第14話 私のオリオン
第五層、ボス部屋。
凛音がポーションを飲むと、火傷した左半身に激痛が走った。
「ぴぎゃあああああああああああああああああっ!!!」
のたうち回る。身体の中から魔素の細胞を蘇生してくれているのだが、まるで傷のまま温泉に入ったかのように染みること染みること。
「回復魔法ならもっと優しいんだけどな……」
以前、パーティを組んでいた時に掛けてもらったことがある。とても優しい温かさだった。
いま着ているのは、予備のローブだ。ダンジョンで野宿をすることになった場合に備えて、寝間着代わりに持ってきていたのだった。
もちろん、ローブの下はほぼ全裸だが。
「せっかく絵師さんに仕立ててもらったのに……。ポポロンガさん(担当イラストレーター)ごめんなさい……」
体育座りで、ポーションが効くのを待ちながら、ボロボロになった服を見てしょんぼりする。
まったりしているが、内心はそうでもない。
やっと第五層をクリアした達成感もあるが――視聴者数だ。
コメント欄が尋常じゃないくらい賑わっている。
おっぱいに関するコメントは「本気でやめてください」とお願いしたらだいぶ減った。それでもやめない輩はもちろんブロックした。
こちらでNGワード設定をしても良いのだが、『死ね』や『辞めろ』といった強い言葉でもないし、おっぱいコメントしたひとも大抵は24時間後にまた来てくれるので、そのままにしているのだった。
カメラに向かって話し掛ける。
「ふぅ……まだクリアした実感がわかないよ。あと身体が微妙に痺れる……。ポーションってこんな感じなんだね……」
『改めてクリアおめでとう!』
『わかないよねぇ、実感』
『あとから来るよ』
『体が痺れてちゃ動けないか』
『ポーションってマズいの?』
「全身がぴりぴりしてて、動くと痛いかな。ポーションの味は、なんだろ……ソーダみたいな……? 飲むと口の中で溶けるんだよね。液体なのに」
動けないので雑談タイムだ。
ボス部屋は、魔物も入ってこないのだ。
他のVも、『ボスが死ぬ前の部屋』に行くから、ここには来ない。
ひとときの、自分だけの空間だった。
『初見です。クリアおめでとうございます!』
「ありがとー!」
『途中から見てました。アイテムの使い方が上手かったです!』
「そう! 頑張って考えたの! 見ててくれて嬉しいー!」
『格闘技の経験って、本当にないんですか?』
「ないよー! なんかこう……身体が勝手にうごいちゃう」
『すごいw』
『鉄拳魔道士だからな』
『これでここまで来たんだから本当に凄いよ』
「えへへー照れるー」
こんなに褒められたことなんて生まれて初めてかもしれない。
やって良かったVTuber。
『扉、開いてなくない?』
それが最初に気づいたコメントだった。
『ほんとだ』
『押せば開くんじゃないの?』
『いや勝手に開くはず』
「え、なになに?」
コメントの不穏な気配を察して、凛音が尋ねると、
『5層って、奥に扉があるじゃん? ボスを倒すとそこが開くはずなんよ』
『だよな。なんで閉じてるんだろ』
『ボス、まだ生き残ってたりする? グルティーガーってけっこうしぶといよ?』
「え、もう倒したよ……? それにもし生きてても、さすがにここまで時間経ってたら襲ってくるでしょ……?」
『そりゃそう』
『じゃ、なんでだ』
『バグか?』
『ダンジョンに?』
『あるよ、ダンジョンのバグ』
「バグ……?」
『ほら、カナタパーティがいきなりボス部屋に飛ばされたりしたじゃん』
『あー、あったな』
『あとこないだ、チーム杏仁豆腐が8層でパイロレクスと遭遇したって』
『パイロレクスって25層のモンスじゃん!』
『え、ヤバくね?』
じわり、とお尻の下に汗をかく。
『でもボス部屋なら他のモンス入って来れないし!』
『じゃあ何で閉じたままなんだろな』
『凛音っち、扉押せる?』
「や、やってみるね……」
痺れる体に鞭を打って立ち上がる。手でローブの前を隠し、一歩ずつゆっくりと奥の扉へ向かうと、
――ぎぃいいぃぃぃぃ……。
ひとりでに、扉が開いた。
『今かよ!w』
『時間差だったか』
『ビビったな』
「…………ん?」
凛音の目が細まる。
なにか、いる。
