第46話「年貢の納め時」
カプノスは歩く。
なるべく人気がない棟を、気分転換がてら歩く。ただ歩く。
アダムスカのあの目が忘れられない。
怪異である自分を圧倒するほどの、気味の悪さ。
あまりにも気に入らない。
それは初めて出会ったときからそうだったが、より鮮明にイメージがこびりついてイライラする。
「────誰だ?」
気配を感じ、背後を振り向いた。
自分を見えるのは怪能の持ち主、そしてアダムスカ。
またアダムスカなのかと身構えたが、そこには────。
「お久しぶりですわ」
楚々とカプノスに首を垂れる女子生徒、レイカ・クロユリだ。
「君は……」
「レイカと申します。こうしてキチンとお話するのはこれが初めてですね」
「そうか。ミスター・カプノスだ。都市伝説……もっとも言えば怪異だ」
「カプノス様。ふふ、どうりで敵わないはずですわ。ところでここでなにを?」
「まぁ、ちょっとね」
「あ、申し訳ございません。変に詮索するようなことを……」
「いや、いいんだ。こっちの話さ。それで、わたしになにか用かな?」
彼女はもう怪能は使えない。
カプノスのことが見えているのは、おそらく後遺症のような現象。
次第に見えなくなっていくだろう。
特にそのことには触れず、当たり前のように話した。
「ひと言、お礼が言いたかったのです」
「お礼? 恨み言じゃなくって?」
「最初は恨みもありました。でも、だんだん落ち着いてきて目が覚めたのです。アナタはわたくしを解放してくれたのだと」
「そんな大層なもんじゃない。何発も撃ったしね」
「……わたくし、ここ数日アナタをずっと見ていました」
「そりゃあ、気がつかなかった……」
「今日、ようやく勇気を出して話せました。もう今日しかないだろうから」
「と、言うと?」
小首を傾げるカプノスをジッと見つめるレイカ。
彼女の目にはもう、彼が薄っすらとしか映っていなかった。
半透明な身体を通して、奥へ通じる廊下と電気が消してあるいくつもの教室が見える。
「いいえ、こちらの話です。お気になさらず」
「そうかい。ならいいんだが……」
「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。わたくしのワガママにお付き合いいただきまして、ありがとうございました」
「そんなにかしこまらなくていい。ちょっとこっちも神経質になっていたころだったんだ。いい話し相手に巡り合えてホッとしたよ」
「そうですか。それはなによりですわ」
「じゃあ、わたしは失礼するよ」
カプノスは踵を返し、数歩歩いた。
しかしすぐにうしろを振り向き、
「なぁ君」
「なんです?」
「死ぬなよ?」
「────え?」
「あ、いやごめん。なんだか、そんな顔してたから」
「クス、面白い方ですね。お気遣いありがとうございます」
「どうも」
微笑むカプノスが曲がり角を曲がる瞬間まで、ずっとその背中を見送っていた。
「死ぬなよ」という言葉が、心の深層部分に沈殿していく。
そんな感覚に、より息が詰まった。
しばらく立ち尽くしていると、うしろから声をかけられる。
「先生が誰と話しているのかと思えば……アナタでしたか」
「アナタは確か……同じクラスの人、でしたっけ?」
「ルヴィアです。怪能の持ち主と言えばわかりますね」
「あぁ、なるほど」
レイカは力なく微笑んで見せた。
「先生、というのはカプノス様の呼称ですね」
「あの人となにを話していたのです?」
ルヴィアの瞳に警戒の色が濃く表れている。
盗られるかもしれないという焦燥感。
それを見抜いたレイカは、微笑みを崩さずに諭した。
「ご心配なさらずとも。わたくしはあの方に最後の別れを言いに来たのです」
「最後の?」
「数日前からずっと、あの方を見ていました。いつお声をかけようか迷っているうちに……もう、姿が朧気にしか見えなくなってしまったのです」
「……」
「明日にはもう見えなくなっているでしょう」
レイカが向ける寂寞の眼差し。
ルヴィアの目から力みが取れていった。
「これまでのことが祟りました」
「と、言うと?」
「両親からのしっ責ですわ。進級すれど才を開花させたわけでもなく。期待に応えられなかった。挙句不登校になってしまった。名家の看板に泥を塗ったと。電話越しですが勘当同然の扱いであることはわかります」
「勘当っていくらなんでも発想が飛躍し過ぎでは?」
「いいえ。元々わたくしに対する愛情など、そんなものです。……3年生になるまで、なにも成果を上げられず。挙句引きこもり、怪能によって皆様にご迷惑をおかけした。すべては、わたくしが無能であるがゆえの責任です」
レイカは澄み切った表情でルヴィアに向き直った。
「わたくし、今夜にでもこの学院を出ます」
「は!?」
「どこか遠くへ行きます。もう、なにもかもどうでもいい」
年貢の納め時。
彼女の明るい諦めの色を見て、リーネットの言葉が脳裏によぎる。
レイカのかいつまんだ説明だけでは、なぜその発想に至ったのかまるで想像がつかない。
しかし今、彼女は孤独の極致に立ってしまっている。
かつての自分と同じように。
「では失礼いたします。ルヴィア様も、どうかお元気で」
「あ……」
去っていくレイカの背中が、なんとも言えない切なさを醸し出していた。
怪能の持ち主の末路のひとつを暗示するように、その光景はルヴィアの心を深く抉る。
リーネットの言うとおりなのかもしれないと、ここで思い立った。
カプノスのことが好き。しかし、人間を愛するようにはいかない。
夢から覚めるべきなのは、自分自身なのかもしれないと重く苦しい善心がよぎる。
「先生、帰りたいですか? 私はアナタに帰ってほしくないです。ずっとこのまま穏やかで、たまに騒がしい日々が過ごせればいいなって。……でも、無理なんですよね? もう、終わるしかないんですよね」
ルヴィアは独り言ちに踵を返し、カプノスとは逆方向へ向かった。
ラナフィーを探し、説得する。
ルヴィアはカプノスを元の場所へ帰すための覚悟を決めた。
そこから先のことは考えていないが、今できることをしようとほのかに零れる涙を拭う。
説得結果は、半分成功と言ったところ。
怪能返還そのものは後ろ向きだが、ロベリアのことを話すと表情が変わった。
ロベリアは初めからラナフィーのことなど歯牙にもかけていないと伝えると、それが癇に障ったようで、奴を倒すために協定を結んでくれた。
(待っていてください先生。必ずアナタのお役に立ちますから)




