第35話 殺竜の花
数分前。
都内、おじさんの入院している病院。
ぱち、と目が覚めた。
「時間がない、魔人は……!?」
おじさんが起き上がると、傍らにいた伊法に制止される。
「待って。もう大丈夫」
「大丈夫……?」
「終わったんだ。魔人は倒されたよ、あなたの弟子に」
「……凛音さんが」
安心したように、ふぅ、と身体を再びベッドに寝かせるおじさん。
「そうですか……。さすが凛音さんですね……」
それは自慢の娘を想うような、微笑みだった。
伊法も微笑み、
「本当。成長が速過ぎる。あっという間に追い越されちゃった」
おじさんは伊法を見て、
「竜剛貫通の魔術は、完成されたんですか?」
「いちおう、ね」
伊法は魔石を見せた。『魔素分離』の魔術が刻まれている。
「これは……恐ろしい代物ですね。だがとても有効だ。素晴らしい。よくここまでのものを、この短期間でおつくりになりましたね」
「疲れたよ。でもみんな頑張ってくれたから、出来た。はしゃぎ過ぎな気もしたけど」
「研究に打ち込むひとは、どこの世界も同じですね」
顔を見合わせて笑った。
伊法が、
「魔素濃度も徐々に下がって行ってる。魔人は消滅して、低階層の魔物は塵になったそうだよ」
「…………なんですって?」
おじさんの表情から、笑みが消えた。
「ど、どうしたの?」
「まだ終わっていません。杞憂なら良いのですが、もし魔人が他の魔物をエネルギーとしたら……」
「他の魔物をエネルギーに……? 蘇生するってこと?」
「その可能性はあります。急がなければ」
ベッドから降りようとするおじさんだが、足元がおぼつかない。
「伊法さん、僕の服はありますか」
「そんな身体で行くのは無茶だよ! それに、あなたが行く必要は無いはずだ!」
おじさんは制止も聞かずにベッドから降りた。繋がれているチューブを引き抜くと、機器の警告音が鳴った。それらを無視して、病室の小さな棚に入っている服を着る。
「僕が行かなければいきません。もしも、凛音さんがいつかのようにボス部屋に招かれたら、入れるのは僕だけです。それに――」
おじさんは伊法の魔石を視る。
「その貫通魔術は不完全でしょう? 魔学系Vの皆様が30人で五分間の同時詠唱をしなければならないはずだ」
正解だ。
言い当てられた伊法は戦慄する。
「……一目見ただけで、そこまで」
「30人が揃って五分、あの魔人を前にして、一人も欠けずに、一人もズレずに合唱をするようなもの――不可能です」
「けど……」
「しかし僕なら一人で、五秒もあれば終わる。魔学系Vの皆様はこれからも活躍されるはずだ。その叡智がこちらの人類に役立つことは数多あるはずです。ここで死なせるわけにはきません」
「そんなの……!」
なおも反論しようとした伊法に緊急の通知が来た。おじさんが言った通りのことが起きているという知らせだった。
「……うそ」
「当たってしまいましたか」
おじさんはシャツを着て靴を履く。傍らにあった配達バッグと飛竜ぬいを持って『待ってましたぜ旦那』という声を聴きながら、時空魔術を使用。開いた扉に入ろうとする。
伊法が、立ち塞がった。
「あなたは、死んでも良いの?」
「この世界と、Vの皆さんのためなら、この命を使い切っても構いません」
即答だった。
このひとはどこまでも自分の命を諦めているんだ――そう確信できた。それがショックだった。
「お願い……」
伊法は、この次の言葉を口にしたら、我慢している涙がこぼれるだろうと確信している。
それでも、そうせざるを得なかった。
「行かないでって言ったら、聞いてくれる?」
「……すまない」
予想通りだった。おじさんの答えも、伊法の瞳から涙が落ちるのも。
