32話 今はもう
「さあ、ついたぞ。懐かしいなあ、祝詞斗がまだ幼稚園だったころはよく行ったな」
「……そうだね、兄さん」
緑色の木々に囲まれた静かな公園。木製の遊具が並び、兄弟を歓迎するようにあたたかな日が照らしている。大和記憶の中の兄と寸分たがえない兄の言葉に曖昧に相槌を打った。
「今日はなにから遊ぼうか? 滑り台か?」
「……やっぱり。オレの記憶にないことはできないんだね」
かつて自分がいた場所にむけて体をかがめて話しかける兄、千鶴をじっと見つめながらここまでの道で得た情報を整理していた。
もうあの日の何も知らない子供ではなく、新人といえども精鋭部隊の1人である。自身の記憶と目の前の出来事を比較し、この夢は地球外生命体が祝詞斗自身の記憶をもとに作っているものであると判断した。なぜこの記憶が選ばれたのかは不明だが、地球外生命体の戦略であることを考慮すると恐らくトラウマの想起による精神的負荷か、潜在的な願望――祝詞斗の場合は「兄を失いたくない」になるのだろうか――を叶えることでこの夢幻空間に閉じ込め続けるかのどちらかだろう。
「俺と遊べるのがそんなに楽しいのか? 大和」
「あと、オレ、大和だから。兄さんは祝詞斗なんて知らないから」
そしてもう1つ。どうやら地球外生命体は完全に記憶を読み取れたわけではないらしい。兄であるはずの千鶴は祝詞斗の本名を知らないはずがない。しかも少しでも公園への道を外れれば、たちまち景色は靄のかかったようにぼんやりとし、その先にはガラスのような壁で覆われていた。
「どれだけ杜撰なんだよこの夢……」
これではまるで思い出を踏みにじられているようではないか。祝詞斗はふつふつと沸くいかりを感じると同時に、ほんの少しでも兄に再会できて嬉しいという感情を持った自分を呪った。
千鶴は相変わらずいるはずの自分の後を追いかけている。こんな光景を見せられるぐらいなら、いっそあの壁もろとも粉々に砕いてやろうか。そんなことを思いながらふと頭上に広がる青空を見あげた時、ほんの一瞬、黒い影が見えた気がした。
「っ……そうだ。もうすぐ、兄さんが、地球外生命体が来て、兄さんが……」
怒りの代わりになだれ込む、忘れることのできない赤く染まった兄の姿。そんなことなど知らない千鶴の笑顔を瞳に映しながら、祝詞斗の鼓動はけたたましく音を立てる。
「あんなの、もう、見たくない…………今のうちに、ここからいなくなれば……」
鼓動に引っ張られるように呼吸も速く浅くなっていく。米粒程度だった黒い影は、今やタコのような姿をはっきりと捉えることができる大きさにまで近づいていた。もう数分もすれば、あの惨劇は夢のなかでも起こるだろう。祝詞斗は地面に落ちたゴミを避けるように――ごく自然にその場から立ち去ろうとしたが、ふと何かに気がついたように足を止めた。
「待て…………地球外生命体、今なら倒せるんじゃないか?」
――それは、嫌なこと「逃げる」ことで生きてきた彼の本能から――
「だって、晶理さんも『地球外生命体に何らかの方法で捕らわれたときは内側から攻撃しろ』って言ってたし」
――信頼できる仲間の教えから
「それに、俺が地球外生命体倒せれば、兄さんは、死なない……あれを見なくていい…………それ、なら」
嫌な記憶から逃げるために逃げていた「戦うこと」から、今だけは逃げないと決めた。
何も知らずに遊んでいる千鶴の頭上に迫る地球外生命体。祝詞斗は空を鋭く睨みながらゆっくりと銀色の爪を構え、ぐんぐんと下降するそれに標準を合わせる。
「……今」
彼の記憶の中では幼い祝詞斗に襲い掛かった地球外生命体に、今は祝詞斗が飛び掛かる。地面を蹴り、瞬く間に射程圏内まで飛翔する。驚いたようにうめき声をあげた地球外生命体。現実にいた巨大な地球外生命体のような触手を伸ばして彼を放そうとするが、祝詞斗の銀の爪があっという間に切り払った。
「可能性としては考えたけど、こいつだけはオレの記憶通りの動きじゃない。もしかしてオレのこと、殺……」
あの日の記憶では、兄と自分を襲った地球外生命体にこんなどす黒い触手はなかった。つまりこの地球外生命体は、親玉によって何らかの目的のもとで作り出されたもの、ということになる。
「……いや、今はいっか」
何が目的なのかはわからないが、今確実なことがあるとすれば、この敵は倒したほうがいいということだ。
「もう、兄さんは傷つけさせない。……あの時とは違うんだ」
触手を切り裂かれ、体制を崩した地球外生命体。祝詞斗はそれを空中で組み伏せるように乗りかかり、右腕の鍵爪を振り上げる。
「……今はもう、強くなったんだ」
時間にして数秒、陽の光を反射しきらりと輝く爪が地球外生命体を両断した。うめき声を発することなく塵となりきえる地球外生命体。それと同時に、パキン、という音とともに見える景色のいたる場所にガラスが割れたようなひびが走った。
「やった……のかな」
祝詞斗は地面に向かって降下しながら周囲を見回す。ぴたりと止まった木々の揺れ、満遍の笑顔のままブランコへ歩き出したままの兄。徐々に大きくなったひびの間から漏れ出す眩しい光。近いうちにこの空間との別れが訪れることを理解した祝詞斗は、記憶の中と変わらない笑顔の兄にそっと呟いた。
「……じゃあね、兄さん。こんな形だけど、会えて……うれしかった」
そして、ひときわ大きい破裂音とともに、祝詞斗の視界は白い光に覆われた。




