098 ペトラオン防衛陣地
ペトラオンの狭隘な隘路を塞ぐ防衛陣地は、ひとまずヘラクレイオス軍を迎え撃てるまでの体制を整えた。
この防衛線の普請は、領軍、徴集兵、傭兵、運輸業者、土木業者、林業従事者の連携が力を発揮し、迅速なものだった。そして、物資の搬入、細部への追加、補強は、今も続いている。
さらに、敵の進軍経路となるエルド山地の村落からは、住民の退避が概ね完了した。生活基盤である畑から一時でも離れることを嫌がる農民も、先祖伝来の家を出ようとしない老人もいた。だが、村長たちとエルド山地出身の傭兵が説得に回り、輸送業者が避難を支えたことで、最後の村人も無事に山を下りていた。
敵の食糧となり得る麦や油、家畜は後方へと移動させられており、ヘラクレイオス軍を潤すものは残されていなかった。
現在、エルド山地出身の傭兵たちが斥候として予測される進軍路に沿って放たれ、ヘラクレイオス軍の動向を追っている。彼らからの報告は、逐次、ペトラオンの防衛陣地へと届けられている。
敵軍の総数は五百から六百名程度。少数だが脱走兵も見られ、略奪によって得られる食糧が急激に減少したことで、軍の維持が困難になり始めているのではないかという報告も上がって来た。しかし同時に、エリミオンの豊かな土地が目前にあることで、略奪への期待が士気を上げていることも考えられる。この隘路で両軍が会敵するまでの日数はあと三日と見込まれていた。
もちろん、エリミオン側も持てる全兵力をこのペトラオンへ注ぎ込んだわけではない。「海の民」の襲来に対する警戒を怠るわけにはいかなかったし、可能性が低いとはいえ、海からヘラクレイオス軍が奇襲を仕掛けてくる懸念も完全に排除することはできなかったからである。
ただし、これまで領主家とフィクスが長年にわたって腐心し、沿岸部に張り巡らせてきた防衛網――港湾警備や狼煙台、策定された退避手順や即応体制――から過度に兵を引き抜きさえしなければ、海からの襲撃に対しては十分に対応できると判断した。
領軍、徴集兵、そして傭兵を合わせて、エリミオンが動員できる全兵力は千二百名。そのうち七百名が、このペトラオンの防衛陣地へと配置されていた。これに加え、工兵として土木業者が働き、兵站を輸送業者が支え、林業従事者たちも木材の調達や陣地の強化に協力している。
エリミオンの防衛構想の根幹は、補給線を持つ自軍と、補給を断たれた敵軍との決定的な差を考慮して、長期戦へと持ち込むことにあった。
そのため先を見越して、陣地の背後では兵の交代と休息を円滑に行うための簡易兵舎の設営が進められている。この兵舎の部材は、以前から海の民の襲来に備え、避難民の仮設宿舎を即座に建てられるよう、寸法を揃えて加工され、内陸の倉庫に備蓄されていた木材などをそのまま転用したものである。雨風をしのぎ、温かい食事を口にして交代で体を休めることができる環境は、過酷な前線において兵たちの継戦能力を支えるものとなる。
兵力だけを見れば、両軍に大きな差はなかった。だが、補給、疲労、地形への習熟、そして自領の防衛という戦う理由。そのいずれにおいても、エリミオン軍は敵を上回っていた。
もっとも、それが勝利を保証するわけではない。飢えた兵ほど、目の前の食糧を奪うために死に物狂いで戦うこともある。
だから、エリミオンの防衛構想の背骨を長期戦としつつも、首脳部は一つだけ仕掛けを用意していた。
フィクスは、戦を起こさずに済ませるためにエリミオン軍の優位を築いた。後は、相手の出方次第である。