扉の向こうに、なにか――。
ぶわ。
全身の毛が逆立った。汗が噴き出る。変奏体が、職業が、本能が、『逃げろ』と全力で訴える。
あの扉の向こうにいる者は、『死』だ。
『どうしたの凛音嬢』
『まだ痺れてる?』
『その先に転移ポートあるよー』
「……いや」
喉が痺れる。まだ姿は見えていない。あちらからも、こちらからも。走れない。足が動かない。負傷によるものだけじゃない。全身が竦んで、動けない。
転移結晶は――ない。
『……なんかいるぞ』
逃げられない。
足音がする。鎧と、武器がこすれる音がする。シルエットは人型なのに、明らかに違う箇所がある。
腕が、六本、ある。
『魔王!?』
『75層のボスだ!』
『勇者パーティがなんとか倒した奴じゃん!』
『なんでここにアイツがいるんだよ!』
『ヤバいヤバい逃げろ逃げろ凛音ちゃん!』
『死ぬぞ!』
わかってる。逃げないといけないのは。
でも、体が動かない。
そいつは重い足音を響かせながら、ゆっくりと凛音の前に歩いてきた。
見上げる。
頭部の角を除いた身の丈が5メートルを超え、その巨体を錆色の鎧で包み、六本の腕にそれぞれ大ナタ、巨人斧、斬馬刀、破壊槌、十字槍、錫杖を備えた『魔王』が、
「あ、あ、あ……」
ローブの前を持つ手が――否、全身をただ振るわせて相手を見上げることしかできない143センチの小娘を睨めつけ、人の言語ではない言葉で、
言う。
【――最奥で待つ者を探しているな】
なんでそれを知って。
【お前は、会えん】
どうして。
【ここで死ぬからだ】
――なるほど。
驚くほど腑に落ちた。確かに自分はここで死ぬのだろう。職業レベルも、探索者としての経験も、実力も何もかも足りていない。『魔王』に立ち向かう何もかもが。
……否。
「個人勢・鉄拳魔道士、紅威凛音……」
ローブの前を持つ手から、震えが消えた。
一つだけ持っているものがある。
「私はVTuberだ! 魔王!」
覚悟だ。
ダンジョンで――VTuberとして死ぬなら本望であるという覚悟だけは、自分を魔王に立ち向かわせる。
ローブを脱ぎ捨てる。腰にベルトで巻いたポーチに手を突っ込み、最後に一つだけ残っていた拘束弾を取り出そうと触れたその時にはもう、
「……あ」
凛音は真っ二つになっていた。
左肩から入り込んだ斬馬刀の一閃は、まるで豆腐のように容易く、職業レベル15の強化された魔道士の肉体を通り、心臓を斬って背骨を断って股関節から抜けて行った。
きん、と凛音の足元へ通り過ぎた斬馬刀が、床をわずかに切り裂いたところで止まった。
不思議な感覚だった。舐めても無いのに鉄の味がする。身体の中を通って行った刀の感触が凛音には『食感』として伝わった。その直後に訪れるであろう衝撃が、どうしようもないほど理解できる。
「あ……」
そして来た。身体を二つに割られた痛みが。声も出ないほどの激痛が。火傷をポーションで治した時のそれなんて撫でられているようだと今なら思う。視界が真っ白と真っ黒に交互に反転して、口から叫びともつかない音が勝手に出てくる。鮮血が、取り返しのつかない命として吹き出していく。
痛みの中で、ようやくそれに気が付いた。
阿鼻叫喚のコメント欄。
そのわずかに上。
アプリが勝手に立ち上がっている。
・「クーポンを使いますか? Y/N」
もう遅い。
けど、もう一度だけ会いたい。
身体が、自分の意志に反して勝手に倒れていく。それでも右手で押そうとする。肘から先に何かが通る。それが魔王の振るった大ナタであると凛音にはわからない。斬馬刀で真っ二つにした後、さらに五つの腕で凛音の肉体を分解切断しているなんて理解できない。
――ああ。
変奏体で死ねば、本体も死ぬ。
――私はここまでなんだ。
意識が落ちていく――。
☆
『おじさんは!?』
『いま渋谷の10層で救助してるよ!』
『間に合わねぇ!』
『せっかく押せたのに……!』
『凛音ちゃん、嘘だろ……!』
『うわぁ、うわぁ、うわあああ』
『やめろよ、もう映すなよ』
『これがダンジョンの怖さだよな……』
『あと少し早くクーポン押せてれば……』
『間に合ったかもな……』
『ひでぇ……ばらばらじゃんかよ……』
