロームな静寂に閉じこもっている猶予はない。
「いずれにせよ、このままじゃ共倒れ」
彼女は、望まぬ形で突きつけられた「現実のバグ」を修正するための対応を、
本格的に検討せざるを得なくなったのであった。
空中に浮かぶ半透明の収支ウィンドウが、冷酷な赤色でミントの視界を染め上げる。
彼女はミラーグラスを指で弾き、何度もシミュレーションを繰り返すが、
導き出される解は常に「破綻」の一文字だ。
「……流石に、リスクを取ってメガコーポやバンクを叩くのは無理」
ミントは深く椅子に沈み込み、自身の限界を冷徹に分析する。
かつての彼女なら、自分の生活を維持するためだけのギグをこなせば済んでいた。
「彼女たちとの契約は有効、だから追い出すわけにもいかない。
魔王相手の契約すら守った、それはワタシのポリシー。
追い出さないのは、旅の仲間だからではない。絶対そう、そうに決まっている」
(全ては救えない、それでも助けを求められたなら、見捨てずに検討する。
それが私の思う持てる者の義務です)
異世界パンガイアというOSの運用をしている、唯一の運用担当者、
いやバディのアイリス王女の言葉をなぜか思い出した。
影から声がした。
「ミント様、ツンデレ……というヤツですか?」
「違うって」
悩みは尽きない。
現状維持を続ければ、遅かれ早かれ自分も含めた全員がシン新宿の酸性雨の下に放り出される。
「茹でカエルにはならない……けど文明レベルさえ異なる異世界人を、
この街でマネタイズすることなんて本当に可能なの?」
自問自答するミントの脳裏に、悲観的な予測がノイズとなって走る。
デジタルとネオンに塗りつぶされたこの街で、剣士や暗殺者とドラゴンに何の価値があるというのか。
最適解が見つからない焦燥感が、彼女の静寂を侵食していく。
ブラインドの隙間からシン新宿の混沌とした街並みを眺めたとき、ひとつの論理が立ち上がった。
幸い、ここは「シン新宿」だ。
身分証を持たない「no id」の住人であっても、他にはない独自のスキルさえ提示できれば、
その毒々しい懐に飲み込んでくれる。
秩序よりも混沌が、履歴よりも実力が優先される戦場。
「……変数は多いけれど、プランが立てられないわけじゃない」
ミントはミラーグラスを直し、目の前の赤字ログを睨みつけた。
実現可能性への疑念を、上書きしていく。
彼女は孤独への安住を捨て、異世界の「ノイズ」を武器へと変換するための思考を開始した。
「ミント様、どうぞ。お疲れのようでしたので」
不意に差し出されたマグカップから、安価なインスタントコーヒーの安っぽい香りが立ち上る。
顔を上げると、そこには剣士ヘレンが献身的な微笑みを浮かべて立っていた。
「……ありがと」
受け取ったマグカップの温もりに息をつく。
ヘレンが申し訳なさそうに伏せた長い睫毛、左右対称に近い完璧な造形。
だが、その目元に一点だけ打たれた「泣きぼくろ」が、清廉な彼女に抗いがたい色気を与えていた。
「美人よね、あなたって。本当に」
ミントの口から、解析結果のような率直な言葉が漏れる。
「己の食い扶持すら稼げぬ見た目に、何の価値があるというのでしょう」
ヘレンの返答は、彼女には珍しく自嘲気味だった。
「リソースの無駄?……殺る?」
影から音もなく現れたニクスが、無表情のまま愛用の短剣の柄に指をかけた。
「待ちなさい、ニクス」
ミントはミラーグラスの裏側で、シン新宿の市場データが火花を散らしながら演算を開始した。
「食い扶持」と「見た目」。
この二つの変数を「本物の質量」というフィルターに通し、最短の勝ち筋を導き出す。




