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第21話 看病には邪魔なデカブツ



「うぅ~ん……」


 おじさんが苦し気に呻いている。高熱にうなされている。


 凛音の膝枕の上で。


 いや正確には、凛音のぶっとい太ももとでっかい乳房に包まれて、息苦しそうにしている。


 なお本人は寝てる。


 おじさんの苦しそうな息遣いが、下乳で感ぜられるのを、凛音は100%善意から心配していた。


「どうしよう……大丈夫かな……」


 いつも通りの練習だった。


 鏡張りのレッスン室で、一通りの套路を行っていたら、後ろで座って見ているおじさんがずるっと落ちたのだ。そしてそのまま苦しそうに寝息を立てた。


 救急車! と思ってスマホに手を伸ばしたそのとき、


『やめときな、嬢ちゃん』


 と、ぬいぐるみから声がした。


『俺は飛竜のアドってもんだ。旦那の舎弟をやらせてもらってる。あんたの苦労はずっと見ていたぜ。本当によく頑張ったな』

「そんな黄金虎みたいなことを……」


『俺の言うこと、信じるかい?』

「はい。あなたのことは、信じられます」


『なんでだい?』

「直感です」


 アドは笑った。


『なら合格だ。魔術師の直感ってのは馬鹿にできねぇもんだ。嬢ちゃんにはその素質がある』

「魔術師……」


『詳しい説明は省くが、旦那に救急車は不要だ。病院じゃ治らねぇからな』

「ご病気なんですか!?」


『あんたもよく知ってるだろう。魔素マナ症だよ」

「それって……一般の人がダンジョンの魔素マナを吸い過ぎると気絶して死ぬっていう……」


『ああ。旦那は魔術と根性でそいつを抑えていたが、まぁ限界はある。こないだ話してたろ? 自分は数分しかダンジョンに潜れないって』

「それは、はい。だからレッスン室を借りているわけですし……」


『どんなに短くても負債は溜まっていく。疲労と同じようにな。だから俺ァほどほどにしとけっつってんだが、旦那は耳を貸さねェ。それが旦那の良さではあるんだがな』

「……そんなに頑張って、私たちのことを助けてくれていたんですね」


『ここ最近は特にこうして寝込むことが多い。まぁ放っておけばひとまずはよくなる。僧侶の浄化魔法がありゃ気休め程度にはなるが――』

聖水ホーリーポーションを持っています! 効果は同じはずです!」


『じゃあソイツを飲ませてやってくれ。少しは楽になるだろうよ』

「ハイッ!」


 そうして凛音は、おじさんを膝枕して、(下が見えないので)乳房をどかしながら、聖水を飲ませた。


 おじさんは少し顔色が良くなって、寝息も安定し始めた。


 ホッとした凛音は、傍らにいる飛竜ぬいに尋ねる。


「師匠は、治らないんですか? アドの兄貴……アドニキ」

『アド兄貴ニキ!? いやまあいいが……。相変わらず距離感詰めるの爆速だな嬢ちゃん……。普段は黒髪ネクラ地味メガネ爆乳なナリのくせに……』


 ギリ悪口では?


 ていうか属性を盛り過ぎじゃないだろうか。


 いいぞもっとやれ、という声をどこからか受信したのは気のせいだろう。


『旦那の容体だが……。魔素マナ症の完治が不可能ってのは知ってんだろう?』

「はい……」


『現代医療……って言うべきか? 日本こっちの世界でも、完治が出来ない病気っつーのは珍しいもんじゃねぇ。お嬢ちゃんの周りにもたくさんあるだろ?』


「そうですね……。うちの従姉が喘息で、一生治らないって言ってました。でもそれは発作が起きやすいっていう意味で、出来るだけ発作を抑えることはできるみたいで……。普段から薬を飲んだり、ダニやほこりを吸わないようにしたり……」


