第38話「人生」
リーネットが目覚めたとき、熱も汗も消え失せていた。
ずっと感じていた気怠さもなく、身体は軽々として容易に起こせる。
視界もクリア。
喉の渇きはあれど、口腔内に粘つきは感じない。
「やぁ、《《おそよう》》」
「……どれくらい寝てた?」
「体感3時間くらい? 時計ないからわからないよ」
「そっか。ルヴィアは来たの?」
「ついさっき来たけど、君を見てまた時間を改めるってさ」
「へぇ、気ぃつかわなくてもいいのにな」
「不機嫌だった。お礼くらいは言った方がいいよ」
「はいはい。そうだな。今行くわ。ちょっと動きたくなった」
(やけに素直だなあ。いつもは面倒くさがるのに)
とはいえ、表情に明るさは見られない。
ややアンニュイさが伺える横顔が照らされる。
彼女が急に大人びてしまったかのようで、カプノスは少し戸惑った。
表情には出さないが、歩いていく背中を見送りながら、微々たる変化に小首を傾げる。
そんな視線など露知らず、リーネットは準備室を出て廊下を歩いた。
日は少し傾きかけていた。もう食堂は開いていないだろう。
3時間というのもあながち間違いではないのかもしれない。
同じく廊下を歩く生徒がチラホラ。
憂いの顔、不満の顔、喜びの顔、そして眠そうな顔。
それぞれの人生の色が顔に現れる。
彼らから見て、自分はどんな顔色をしているだろうか。
浮かない顔をしているのはよくわかるが、表情の機微までは悟れない。
鏡なき道には、他人の目がその重要な役割を演じるのだが……。
「なんだよ。いねえじゃねえか。どこほっつき歩いてるんだあの女」
悪態をつく。
その言葉だけなら、不良女子が女子生徒を探しているような、危ないシチュエーションだ。
当然ながら幾人かの生徒は眉をひそめた。
驚きもして、怯えもした。
しかし、そんな空気を切り裂くような、快活な呼び声が彼女の歩みを止める。
「リーネット! あぁ、そんなところにいたのね」
「げっ」
母親だった。うしろに男子生徒がいた。
物腰柔らかで、いかにもな優男。
とてもではないが、魔術を扱う者というような雰囲気は感じられない。
おそらく3年生なのだろうが、見たことは一度もない。
母親は彼を紹介するように、リーネットを会話に混ぜた。
リーネットの反応をよそに、楽しそうな会話は続けられる。
まるで興味はない。
一刻も早く母親から離れたい。
しかし、母親は逃がさないとせんばかりに、何度もリーネットにも話しかける。
会話の中で、感想や意見を求めたり、顔をのぞき込んだりで、心理的な圧力が凄まじい。
母親が苦手な理由のひとつでもある。
そして一番奇妙なのが、その男子生徒は会話の最中、何度もリーネットを見てきたことだ。
リーネットは気づかないふりをして、徹底的に無視をした。
その内、男子生徒は予定の時間がきたということで、別棟へと向かう。
その背中を見送りながら、リーネットはようやく解放されたと思ったのだが、
「ふふふ」
「なんだよ」
「気にならないの?」
「なにが」
「あの人はね。私の友達の息子さん。成績優秀ですごい人なのよ」
「へぇ」
心底どうでもいい。
「別の学校に彼女さんがいたらしんだけど、色々あって別れちゃったみたいなの。本人は語りたがらないけど、ちょっとショックだったみたいね」
「はぁ。そりゃお気の毒」
重圧もなくなり、ようやく踵を返せそうになったタイミングで、
「どう? 付き合いたいのなら、連絡先聞いといてあげるわよ? あ、それか自分から聞きに行く?」
「────は?」
「最近の男の子って奥手だから、こういうとき、女の子から積極的にいくと喜ばれるのよ!」
母親の顔は聖堂のステンドグラスから伸びる光のように輝いていた。
娘を気遣う母の眼差し。リーネットにとっては、怪異以上の異質さを感じていた。
「な、なんなんだよ。一体?」
「お母さんね、別に魔導士がどうとかはもういいの。負担だったことは、薄々わかっていたから。私はね、アナタに楽しい学院生活を送ってほしいの。青春ってやつ。そしたら、アナタの生活も充実していくんじゃないかなって」
聖句を読み上げるように、自らの思いを語る。
「それにね。この話を聞いたとき、私の中でパァっと光り輝くものを感じたのよ! あぁ、きっと神様がリーネットにご縁を与えてくださったんだわって!」
リーネットは言葉を失った。
自分の知らないところで、様々な思いが自分を雁字搦めにしようとしていた。
ただすれ違いがあるだけで、悪意がない。
怪能同士のぶつかり合いが、なぜか生ぬるいものに感じた。
これが、人間────。
怪能の持ち主と言えど、まだ少女という浅さでは測れない、人生のより踏み込んだ部分。
父親のようにわかりやすい拒絶なら、まだ飲み込めた。
しかし、母親の幾重にもリーネットを折りたたむような情念は、史上最大風速を観測した。
……きっと、母親は正しい。
間違っているのは自分だ。
こんな風にされて、喜ばない自分が異常なのだ。
リーネットの心は異様なまでに冷たく自身を判断した。
「悪い。アタシも急ぐ」
「あら、そうなの?」
「オヤジは?」
「お父さんは先生方に挨拶に行ったり……あとは、ええっと」
「あぁ、もういい。じゃあな」
足早にリーネットは去っていく。
しばらく歩くと、能面のような表情はさらに強張りを見せた。
魂の奥底から炎のように熱いものが込み上げてくる感覚。
自然と目に力が入ってくる。
ルヴィアを探そう。
とにかくなんでもいいから話したい。
その流れでルヴィアに邪険にされるのも、悪くない。
彼女は意外に面倒見がいい。なんやかんや聞いてくれる。
意外に彼女を姉というように見ているのかもしれない。
もっとも、ルヴィアにそんなことを言ったら舌打ちされること間違いなしだ。
ルヴィアを探すついでに外の空気を吸いに、グラウンドに出たときだった。
「…………」
気配を感じた。
グラウンドは不気味なほどに人はいない。
複数名に見られている。
おそらくは人間、魔導士……そう、学院の生徒だ。
「出てこいよ。意味深な演出なんていらねえよ」
「話が早くて助かるな」
男女合わせて十数名。
剣や槍、無手、身長や体格も学年も様々。
全員が手練れであり、実戦投入すれば相応の手柄を上げられるほどに優秀。
「お前だな。リーネット・カルミアってのは」
「だったら?」
「アダムスカはお前を怪しんでる」
「あの探偵の手下か」
「手下じゃないわ。私たちは彼の協力者であり友達」
「アダムスカは昼も夜もずっと調べてる。そしたらアナタが捜査線上に浮かんできたんだって」
「これまでの事件に、君が関連しているとアダムスカ君は踏んでいる」
「俺たちはアイツのダチだからな!」
「……で、実力行使か。アイツの指示とは思えんな」
「あぁ、これは俺たちの独断だ!」
「大人しく私たちについてくるって言うのなら、話は別よ?」
リーネットは大きく深呼吸。
彼らの信念や正誤はともかくとして、憂さ晴らしをするにはちょうどいいと思った。
────リーネットは無言で構える。




