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第36話「両親」

 一週間後。

 時間はあっという間なもので、黒い花の件はまるで遠い昔の出来事のような明るさが学院を包んでいた。

 やや暑さを含んだ陽光は学院を照らし、生徒たちはより青春を謳歌する。


 もう夏と言ってもいいかもしれない、そんな季節。

 リーネットはひとり、部屋でサンドバッグを打つ日々が続いていた。


 あの一件以降、リーネットは外へ出る頻度が減った。

 なんとなくだが、気分が悪い。


 しかし肉体はすこぶる健康。

 拳の打ち込みも全然悪くない。


 ただ、以前のような陽気さがあまり出せなくなっていた。

 カプノスの顔をもう何年も見ていないような錯覚が、気怠さとなって重くのしかかっている。

  

「…………外、か」


 打ち込みをやめて、窓の外を見る。

 光が差し込むことで、室内の熱はもちろん湿度も上げていった。


 鍛え、引き締まった腹部とくびれのラインに汗がしたたる。

 しかし爽快感のない、じっとりとした鉛のような感覚。


 夏の暑さが嫌いだった。

 夏の時間の経過が、嫌いだった。


 望まない熱が、いくつもまとわりつく。

 それが生理的だけでなく、より人間的な外的要因でも起こるから。


 そんな彼女を嘲笑うように、太陽は夜の時間を短くしている。

 だが、この煩わしさは夏のせいだけではない。


 なにかが身体の中で起きている。そんな予感がしていた。

 こうなるとバネ化して、飛び跳ねる気にもなれなかった。


 なので歩いて、学院の方向へと行く。

 途中でジュースをいくつも買って、たどり着くころにはすべてが空。

 

 寮と校舎までの距離はわずかとは言え、普段より長く感じられた。

 足が重く、肺が硬くキツくなっていくような感覚。


 明らかにいつもの調子ではない。

 さっきまで激しい打ち込みをしていたのがウソのようだ。


 だが、そんな地獄はすぐに和らいだ。 

 気づけば昇降口の前に来ていた。


 蒸し暑さも感じていたので、校舎の中で涼みつつカプノスを探そうと思ったとき、


「おお! いたいた。探したぞ!」


「先生じゃん……なに?」


「まったく授業はとっくに始まってるってのに……。その、なんだ。お前にとっては青天の霹靂というかなんだが……」


「はっきり言いなって。で、なに」


 先生が息を切らしながら、衝撃というワードに等しい嫌な報告を聞かされた。


「お前のご両親が来てる。お前と話したいそうだ」


「じゃあ、そうことで」


「こらこら、逃げるな」


「いやだよ。絶対ろくでもないじゃん」


 なぜ来たのかという理由よりも、なぜこのタイミングで来るのか。

 疑問よりも間の悪さを呪うことで、内側にある不快感がより一層深くなった。 


 第3応接室。

 重い足取りで、リーネットはドアの前まで向かう。


 シンプルなデザインのドア、この1枚を隔てた先に、ふたりはいる。

 戦闘とはまた違う重苦しさが、胃腸を渦巻いた。


 ノックしてドアを開ける、という数秒の所作が永遠にも感じられる中、リーネットはようやく一歩中へと踏み出した。

 

「リーネットッ!!」


 上座から父親が勢いよく立ち上がる。

 養女むすめと久々に出会って、嬉しさのあまり……なんてことはない。


 怒りで顔を赤くし、髭面がなにかの魔物にすら思えた。

 学院での態度と成績について、もう耳に入っているようだ、


 その隣で夫を宥めつつ、柔和な顔を困惑に染めながら彼女を見る母親。

 正直な話、リーネットは父親よりも母親のほうを苦手としている。


 父親に促される前に、リーネットは下座に座り、足を組んだ。


「リーネット、ちゃんと座りなさい」


「このままでも話はできるだろ」


「そういう意味ではない。これは態度。人としての礼儀の問題だ!」


「アンタがアタシにそんなの期待してるだなんて、初めて知ったよ」


「お父さん、もういいじゃない。ホラ、話をするんでしょう?」


「しかしだな! ……く、まあいい」


 父親は座る。

 リーネットは背筋を伸ばし、組んだ足を直さない。


 ある種の臨戦態勢。

 拳や魔術、ましてや怪能を交えぬ戦い。

 親と子、対立しあう思いのぶつかり合い。


 この世で一番面倒くさく、苦手極まりない。

 リーネットですら、今すぐにでも逃げだしたいと思うほどだ。


 窓を突き破って、学院の外へ。

 だがそれができない抑止の圧が、ここにはあった。


「お前、随分と暴れまわっているそうではないか」


「大、活、躍」


「ふざけるな! 勉強もせずブラブラと。なんのためにここに入れたと思っている? どれだけ金がかかったと思っているんだ!」


「最初に言っただろうがよ。アタシに魔導士なんて務まらないし、そもそも魔術なんてわけわからん勉強ができるわけないって。なのに博打みたいなことすんのかって」


「私もお父さんも、アナタの可能性を信じてみたの。魔導士にもなれば、安定した仕事にもつけるし、それにカルミア家も……」


「結局、家柄のことだろうが。アタシはその駒だ。まぁ子供に賭けるって考え方は間違っちゃいないだろうが、その当ては外れたな。それだけだろ。アンタらは博打に負けたんだ」


「黙れ、それが親への態度か! そもそもお前が怠惰なのが悪いんだ! 親に対する感謝もなく、自堕落に暮らすお前が悪いんだ!! 引き取ってもらったことへの恩はないのか?」


「お父さん!」


 お前が悪い。その点は返す言葉もない。

 黙るリーネットの前で、興奮しきっている父親を母親は必死で宥めている。


 そんなふたりを、冷めた目で見ていた。

 リーネット自身、内心驚いていた。


 普段の自分なら、ああ言えばこう言うでもっとがなり立てていただろう。

 まるで檻の中にいる動物の小競り合いをぼんやり見ているような感覚に沈み、心拍・脈拍がより穏やかになっていくのを感じた。


「────お前なんか、引き取らなきゃよかった」


 頭に血が昇った父親が、ふと小さく漏らした。

 車掌が切符をカチリと印付けるように、その言葉きっかけでより心が冷めたリーネットはおもむろにドアへと向かう。


「おい、まだ話は終わっていないぞ!!」


「愚痴の続きは居酒屋でやんな」


「許さんぞ……許さんぞリーネット! 絶対に魔導士になってもらうからな! お前のような出来損ないに道を与えてやってるだけでもありがたいと思え! いいな!」


 ドアが閉まり、リーネットは外へ。

 内側からまだ罵声やらが聞こえるが、もうどうでもいい。


 また喉が渇いたので、この付近の自販機に行こうとしたときだった。


「あれ、リーネット?」


「……あ」


 実に1週間ぶりになる。

 廊下突きあたりにある階段から、ちょうどカプノスが降りてきた。


 彼は変わりない足取りで近づいて、久しぶりの顔に表情をほころばせた。


「随分と長い休暇だったね。元気してたかい?」


「……まぁぼちぼち。アンタは?」


「色んな情報を探りに歩きまわってた。でも、もう難しいな。大した情報は得られそうにない」


「……それだけ?」


「それ以外になにかあるか? あ、君これから準備室のほうへ来る?」


「あ、あぁ。ジュース買ってから、かな」


「そうか、じゃあひと足先に行ってるよ」


「…………」


 1週間前と変わらない、初めて出会ったときと変わらない彼が、そこにいたのだ。

 今どういう感情なのか、この思いをどう表現すればいいのか、リーネットはわからなかった。


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