第41話「会合」
怠さが心の底に沈殿していく。
内臓を下へ押し込まれるような圧が、足取りを鈍くしていった。
最近、自分の様子そのものが変だ。
リーネットは柄にもない不安を覚える。
意味もなく廊下を歩き、色とりどりの顔模様とすれ違った。
あの特異な日々が今日になって一気に色あせて見えてしまう。
「クソだりぃ」
独り言ちに廊下進んで、また一難。
「リーネット……貴様っ!」
(ゲッ! オヤジだぁ……)
ありとあらゆる血管が切れる一歩手前のような鬼の形相。
こうなると話が長いどころではなくなる。
「お前と言う奴はいつもそうだ……私から逃げることばかり」
「ウザいし臭ぇからな」
「お前がろくでなしだとわかっていれば……ッ! 引き取ったりなどしなかったッ!」
「そりゃ残念」
「返せ。お前をここに入れた際に払った金は、私が血のにじむような努力をして得た金だ。返せぇ……ッ!」
「お偉いさんに言え」
「このッ!!」
頭に血が昇り過ぎて暴力すらもいとわないようなオーラを纏い始めた。
小さいころ、彼にこうして殴られそうになったのをふと思い出した。
なにをやったかはもう覚えていない。
その後どうなったかも覚えていない。
殴られたかもしれないし、そうでないかもしれない。
避ける気はしなかった。
しかし────、
「あらあら、ご家族と楽しくお話かしら?」
父親の背後。
廊下の奥からそっと現れたのはロベリア・ロベリアであった。
父親は勢いよく振り向き睨みつけたが、彼女が誰であるか理解した瞬間、一気に怒気が消え失せる。
「ハッ! こ、これはこれは! ロベリア家のご息女ではありませんか!」
「ごきげんよう。カルミア家の当主様」
「こらリーネット! ご挨拶をせんかッ! このお方をどなたと心得る!? ロベリア家がご息女。ロベリア・ロベリア様であらせられるぞ!」
(────コイツが、ロベリア)
「いいえ、かまいません。どうぞ頭をお上げになってください。ワタシはこの学院の一生徒。父兄の方々に対し尊大に振舞うつもりは毛頭ありません」
「で、ですが……」
「それにですね。うふふふ」
ロベリアは微笑むと、軽やかにリーネットの隣に。
「リーネットさんとは、とても仲良くさせていただいているんです。まるで本当の姉妹のように!」
手を繋いできた。
これにはリーネットも恐ろしいものを見るようにギョッとする。
ガッチリと握られ容易に離すことはできないどころか、下手な動きをすれば殺すといったような含みすら感じ取れたため、うかつに動けなかった。
そんなことも露知らず、父親の表情はまるで天の救いを得たようにパァーッと明るくなる。
「そ、そうかー! ワハハハハハハハハ! そうかそうかリーネットォ! お前と言う奴は、ワハハハハハハ! うむ、父として誇らしいぞ! このお方の言うことをしっかりと聞きなさいッ! では、わたくしはこれにて……ハーッハッハッハッハッハッハッ!!」
ロベリア家との繋がりができたと思ったのか、上機嫌で去っていった。
それをふたりで見送った。
だが、ロベリアはリーネットの手を離そうとはしなかった。
「おい、いい加減離せよ」
「あらどうしてぇ? ワタシたち、姉妹のように仲がいいんですよ?」
「初対面だろうがクソアマ!」
「あら口が悪いのね」
ギュウウウウッ
「ぐっ!?」
「うふふふ、仲良く歩きましょうね」
あまりに馴れ馴れしく、そして静かなる邪悪な圧があった。
これまでの怪能の持ち主とは一線を画す力が、ロベリアにはある。
直感したリーネットは、仕方なく応じることにした。
「……おい、どこまで歩く気だよ」
「ちょっとしたお散歩よ。でも、そうねえ。だったら屋上がいいかな」
砕けた口調で、屋上の鍵を見せつけながら指先で弄んでみせる。
「オイ、職権乱用じゃねえのか?」
「いいんですよーだ」
「だからいい加減離せって」
しかしリーネットを無視するように、屋上へと真っ直ぐ向かう。
