第45話「布告前」
次の日、リーネットはまた身体の違和感を覚えながらも登校していた。
しかし、母親からのメールを見てさらに気を落としそうになる。
『リーネットへ。例の人とは連絡は取りあってる? しつこいようだけど、こういうのは最初が肝心なの。アナタが昔から人と話すのが苦手なのは知ってるわ。でもお話して親睦を深めるって大事。言うまでもないけど、時間はあっという間。女の子はね、付き合ってからも結婚とか出産とか年齢とともに色々考えていくものなのよ。彼は前の彼女さんのこととかあるから自分からは連絡しにくいと思う。だからアナタから連絡して安心させてあげて。お母さんはアナタを応援しています』
あの上級生のことが好きであることを前提に書かれたメールに、リーネットは眉間をつまむようにして目を伏せ天を仰いだ。
このメールは娘の幸せを望む母として当然のものなのだろうか。
誰がどう見ても、普通のことなのだろうか。
リーネットの歪んだ心でいくら考えても、判別がつかなかった。
あの上級生にも、母親が望む青春にも興味がない。
この清らかな呪いを唾棄するように削除した。
スマホを乱雑にポケットに入れ、再び中庭を歩く。
アダムスカやロベリアに目を付けられているという事実がまとわりつく以上、これまでのように優雅に振舞えない。
それは、この怪能を巡る戦いも最終局面であるということの現れだ。
ゆっくりはしていられないなと思い再びルヴィアを探す。
昨日は色々あり過ぎてもう途中で諦めてしまったから。
しかし……。
「クソ、また熱かぁ? 起きたときは大丈夫だったのに」
明らかに気分の波で起こされる異常ではない。
怪能による影響のひとつだろうかと、ここでやっとその思考に行き着いた。
「そういや、元々人体に悪影響を及ぼすって言ってたっけ? クソ、なんだよ融通きかねえなあ」
リーネットは気づいていないが、また背中からあのバネの形をした小さな光が伸びていた。
カプノスが拡大する噂に肉体を蝕まれるように、リーネットもまたビヨンドに蝕まれている。
────ビヨンドは、さらなる領域へと踏み込もうとしていた。
「身体がバネにならねえぞ。なにかに触れてもバネにすることもできない。なんだ……? まさか、ビヨンドが暴走しているのか?」
怪能を操れるあの万能感がない。
今は完全にコントロールの外だ。
しかし、奇妙なことにしんどいだけで不安はない。
むしろネガティブな感情が抽出され、背中から出ていくような感覚がしてきた。
……このとき、バネの形をした光が少し長くなっていた。
だんだん背筋が伸びてきて、汗もひいてくる。
視界と思考がクリアになっていき、心臓にまとわりつくムカつきも消えていった。
背中の光も消えた……。
気がつけばいつものような足取りで、廊下を歩いていた。
授業はすでに始まっており、生徒のほとんどは見かけない。
もう両親はいないだろうから、楽に歩ける。
「リーネット、さん?」
「おう、ルヴィア」
「こんなところでお散歩なんて珍しいですね」
「まぁな。昨日は悪かったな。アタシ寝てたろ?」
「ええ、邪魔で仕方ありませんでした」
「潰されなかっただけでも御の字だな」
「……?」
「なんだよ?」
「いや、なんからしくない返し方って思って」
「優しいアタシもセクシーだろ」
「はぁ?」
「もっと優しくしてやろうか?」
「けっこうです」
冷たくあしらわれた。
このやり取りも、もうすぐ終わる。
ふとそんなことがリーネットによぎった。
「……ど、どうしたんです?」
「なんでもねえよ。カプノスのところ行きたいんだろ? 行けよ」
「言われずとも、と言いたいところですが、今日は準備室にはいないんですよ」
「いない? じゃあどっか散歩かな」
