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第53話「獣印」

 学院準備室。

 リーネットが去ってからも、室内では静寂が漂っていた。


 彼はイスに座った状態で、うなだれたままぐったりとして動かない。

 身体中には黒い花とカミソリが飛び出ており、一種のオブジェクトと化していた。


 目は虚ろで、しかし手には空の薬莢がふたつしっかりと握られている。

 

(身体に、力が……入らない。存在維持がムズくなってきた。明日くらいが、限界かな。……どうなるんだろ)


 しばらくすると、身体が少し軽くなる。

 ルヴィアとラナフィーに会い、怪能を今日回収することを決意した。

 鉛のように重い身体にむち打ち、準備室を出る。


(彼女らはもう回復しただろう。寮までは入れないから……廊下とか歩いてくれていると嬉しいな)


 眩暈までして最悪の気分だった。人通りをかまうことなくしんどそうに進む。

 街中でこんな歩き方をする人間がいれば、絶対に怪訝な顔をするだろう。

 そして何人かは心配してくれる、ハズ……。


 そんなことを妄想し、しんどさから逃避していたとき、周囲がざわついていることに気がつく。

 《《同時に刺さる自分への視線に顔を歪めていった》》。


「もしかして、アナタがミスター・カプノス?」


「────……え?」


 女子生徒が恐る恐る話しかけてきた。

 カプノスとその少女と目と目が合い、これが現実であることを悟る。


 少女だけではない。皆に自分が見えてしまっていた。

 周囲の声が大きくなるにつれ、カプノスの中で警鐘が早なる。


「うそ! マジで!?」


「カメラ映せ! ……あ、ダメだ! スマホじゃ映らねえ!!」


「な、なんだ? これは一体……」


「こ、コイツだ。コイツだぞ! コイツが事件の黒幕だ!」


 カプノスに生徒たちが押し寄せる。

 始業15分前ということもあり、その勢いは並ではなかった。

 皆、彼を追いかけまわす。


 カプノスは息せき切って全力疾走。

 怪能を持たない人間に触れることは叶わないが、それでも若さゆえの勢いが恐ろしかった。


「────……うわっ!!」


 この身の苦しさに鞭打って走っていたら、階段を踏み外した。

 そのまま真っ逆さまに転げ落ちる。

 間抜けなダメージで悶絶していると、大勢の生徒たちが追いついてきた。

 しかし……、


「おい、いないぞ!?」


「どこ行きやがった!?」


「まさか、一瞬で消えたの?」


「探し回りたいけど……く、授業がそろそろ始まる」


「やべ、宿題まだできてなかったんだ……」


「一旦引き上げよう」


「私、アダムスカ君にメッセージ送っとくね」


「おう、そうしてくれ」


 再び皆には見えなくなった。

 助かった、そう思えどすぐに自分の存在の変異がここまでのものになっていると驚いた。


(ここまで来ると、いつほかの人間に見えてもおかしくないな……クソ、動きづらくなったな)


「……あれ、先生。こんなところでどうかされたのですか?」


 通りかかったルヴィアに視線を上げる。

 心配そうにする彼女を見て、ポケットの中の空の薬莢のひとつに手をかけた。


「よかった……君を探していたんだよ」


「私を、ですか? 先生からお話に来てくださるだなんて珍しい」


「あぁ、ちょっと付き合ってくれるかな? 誰もいないところで」


「! ────……はい」


 ルヴィアは微笑んで、カプノスの手を取り廊下の奥へと向かっていった。

 ここから先は、もはや語るまでもない。


 ルヴィアはカプノスの様子を見て、察した。

 ついにそのときがきたと、心を決めた。

 その決意の表れが、ほろりと温かい一筋の涙だった────。


 ルヴィアから怪能をいただき、探し出したラナフィーと一戦まじえ奪った。

 これ以上ないくらいに疲弊したカプノスは、例の実験棟まで足を運ばせる。


 いつもなら数分でつく道のりが、何時間も続く旅路にすら感じた。

 


