3話 籠の中の隼
「よし、居住スペースからは抜けられたぞ……あとは出口から出て、横浜ブロックに帰るだけ……」
あたりはしんと静まり返り、どんな小さな音もこだまするような深夜、自分の部屋となる予定だった個室から必要最低限の物を持ち出した祝詞斗は、人目を忍んで生活棟の出口へと向かっていた。
「戦いたくない」という理念に従って生きてきた彼は、忘れたくても忘れられない発端となった兄が死んだ日からその理念達成のためなら努力を惜しまなかった。中学では兵役免除の条件である研究職を目指し、猛勉強。持ち前の人当たりの良さと研究者である母親譲りの頭脳を駆使し、見事大学付属高校の特別推薦を勝ち取った。大学へは内部進学を決めたものの、元々文系だった彼はやや理解に苦しむ場面が増え、4年生になった頃には留年一歩手前の成績になっていた。
「……これからどうしようかな。アイドルのほうは外部にはまだオレが合格したって公表されていないはず。他の誰かが繰り上げ合格、か」
大学を卒業したからといって全員が研究者になれる訳では無く国の試験に合格することが必要だった。しかし自分にそんな力がないことは明白だった。
そんな時ふと目に入ったのが、政府のエンターテインメント部門タレントオーディションだった。今思えばどうやって大学の教授や母親を説得したのか、なぜわざわざ未経験のアイドル部門を選んだのか、あの短期間でどうやって学業と同時にダンスと歌を習得したのか不思議でならないが、もはや狂気の域に到達した執念と真偽不明の高性能チップ適性で合格をつかみ取ったのだ。
「あでも……今度は徴兵か。……なんかいい感じに生活に支障がない範囲で兵役免除できるぐらいの自然な怪我できないかな……」
そしてこの執念は、良くも悪くも祝詞斗を盲目にした。
「あそこが出口か……誰もいない、よな」
ぴんと張りつめた廊下を進み、ついに出口まであと少しというとき、誰もいなかったはずの背後から、少年の声がした。
「こんばんは、シュート君! こんな夜中に何してるの? 散歩……な、ワケないよね」
「……っ!三依、さん……」
恐る恐る振り返ると、廊下に置かれた段ボールに足を組んで座る三依がいた。
「夜間の外出にはシンセーが必要だよ? ……それとも、初日から逃げ出すとか、しないよねえ?」
「そんな、そんなこと、するわけないじゃないですか……はは」
こちらを見つめる赤い瞳にいきなり目的を言い当てられ、動揺する祝詞斗。目を泳がせながら否定するが、三依はそれに構わず続けた。
「逃げたいなら、逃げていいよ。そっちのほうがオマエのためになるなら、オマエにとっていい選択なら、ボクは止めない」
「え?」
今度は意外な言葉が飛び出し、フリーズする祝詞斗。ならなんで止めに来たんですか? と言いかけた時、まあ……と三依が不敵な笑みを浮かべた。
「全国指名手配されて、家族ともども一生追われるハメになってもいいって言うんならね?」
「……はい?!」
祝詞斗は指名手配、家族ともども、という言葉にドキリとした。
「そうだよ? ここは政府の中なんだから。オマエは政府とケーヤクしてんの。ここから逃げ出すってことは、政府の命令に逆らうってコト。それはもう、ハンギャクザイだよ? 監視カメラだってそこら辺にあるし? オーディションで個人ジョーホー渡してるし? イッショー犯罪者だよ?」
「カメラ……?……あっ!」
「逃げ出す」ことしか考えていなかった祝詞斗は、その時初めて、廊下に隠すように設置された数台のカメラに気が付いた。いつもの精神状態であれば気が付いていたはずなのに、なぜ気が付かなかったのだろうか。
「それにね、シュート君、カメラなんてなくても、ショーリさんにはぜーんぶバレてんだからね?」
「晶理、さん? ここにはいないじゃないですか?!」
「いるよ? ここに」
三依はそう言うと、少し右手を動かした。すると、辛うじて目視できるほどの細さの真紅の糸が、至る所にピンと張られているのが見えた。
「え……え?」
「ショーリさんはね、すっごいんだから! この糸を使って、どこで誰が何してるか、ぜーんぶわかっちゃうの! ウチュージンをコッパミジンにすることだってできるんだから!ここまで言えば分かると思うけど……まあつまり、ココに来た時から、オマエはもう逃げられなかった、ってコト」
改めてよく見てみると、祝詞斗が通ってきた廊下には、空間を覆うように真紅の「糸」が張り巡らされていた。話を聞く限り、三依もきっと晶理から聞いて自分を連れ戻しに来たのだろう。麟や元康が到着するのも時間の問題であることは容易に想像できた。それに、自分がアイドルとして活躍することを期待している母親まで巻き込むことになるのは、本意ではなかった。
祝詞斗に残された選択肢は1つ。結末は既に決まっているようなものだった。
「……」
「んふふ♪ ボクの言いたいこと、分かってくれたみたいでよかった♪ キョーのことはエライ人には黙っといてあげる! ……ボクだってせっかくのコーハイがいなくなるのは嫌だし?」
言葉を返す気もなくした祝詞斗は、明日は早いんだから、早く寝ないと! と明るく話す三依に着いて行くしかなかった。