魔素マナ症もそれと同じだ。ダンジョンに潜らなければ症状は軽くなる』

「けど……」


『本人に治すつもりが無けりゃ、どんな病も治らねぇ』

「ですよね……」


 おじさんはダンジョンへの配達をやめるつもりは無い。


 それは、ずっと一緒にいるアドはもちろん、つい先日友達になったばかりの凛音でもわかる。


『旦那は子供がいなくてな。あんたら職業ジョブ取得者を後継者として、そりゃもう大事に想ってるんだよ』

「わかります。そうじゃなかったら、こんなに苦しんでまで配達しませんよね……」


 ほどなくして、おじさんは目覚めた。


「師匠! 大丈夫ですか!?」

「ああ。その声は……凛音さん?」


「目が見えないんですか!?」

「どうも視界が狭くてね……ここどこだい……?」


 寝起きでぽやぽやしているおじさんは、真上から聞こえる凛音の声に向かって体を起こそうとした。


 どたぷん。


「……とても柔らかくて重量のある天井にぶつかったんだけど、ひょっとして」

「重量があるっていうのは! 言わなくても! いいです!」

「ごめんなさい……」


 凛音に膝枕されたまま、おじさんは『重たい』と言ったことを静かに謝った。



「まさか無敵の小治さんにそんな弱点があったなんてねェ……」


 凛音のマンションの屋上。


 耳にイヤホンを付けた公安の女――内海が柵に寄りかかっている。ぱつぱつのブラウスが押し付けられて、さらにとんでもないことになっている。


「どのタイミングで報告を上げるべきかな……」


 ん~と思い切り伸びをする。うっかり。やっべ、と思ったときにはもう遅い。


 ブラウスのボタンがぶつぶつっと、二つほど弾け飛んで行った。


 限界まで頑張った勇者ボタンたちに、敬礼を送る。



 おじさんはいったん目が覚めたものの、やはりヘロヘロだったので、帰りの運転はアドが自動でやった。


「アドニキ、すいませんっ! 私も免許取りますんで!」

『おう。とりあえず今は、旦那が落ちないようにしっかり支えててくれな」

「ハイッ! ぎゅってします!」


 それからおじさんの借りているアパートの部屋へ行き、


――師匠の生活の匂い……!


 おじさんを布団まで運び、


――師匠の布団の匂い……!


 断るおじさんを強引に押し切って、汗を拭いて、


――師匠の体の匂い……!