 一方、学院をほっぽってでたもうひとり。

 ロベリアはいつもの制服姿ではなく、白のオフショルダーと黒のパンツに身を包み、薄めの化粧で整えて街を歩いていた。


 元々のスタイルの良さもあり、大人と見まごうほどの美貌とオーラを放つ。

 誰もロベリアが平日に歩きまわる少女などとは思わない。


 深夜に言ったとおり、色んな店を回って楽しんでいた。

 店で買ったアイスカフェオレとドーナツを手に、噴水近くのベンチで涼む。


 正午までの美しきモラトリアム。

 吹き抜ける風が、かつて病んでいた肺いっぱいに澄み渡っていく。


 ふと色とりどりの人模様が視界に映った。

 仕事をする者、観光客、育休かなにかで仲良く歩いている家族たち。

 ロベリアには決してつかめない人生の持ち主たちの顔色はあまりに眩しい。


 しかし、その眩しさは惨劇という闇に染まる。

 その張本人になることに、一切の罪悪感はなかった。


 黙示録を描くための第一歩として、一瞬の隙をつき彼女は通行人からタブレットを奪った。

 通行人の個人情報は興味はない。

 大事なのは世界中ありとあらゆるものに繋がることができるネットワークだ。


「端末のスペックはいらない。《《ワタシ》》があればそれで……」


 呟くロベリアの右手が青白く透き通る。

 指先が液晶画面に触れると、水の波紋のように揺れて、そのまま奥へと入っていった。


 限りなき変幻自在の能力で、自らの手を直接電子データに触れられる形状に変形させた。

 目的はデータの盗み見、およびそれに伴うハッキングである。


 その手は鮮やかなもので、現代に生きるハッカーでは成し得ないほどの速度だった。

 宇宙を漂うすべての人工衛星、そのコントロールセンター。

 次にこの街の全システムを静かに掌握。


 ここまで誰にも気づかれていない。

 すべてが自身の手にあるにも関わらず、日常はなお巡り続けている。

 ここからちょっと念じるだけで、街はパニックになるだろう。


 天と地は、ロベリアにひれ伏した。

 次に世界中の複数の企業・軍事施設に同時ハッキング。

 

 使えそうな開発・研究・軍事兵器をそれぞれピックアップし、自身の中でアイデアをまとめる。


 ここまで────たったの1分半。


「さ、あとは正午まで微調整しながら散歩しよっかな……ん?」


「……」


 視線を上げると正面に小さな女の子がいて、つぶらな瞳でロベリアを見ていた。


「これあげる。お姉ちゃんもういらないから」


「ほんとに?」


「うん、じゃあね」


「ばいばーい」


 にこやかにタブレットを手渡すと、ロベリアは笑顔で去っていく。

 ふと、上空を見上げると人工衛星の気配を感じ取った。


 早速、ディライラによるアクセス。

 仇敵リーネットの詳細な位置情報が、瞳に映し出される。


 ここから西北西の地区だ。

 交通量の多いこの場所はこの街の心臓部とも言っていい。

 高いビルに囲まれた歩道には仕事人や観光客でごった返している。


 ロベリアは付近の防犯カメラをジャック。

 目をギラつかせながら歩いているリーネットをクリアに見つけた。

 

(ほんの少しだけ、困らせちゃおっかな)


 この瞬間、かの地区で信号が狂い、けたたましいクラクションとともに轟音が響き渡った。

 悲鳴と怒号が飛び交い、街は一気に騒然となる。


 その中で、リーネットは顔を強張らせていた。


「なんだこれ? 急に信号が変わって……」


 さすがの彼女も異変を感じ取り始める。

 これはなんらかの攻撃、いや、おそらくは警告だ。


 これから戦う相手は、これだけの力を持っているのだぞという、リーネットへの顕示。

 さらには建設現場から鉄骨が複数歩道に落下し通行人を圧し潰すなど、この地点で未曾有の被害を生んでいた。


「上等だよコノヤロウ……ッ!!」


 鶏冠に来たリーネットは走り、ロベリアを探す。

 ゆく先々で死傷者が出ながらも、足を止めることはない。


 その様を、ロベリアは優雅に《《観》》ていた。

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