『………………おい、アレなんだ?』
☆
温かい光が自分の体を包みこむ。
きっと死ぬときはこうなんだろうと、落ちかけていた意識で思う。
――いや。なんか違うような。
これはいつかどこかで感じた温かさ。
『死』が近くにあって、その分、『生』も傍にあって。
自分が生きていることで、自分が頑張っていることで、少しでも誰かの力になれるような、そんな場所で。
ポーション? 違う。回復の魔法。
でも、今さらどうやっても、自分の肉体は治るはずが無くて――。
――蘇生。
「お待たせしました」
目をパチリと開ける。ばらばらになった体が元通りになっている。目の前にはもう一度会いたかった顔がある。
「チューバーイーツです」
おじさんは、にこりと微笑んだ。
「…………あ、お、あ」
涙が一粒、治されたばかりの瞳から落ちた。
☆
『おじさぁあああああああああああん!』
『おじさんだぁあああああああああ!!』
『おじさあああああああああああん!!』
『待ってたあああああああああ!!!!』
『おじさあああああああああああん!!』
『間に合ったぁあああああああああ!!』
『なんで!? なんで!?』
『転移魔法!? 時空系の!?』
『蘇生って……そんな魔法あるの!?』
猛スピードで流れるコメント欄を横目に、おじさんは立ち上がる。
「お食事の前に、一仕事が必要ですね」
魔王が、立っている。
【きっ、貴様――!】
魔王が、狼狽している。
「貴方の別個体は、『勇者』さんたちが倒しました。75層でね」
【なぜここにいる!? 貴様が!】
「それはこちらの台詞ですよ、阿修羅さん。こんなところに降りてきていいんですか? 第5層なんて低階層、息苦しくて仕方ないのでは? 魔族の皆さんは、魔素が濃い深層でないと、生きていられないでしょう? ああ、これは失礼――」
おじさんは珍しく、相手を侮蔑するように笑った。それが凛音をバラバラにされた怒りから来るものだと、この場にいる誰もが――おじさん自身にも――わからなかった。
「阿修羅は、魔族になれない半端者でしたね。それでよく『阿修羅』だなんてたいそうな名を名乗れるものです。僕だったら、恥ずかしくて表に出られない。なので、」
【させんっ!】
「――塵に返して差し上げます」
魔王が恐るべき速度で武器をふるう。おじさんがカタツムリのようにゆっくりと歩く。世界の色が反転する。復活したばかりの凛音の瞳が、それを捉える。
何もかもが止まったなかで、おじさんだけがゆっくりと進んでいた。
――七星剣武・天雪。
線に沿って。
おじさんと魔王の間に、いくつもの『線』が流れている。
勇者には視えなかったモノが、凛音には視えている。
凛音はその線が『弱点』であると一目見て理解した。剣術の達人には、相手の隙が光って視えることがあるという。きっとアレもその一種。言い方や伝え方が違うだけで、同じモノ。
おじさんを貫く六本の線は、魔王が攻撃する未来。魔王が振るおうとした武器の、一秒先のルート。
魔王を貫く一つの――ただしとても太い線は、おじさんが攻撃する未来。
この反転した世界は、疑似的な未来予知と、敵の弱点看破を可能にするのだろう。
それを証明するように、おじさんは進む。まるで老人が朝の体操に行う太極拳のようにゆるやかに、魔王の前に片足を下ろした。
構えは半身。
握りは縦の拳。
聞こえるはずのない声が聞こえる。
――無刀/剛拳。
スローモーションの世界で、縦の拳が魔王のどてっ腹に吸い込まれた。
すべての『線』が、渦を巻いて収束する。
――ドパッッッ!
時間の流れが元に戻る。魔王の巨体が風船のように弾け飛ぶ。いつかの『勇者』パーティを救った時とは違う。魔王を完全に殺すための一撃を、おじさんは放ったのだ。宣言通りに。
呆然とする凛音。
しかし凛音には、おじさんの力の流れが視えた。生命力たる魔力を、自身の体内で循環させ、何倍にも増幅して放ったのだ。凄い。とてつもない。けれど、
――アレなら、私もできるかもしれない。
夜の海で光るオリオンのように。
己だけの指針を、見つけた気がした。
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