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第33話「レイカ・クロユリ」

 『黒衣愧悦天こくえきえつてん』。

 その色使いやタッチはまさに人を魅了するなにかを秘めていた。

 作家特有の情念か、それとも怪能の影響か。


「で、なにかわかったのかい? ここまできてなんもわかんねえなんて言ったらブン殴るぞ」


「いちいち物騒なんだよ君は。結論から言うと、レイカ・クロユリはこの絵の中にいる」


「────は?」


「この絵の中に潜んでるんだ。……うぅん、どういえばいいのかな」


「つまり、彼女はこの絵の中に自分の世界を創造した、ということですか?」


「ま、大体そんな感じ」


「え、どういうこと? ラナフィーわかんない」


「怪異にはそれぞれテリトリーがある。廃村や線路、森の中や山の中。わたしの場合は夢の中だ。ラナフィー、君は木を登って木の葉をカミソリみたいにして飛ばしたろ? あれだって小規模だけどテリトリーの創造と言ってもいい」


「へ、へ~。てことはラナフィーちゃん大天才!」


「そしてこの絵の中だが、波長からして夢の中の世界と似ている。現実世界と隔絶された自分だけの世界だからなのか」


「つまり、どういうことだ」


「もしかしたら、わたしはこの中へ入れるかもしれないってことだ」


「相手のテリトリーなのに、おじさま入れるんですね。うわ、なんか娘の部屋に入ろうとする父親みたい。キモッ」


「やめてよそういう言い方。……や、やめてよ!」


「あ、はい」


 夢の中の世界と同じ波長。

 彼にとってこれほど好都合な条件はない。

 おそらくだが、レイカ・クロユリはこの中で眠りについている。


 さしずめ絵の中は彼女のベッドであり、繭の中であり、棺桶でもあるのだ。

 怪能の持ち主のテリトリーは実際の怪異ほどではないにしろ、周囲数メートルに影響を及ぼせる。


 レイカ・クロユリは絵を中心に今もテリトリーを拡大中だ。

 じっと動かないで、今日まで淡々と力を蓄えていた。


 実に堅実だ。ゆえに恐ろしい。

 目的がまるでわからないところなど特に。


(人の身でのテリトリー作りは制約やエネルギーコストがかかるが、普通に怪能を振るうよりも優位性が大きい。……学院全体を手中に収めるまでジッとしてるだなんて大した奴だ)

 

 カプノスは入る前に3人に告げる。


「そしてだ。この絵を見る限りどんどん力を増していってる」


「わかるんですか?」


「あぁ、影響力が強まっている。黒い花や桃闇天が現れる速度や量ももっと増すだろう。それまでにケリをつけなくちゃならない」


「タイムリミットは1時間。それ以上かかるのなら、この絵を引き裂け」


「……それやってアンタ平気なのかよ」


「絵の世界ごとわたしも滅ぶか、閉じ込められるか」


「そんな! 先生がひどい目にあうだなんて!」


「これも大人の仕事だ」


「アタシらはどうするんだ?」


「まず重要事項として、この絵を守れ。ほかの人間や桃闇天に見つかるなんてのは論外だ」


「次は?」


「できるなら、学院の皆を助けてやってくれ」


「あれれ~? 一番どうでもよくないですかあ~?」


「人海戦術のためだ。人命がどうのこうのじゃないよ」


「へっ、あいよ」


 カプノスは絵と向かい合い、右手をかざす。

 しばらくするとコチ、コチ、と時計の針のような音が小さく響いた。

 次第に音は早くなっていき、絵の表面に渦巻く時空流ゲートが開く。


「じゃ、行ってくるから。頼んだよ」


「はいはい」


「先生なら大丈夫です!」


「お土産よろ~」


「2名ほど、あんまり緊張感がなさそうだが、まぁいいだろう」


 絵に触れた直後、カプノスの身体がほつれていくように細くなり、無限に小さくなるように一点へと吸い込まれていく。

 この現象はほんの一瞬のうちに起こったことのようで、カプノス自身、吸い込まれるときどうだったかの感覚や記憶はない。


 気づいたときには、巨大な木造寺院の内部に立っていた。

 中庭を複雑に囲むように入り組んだ回廊で、カプノスは周囲を見渡す。


 雨が降りしきり、この建築物の外は真っ暗でなにも見えない。

 屋根から滴る雨水と、時折軋む廊下の音が異様で不気味だ。


 どこがゴールで、どこか出口なのかわからない。

 レイカ・クロユリ以外の者が入る想定で創っていないのだろう。

 