ただ――おじさんが、まるで仲間に伝えるような声音で言ってくれたことだけが、予想外だった。
だから伊法は、泣きながら微笑むことができた。おじさんに魔石を押し付ける。
「これ使って。でも必ず返しに来て」
「……約束はできま」
「ぜっっったいに返しに来て!」
「……わかりました」
やっぱりこのひとは押しに弱い。伊法は泣きながら、道を開ける。
「行ってらっしゃい」
「ありがとう、行ってきます」
扉が閉まる。もう二度と会えないのだと思う。膝から力が抜けて、ぺたんと座り込んだ。
「待って、待ってよ……」
行ってらっしゃいと言ったのに。強がって見せたのに。本音と涙が、後から後から流れ出る。
ひとり残された病室の床はひどく冷たくて、伊法の涙を弾いていた。
もう一度、会いたかった。
☆
もう一度、会いたかったひとが、目の前にいる。
煌剣に身体中を貫かれ、膝をついて、死を待つのみだけだった凛音の前に、おじさんは現れた。
その背中に、呆然と問いかける。
「師匠……?」
おじさんは振り返らずに、
「すぐに済みます。意識を保っていてください」
――難しいことを、言うなぁ。
全身の痛みをこらえながら、凛音は少しだけ笑った。
おじさんの手には魔石がある。天雪を使わなくてもわかる。アレはとても危険なものだ。だがそのままでは使えないだろう。
魔石が光る。おじさんが魔術を加えたのだ。魔石は一瞬で形を変えた。その使命を果たすのに最も相応しい姿に。
それは、短刀だった。
「――竜殺短刀【花葬】。それが短刀の真銘なんですね」
おじさんは一歩踏み出す。
“竜”が化けた魔族を相手取るにはあまりにも頼りない、小さき刃を携えて。
☆
魔人は――凛音に向けて振るった拳を、腕から斬り落とされていた。
手刀で。
目の前に出現した、今にも死にそうな、よろよろの男に。
「――何者だ」
とっさに距離を取る。腕を再生させ――できない。なぜだ。魔術が発動しない。なおも発動させようとしたところで、
「もう再生はできないよ。斬ってしまったからね」
ざっ、と男が一歩踏み出してきた。
意味不明な言動に、顔を上げて敵を見る。
戦慄した。
奴には、まるで魔力が無かった。生きているのが不思議なほどだ。
だがその手に握る短刀は本物。アレは我が身と魂を消滅させ得る“殺竜”の刃。七女神とその眷属が残した神代武装。
そして男の腕は超一流。
見ればわかる。七星剣武――アッシュウィーザに連なる者。
“竜殺し”の剣士だ。
己の身体に紐づいたシステム――再生魔術そのものを斬り捨てることすら可能だろう。自分はもはや、一度死にでもしない限り、二度とあの魔術は使えまい。
彼我の戦力差を理解した魔人はさらに距離を取った。最大限の注意を払う。
――打つ手を間違えれば、容易く滅ぼされる……!
腕比べ、技比べではまず勝てない。単純な火力勝負と時間切れに持ち込むしかない。
油断も隙も無く、自身の最強の技を放つことを選択した。
最適解だった。
しかしおじさんは、それをも断ち斬るのだ。
「すまない、趣向を凝らそうとしてくれたようだけど――時間が無かった」
「知っている。だからこそ、最大の敬意をもって殺す」
「いや――終わっているんだ」
「――なに?」
「斬ってしまった。視えなかっただろうけど」
「なに、を――?」
「きみは、もう死んでいるんだよ」
敵の声が、やけに近くで聞こえる。充分な距離を取ったはずなのに、剣士が目の前にいる。己を見下ろしている。
首を斬り落とされていた。
いや、首だけではない。身体中を切断され、バラバラになっている。十七分割されている。
――いったい、いつ……!?