 その身体がやけに筋肉質でありながらも、少し痩せていることを心配した。


「師匠……たくさん食べないとダメですよ……」

「食べてるつもりなんだけどねぇ……」


「私の脂肪を分けてあげたい……」

「あなたのは、貯金としての脂肪じゃないでしょう……。むしろお腹周りはとてもスリムですから……」


「わぁ」


 ちゃんと『太ってるわけじゃない』って伝わってるの嬉しい。


「……なんで胸にばかりいっちゃうんだろう」

「ふふ……妻も同じことを嘆いていましたよ……」


 朦朧とするおじさんが、そう答えた。


「何を着ても、太って見えてしまうって……」


 凛音はおじさんの体を拭きながら、


「そうなんですよ~。だから結局、パーカーとかニットになっちゃうんですよね~」

「ふふ。話が合いそうですね、あなた方は……」


――師匠の奥さん、どんなひとだったんだろう。


 アドニキに聞いたら教えてくれるだろうか、と思ったりもする凛音。


「ありがとう……。もう大丈夫です……。凛音さんも配信やレッスンに戻ってください……。僕はもう平気です……からぁ…………」


「いやぜんぜんダメそうですよ師匠。寝ましょう。もう少しそばにいます。いさせてください」

「申し訳が……ない……」

「いいですから!」


 おじさんに寝間着を着せて強引に寝かせた。


 凛音はアドに聞いて、家の中から必要なものを持ってくる。お水とか。タオルとか。ティッシュとか。


「熱はあるけど、風邪じゃないから感染る心配は無い……でも弱ってると風邪になりやすいから……こんな時こそチューバーイーツだ!」


 おかゆを注文した。


 ぺろん、とおじさんのスマホが鳴った。


「仕事……受注……」

「いや違いますから」


 放置していると、他の配達員さんが受注したのか、アプリがおとなしくなる。


 しばらくして届けられたおかゆを食べさせる。


「ああ……やっぱり温かいご飯は良いですね……染みわたります……」

「師匠こそ、いつも届けてくれて、ありがとうございます」


 お水も聖水もたくさん飲ませると、よほど無理していたのか、おじさんは再びすやすやと眠りについた。


「ふぅ……」


 安堵のため息をつく。


『嬢ちゃん、いろいろ助かったぜ。ありがとな』

「いえ……本当に病院行かなくて良いんですかね? 魔素マナ症の治療も受けられますよ?」


『こんだけ重症だと、旦那も色々調べられて正体がバレちまう。そしたらチューブに繋がれちまうだろ?」

「そのギャグはバカウケですけども」


『旦那の正体は、俺から話すことはできねェ。元気になったら聞くんだな』

「ダンジョンの向こうにある異世界から戻って来た救世の英雄って感じですか?」


『察しが良すぎるねェ!』

「当たりだった……ラノベの知識で無双しちゃったよ……」


『じゃあ俺も寝る』

「あ、寝ちゃうんですね!?」


『悪ぃが俺も限界だ。こっちじゃ魔素マナが薄いせいで睡眠が必要なんでな。旦那のことァ任せてもいいか?』

「ハイッ! お任せくださいッ!」


『頼んだぜェぇぇ…………』


 と、フェードアウトしていくアドニキの声。寝たらしい。


 しん、と静まり返る室内。


 すぅ、すぅ、と寝息を立てるおじさんを見る。


 ……。


 …………。


 ………………既成事実、という単語が頭をよぎる。


『そいつァ辞めといた方が良い』

「ひょえぇっ!? アドニキ起きてらしたんですか!!」


 死ぬほどびっくりした。


『旦那は以前、寝込みを襲ってきた暗殺者の首をねじり切ったことがある』

「ねじり切り」


『ハニトラの女も似たような目に遭いかけていた。ぎりぎりで止まったが』

「ハニトラの女」


『旦那なら熟睡中でも嬢ちゃんより強いってのは、言わなくてもわかるだろ?』

「そっスね……」


 ずっとあの『線』をセンサーみたいに張り巡らせてるんだろうな。


 で、間合いに入ったものを自動で反撃するのだ。そういう動作を、反復して体に覚え込まさせてるんだ。


 こう……自衛官が起床時のスピーカーの「ぷつ……(マイクが入る音)」で目が覚めて寝ながら着替えるみたいに。


「怖いっスね……」

『わかったなら良い。じゃあ寝る』


 スン、と再びアドが静かになった。


「ふむ…………」


 凛音は、おじさんを見る。


 凛音は、腰を浮かせる。


 凛音は、振り返る。


 アドは何も言わない。どうやら本当に寝ているらしい。


――舐めたな、アドニキ。私の腕を。


 デカい乳房がぶつからないよう慎重に移動しながら、凛音はにゅるりとおじさんの頭上へ。


――『線』が視えるなら、躱すことも可能というワケよ。


 じっと見つめる。


 顔はカッコいいと思う。


 我ながら恋愛フィルターがかかっているので、世間一般では普通かそれ以下なのだろう。だが、世間の評価など関係ない。いま、自分の瞳に写っているこのひとは、世界で一番カッコいいひとなのだ。


 よし。


 キスしちまおう。


 嗚呼ああ18歳の若気の至り。異性に対して無許可で接吻。バレれば最悪、塀の中。


 知ったこっちゃなかった。


 乳房デカブツが当たらないよう慎重に慎重に顔を下ろしていき――


「リリィ……」


 今度こそ死ぬかと思うほどびっくりした。


 眠っているおじさんの口から、今まさに奪おうとしたその唇から、自分の本名が出てきたのだ。


――名前!? 名前呼ばれた!? ナンデ!?


 冷静に考えれば、おじさんは凛音の本名を知っている。フードコートで友達になった時に話している。LIMEの登録はそれだし、身バレ防止のために外では「赤井さん」と苗字で呼ばれている。


 もっと冷静に考えられたなら、なぜいまこの瞬間に自分の名が出てきたのか、ということに至れたはずだった。


 苦しんで眠っているときに、いくら弟子にしたからと言って、普段呼びもしない名前を出すだろうか。


 恋する乙女は冷静になれない。凛音のショート寸前の思考回路は正解をこう導き出した。


――師匠、私の本名を名前で呼ぶくらい、私のことを好きなのでは……!?


 不正解である。


 が、採点するアドは寝てる。


 凛音は突撃した。それはまるで爆撃と砲弾の雨の中を突っ切る歩兵のようだった。至近弾の炸裂で一度は穴ぼこに頭を引っ込めたが、もう一度這い出て走り始めた。


 おじさんの唇まであとわずか。


 凛音の初キスまであとわずか。


 そのわずかはしかし訪れない。


「リリィ……」


 再び、おじさんの唇が動く。


「許してくれ、リリィ……」


――っ!


 我に帰る。万引きを見つかったガキのように全力で逃げ出す。熱を帯びた頭が一気に冷えた。性欲が一気に霧散した。


「リリィ……許してくれ、リリィ……」


 おじさんは苦しそうに呻いている。悪夢を見ているのだろう。どんな内容か、想像もつかないが。


――嘘。


 嘘だ。容易にわかる。簡単に想像がつく。


 おじさんが、自分の名を口にした意味。


 いや、前提が違う。


 自分の名、ではない。


 たまたま同じだったから。


 亡くなった奥さんの名前が、リリィなのだ。


――そういえば。


 フードコートで初めて名を名乗った時の反応を思い出す。


『知り合いに名前が似てたものですから』


「そっか……」


 ひとつわかると色々繋がってくる。ひょっとしたら、自分のレッスンを担当してくれたのも、名前が同じで、胸が大きいのも同じだったから、近しいものを見たのかもしれない。


「……今でも、好きなんですね」


 記憶の中の大切な人には、勝てないと思う。


 ただ、それでも、許して欲しい。


 悪夢を見て、後悔と懺悔の涙を流すひとの、手を握ることを。


「失礼します」


 声を掛けて、手に触れる。


 大きな掌を、自分の小さな両手で包み込む。


「――大丈夫ですよ。ぜったい、大丈夫です」


 寝息が安らかになる。ホッとした様子で眠っている。


 それは、おじさんが異世界から帰還して、初めてぐっすりと眠れた夜だった。


――おやすみなさい、師匠。


 凛音はおじさんを起こさないよう、心中でそう囁いた。



 その四日後・・・


――な、な、な、なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁー!?


 探検長たんけんちょうこと水鏡みかがみミカンはソレ(・・)に見つからないよう、心中で絶叫した。


 そこで眠っていたのは――『真の魔王』だった。



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