奇妙な感覚が、リーネットの時間を支配した。
いけ好かない女のはずなのに、どこか悪くないと思ってしまう。
屋上へついたとき、ようやく手を離された。
日が傾いた校舎とグラウンド。
暑さを残した屋上に風が吹き、熱をわずかながら逃がしていく。
「綺麗ね」
「……」
少し離れた位置で、リーネットは金網に持たれながら学院の外を眺めた。
学院に入ったころはそう思えたかもしれないが、今はもうない。
クソッタレ。
それしかワードが思いつかない。
「ねえ、リーネットさん」
「ンだよ」
「カプノスさん、今どうしてるかしら?」
「本人に聞け」
「会話くらいしてくれてもいいじゃない。アナタ、父君に叩かれそうになってたでしょ? ワタシが助けてあげたのよ」
「余計なお節介だな。そういうのが1番ムカつくんだ。おう、憂さ晴らしついでにここでやるか?」
ロベリアは景色から目を放さず、殺気には目もくれなかった。
「ねぇリーネットさん」
「さっきからなんなんだよ!」
「カプノスさんのこと、好き?」
「────」
突然の問いに苛立ちが一気に消えた。
「……ワタシはね、彼のことが好き。小さいころからよ。まだワタシたちがあの孤児院にいたもっと前から。夢で見たの。悪い夢の中で、ワタシを暗闇から救ってくれた。素敵だった。映画とか漫画とかでも凄いヒーローはたくさんいるけど、あの人よ。あの人じゃなきゃダメ」
「自分語りか? 気持ち悪ぃな」
「ワタシはね。彼のお嫁さんになりたいの」
「は? ……え、は!? マジでなに言ってんだ!?」
「本気よ。ワタシは彼を愛してる。今夜にでも告白する」
リーネット、絶句!!
「彼の傍で、お仕事を手伝うの。彼を支えたいの。いつまでも添い遂げたい。そのためならこんな現実世界捨ててもいい。────ワタシの怪能なら、それができるかもしれない」
「冗談だろ? そんなの、できるわけ……」
「できないと思うのかしら?」
まるで至近距離から巨大な魔物に睨まれたかのような邪悪な圧力。
思わず身構えた。それこそ、腕を伸ばして彼女の頭蓋骨をカチ割る寸前の覇気をまとって。
しかし、ロベリアは一切構えもしなければ動じなかった。
「今はまだ夢の中へは入れないけれど、いずれは……。それまでは学院で待ってもらわなくちゃいけないのが難点ね」
「気が遠くなりそうな話だな」
「でも、アナタもほかの娘も怪能を持ったままでいられる。皆にとってもWIN-WINよ」
「アイツが帰れない」
「その先に幸せが待ってるなら、些細なことよ」
「お前に惚れられるアイツが気の毒でならねえ」
「……リーネットさん、これはまだ宣戦布告ではない。ただのつまらない警告よ」
「つまらない、警告だと?」
「リーネットさん。ワタシに協力してくれないかしら? ワタシとあの人をくっつけて。その手伝いをしてほしい。アナタだってせっかくの力を手放したくないでしょう?」
「約束するわけねえだろカス」
「口の利き方を知らない娘ね」
「アイツは、アタシに協力を仰いだ。慣れねえ場所で、体も張って、アタシらのことも守ろうとした。そんなアイツが、帰りたいっつってんだ。怪能を5個集めて、元の居場所に返してやる」
「交渉決裂かしら」
「元から交渉にもなってねえよ勘違いすんな」
「そう、でも彼に告白はする」
「好きにしろ」
「あら、アナタはいいの?」
「そういう間柄じゃねえ。もっとも────」
構えを解いて背筋を伸ばし、ロベリアの視線に目を合わせる。
「人の好意が通じるほどアイツは達者な男じゃねえ」
「……ゆっくり景色を見ていってくださいね。施錠はあとでワタシがしますので」
「間に合ってる。……はぁ、人探ししてたのに、随分寄り道しちまった」
リーネットは踵を返してその場を離れた。
残されたロベリアの表情は美しく作られたままだが、瞳の奥は憎悪と焦りが隠れ歪んでいた。
掴んだ金網が握力でひしゃげると同時に、植物の蔦へ変化。
その数秒後に燃え上がり、灰となって消えた。