斬られたのか。
魔人には、なにも見えなかった。
☆
もちろん凛音には視えていた。
おじさんが縮地を使って魔人との距離を一瞬で詰めると同時に、『線』に沿って短刀を振るうところを。
切断された魔人が、端から塵になっていく。
凛音の身体から煌剣が消えた。こらえきれずに倒れ込む。
「う、ぐ……」
それを、おじさんが抱き留めてくれた。
「師匠……アキトくん……」
朦朧とした意識の中で、彼の名を呼ぶ。
おじさんは凛音の唇に優しく触れて、
「エリクサーです」
と瓶の口を含ませた。キスしてくれてもいいのにと思った。
「情けないことに、僕はもう、『斬魔』を使えない。力を借してくれますか?」
「どういう……?」
エリクサーが効いてきて、これまで言うことを聞かなかった体が、少しずつ動くようになってきた。
おぼろげな視界がハッキリして、理解した。
魔人が再び復活しようとしている。
塵になった魔人の欠片が、魔素と同調し、渦を巻いて、動画の逆再生のように戻っている。
「ヤバ……!」
あと60秒もすれば復活するに違いない。エリクサーの治癒もまだ完璧ではない。とても戦えない。ていうか無限に再生されたらどうやっても勝ち目がない。
「心配はいりません」
と、おじさんが短刀を凛音の手に置いた。
「これは“竜”を殺すための武器。あなたなら斬れます」
「な、なにを斬れば……!?」
あの塵か? それとも魔素そのものか?
あと30秒。
狼狽する凛音に後ろから寄り添って、おじさんが指をさした。
まるで、星座を示すように。
「落ち着いて。あなたなら視えるでしょう? 天を覆う雪が」
おじさんが剣術を使う。
――七星剣武・天雪。
凛音の目にも、視えた。
渦を巻く欠片の中心に、魔力の球体が輝いている。アレは魔術そのものだ。先ほどおじさんが魔人の再生魔術を斬ったのと、同じことをすれば良い。
出来るだろうか、そんなことが。
「あなたなら出来ます」
おじさんが言う。
凛音は笑った。
「もち! やってやりますよ!」
さすがです、とおじさんが微笑む。
「座標は僕が。実行はあなたが。よろしいですね?」
「――はい!」
凛音は、おじさんと、息をそろえた。
「「七星剣武」」
あと一秒。
――斬魔/花葬。
すっ、と同時に指を振る。ひとりは素手で、もうひとりは短刀で。
零。
渦を巻いて固まろうとしていた魔人の欠片が霧散する。端からバラバラに舞っていく。
散らばった魔素が姿を変える。
それはまるで、花弁。
――サアアァァアァァァァ……。
魔族の身体を得て復活した“竜”は、花が散るように、葬られたのだった。
☆
ダンジョンを魔素の花弁が舞っている。
魔人が集めたものを一度に放出したせいか、ウィンドウに表示されている魔素濃度は300まで上がっている。
とても生身の人間が生きていられる環境ではない。
いつかのようにおじさんを膝枕して、凛音がその頬を優しく撫でた。
「……やっと」
きっと夢を見ているのだと、おじさんは思った。
ひどい魔素中毒で意識がもうろうとするなか、目の前に、どうしても会いたかったひとがいる。
「やっと会えたね、アキトくん」
「リリィ……」
それが、極度の魔素濃度レベルによって完全に覚醒したリリィだと、おじさんは知らない。
ただ、頬に触れられた手を握って、アキト・オージ・アッシュウィーザは涙を流している。
「すまない、リリィ、ごめん、ごめん……僕は、僕は……! 君の死に目に間に合わなくて……!」
リリィが微笑む。
「いいんだよ。あなたはいつも、誰かに幸せを届けるために走ってきた人だから」
泣いているアキトに、リリィはゆっくりと顔を近づけて、
「私はね、とても幸せだったよ」
唇を重ね合わせた。
爽やかな風がアキトの体内を巡る。
リリィが息吹の魔術で、魔素を除去している。
そして、
――待ってくれ。
アキトの意識が遠のく。リリィに手を伸ばそうとしても、動かない。
――行かないでくれ。
リリィの魂が遠のいていく。幻の彼女がこちらを振り返って、ばいばい、と手を振る。その声が聞こえてくる。
『私が起きてると、またダンジョンが“竜”を呼ぶ』
――リリィ……!
『もう少し隠れておくよ。あなたとこの子の記憶からも』
――リリィ!
『そんな顔をしないで。きっとまた会えるから』
彼女は最期にそう微笑むと、花びらに包まれて、消えて行った。
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