「だといいんですが……。最近は例の探偵が動き回ってるみたいで煩わしい」
「アンタのこともマークしてるってよ」
「────殺したほうがいいかしら」
「やめとけ」
「アナタにしてはずいぶんと穏便な考え方ですね」
ルヴィアは終始気味悪がっていた。
自分でも自分らしくないと思えるが奇妙でならない。
「なぁ、アンタはもう覚悟決めてんの?」
「なんの?」
「怪能を手放す覚悟」
「……」
「カプノスは、自分の居場所に帰りたがってる」
「……そうですね」
「どうする?」
「まだ、決めていません」
「アタシはな、アイツを返してやろうと思ってる」
「また珍しいですね。なぜ?」
「アンタ風に言うと、惚れた男の弱みってやつ?」
「アナタからそんなセリフが出てくるなんて、生理的嫌悪感しか湧きませんね」
「ハハハ、違いない」
「人を好きになれる感性が、アナタにあるとは思えませんから」
「言ってくれるね。ま、正解だ。……アイツを返したら、アタシの学生生活もようやく終わる」
「どういうこと?」
「辞めるんだよ」
ルヴィアの瞳が収縮し、身体が静かに強張った。
リーネットは窓の外の、熱気を含んだ穏やかさに目を細めた。
「元々、魔導士の才能なんかねえし学院にいてもつまらんし。アタシにゃ向いてなかったんだよ」
「辞めたあとは?」
「考えてねえ。アンタはどうするんだ? 言っとくが卒業はムズイだろ。ここまで来たら」
「私は……」
「年貢の納め時ってやつだ。ラナフィーにも言っといてくれよ? どうせアタシの言うことなんか聞かねえから」
「あ、ちょっと!」
「逮捕まではされねえと思うが、お互いやれることはやろうや」
ルヴィアをその場に残し、リーネットは別方向へ移動した。
その際、思わず拳を握る力が増す。
学院を辞める。
その先は考えていない。
それがどれだけ無鉄砲なことかは、理解しているつもりだ。
だが、これもひとつの形だとリーネットは思った。
カプノスが夢の中の世界へ帰るように、自分もいるべきでない場所からいなくなる。
それだけのことと考えた。
リーネットは勉強が嫌いだ。
そもそも、学校そのものが嫌いだ。
やりなさい、行きなさいと言われようと言われまいと、しみついた拒絶反応は拭いえない。
しかし、周囲の人間は内心どう思っていようと当たり前のようにそれをこなせる。
勉強も学校も、それが普通であると。
そんな普通が、リーネットは昔から中々こなせなかった。
普通のことをこなすのに、何呼吸も置かなければスタートラインに立つことさえ難しい。
普通にこなせるという一点において、目まぐるしく進める彼ら彼女らは、普通と言うものを当たり前のように口に出せる彼ら彼女らは、
────リーネットにとってはあまりに大きな《《怪獣》》だった。
そんな表現をしたところで、理解し寄り添ってくれる人間はいない。
ましてや両親では、無理だ。
しかしどう言ったところで、普通こそ正論。
王道・オブ・王道。
リーネットには、否定の余地が見当たらない。
普通という道は、あまりに険しかった。
不可能図形で描かれた階段を上り下りしているかのような。
いつしかそんな迷妄に取りつかれている。
そんなときに手に入れた怪能。
飛び越えた。
また飛び越えた!
有象無象の怪獣たちの歩みが遅く感じるほどに、軽快な跳躍で。
その先で出会った怪異、普通ならざる者。
ミスター・カプノスとの日々が、リーネットをさらに変えた。
悪夢のように、楽しい時間。
その代償を払わないわけにはいかない。
不思議と逃げようとは思わなかった。
「ロベリア……」
最後の敵の名を呟く。
闘志が湧いてきて、憂いを残した目つきにも、鋭利な漆黒が宿る。
リーネットはロベリアのいる学院治安部の部屋へと向かった。
────宣戦布告だ。