 闇と雨に紛れて来訪者を嘲笑うように、中庭や通路のそこかしろに黒い花が咲いている。


 枯山水や松の木、墨のように暗い池。

 ご照覧あれと言わんばかりに、回廊がはるか先まで伸びていた

 

 カプノスは文化に明るいわけではなかったが、ここは彼女の生まれ故郷にある寺院をモデルに描いたのだろうと推察する。

 猿や虎が掘られた欄間らんまに、広い天井があるところにはでかでかと神獣が描かれ、密やかな栄華を物語っていた。


 怪能が再現したものとはいえ、どこか趣深いものを感じた。


 周囲を警戒しつつ、カプノスは進む。

 この空間に時間と言う概念が通用するかどうかは不明だが、体感で10分ほどだった。


 目指す場所がわからないまま彷徨っていると、奇妙な音楽が聴こえてくる。

 鈴に太鼓、弦楽器が奏でる不思議な調べ。


 それに合わせて、(うた)のような呪文まで聴こえてくる。

 なので真っ直ぐそちらへと向かった。




真如無明しんにょむみょう顛倒夢想てんとうむそう一世苦厄いっさいくやく周肉瞋食しゅうにくしんしょく是故色中ぜこしきちゅう愚善一如ぐぜんいちにょ無強無等むきょうむとう末法往界まっぽうおうかい無苦集滅道むくしゅうめつどう羯諦ぎゃてい羯諦ぎゃてい…」


 黄金の女像がいくつも立ち並ぶ広々としたお堂。

 壁はなく柱と天井のみの建築様式、その周囲には大雨と例の黒い花が咲き誇る。

 湿気はまったく感じなかった。


 その最奥にひとりの少女が正座をして、眼前の坐像に拝んでいた。


 肩までかかる緑の黒髪。

 紅紐を編んで髪飾りにし、白装束をまとうその後ろ姿には、今までの少女たちとは違う静謐さと神秘性を醸し出していた。

 

「君が、この世界の創造主かな?」


 不思議な歌はピタリとやんだ。

 

「レイカ・クロユリ。いや、君はその分身といったところかな?」

 

「驚きました。誰も入れるはずなどないのに」


「説明は省く。君の持つその力を取り上げさせてもらう。それは危険なものだ」


「…………」


「できうるなら穏便に済ませたい。この世界の外に一緒に来てくれるとありがたいんだが」


世間せけん虚仮こけ唯我ゆいが是真ぜしん


「ん?」


「私にはやらねばならぬことがございます。この力を以て、神として地上に再誕すること」


「熱心だね。だがそんなありがたい力じゃない。……えーっと、どういえばいいかな。説得とかそういうの苦手なんだった」


「説得など、必要ありません」


 少女は立ち上がる。


「神の化身たるこの私を阻む者は、すべて砕くッ!」


 稲光とともに、黒い布が現れ彼女を包み始め、あの絵の通りの姿へと変身した。


 右手にはフランベルジュに似た刀身を持つ法剣を。

 左手にはつたのようなデザインの持ち手の十文字槍。


 法剣に炎が宿り、槍に雷がまとわりつく。

 その光に当てられ、黒衣と顔が不気味なまでに艶やかに映った。


「────我が真名チカラは『愧悦天きえつてん』。地上へ舞い降りた暁には、この神なる力ですべてを支配する! 衆生を救えるのは、この私のみ。邪魔する者は……!」

 

 曰く、『風雅』と『迷妄』を暗示する不条理なるエネルギー。

 再び戦闘モードに入ったカプノスは、相手の出方を見る。

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