089 架空戦記への反応
街道沿いの大きな集落であるメリサ村の広場は、定期便の馬車が到着する時刻を過ぎても、普段とは異なる熱気に包まれていた。
広場の中央に立つ木造の告知板の前には、農作業を終えた男たちや、籠を抱えた女たち、そして工房の小僧たちが何重もの輪を作っている。その中心で木箱の上に立ち、身振り手振りを交えて声を張り上げているのは、文字が読める穀物問屋の若い番頭だった。素人弁士となった彼の口元から繰り出される言葉の一節一節に、周囲の聴衆が一喜一憂の声を上げている。
人だかりの周囲には、湯気を立てる焼き豆や麦の平焼きパン、魚醤で味付けされた干し肉を売る屋台がいくつか立ち並び、まるで祭りの宵宮のような賑わいを見せていた。
告知板の横には、普段の触れ書きとは別に木組みの棚が据え付けられている。そこには、日干しされた粘土板が何枚も並んでいた。
本来、告知板の粘土板は、役目が終われば濡れた布で文字が拭い去られ、上から新たな版木を押し当てて新しい記事が刻まれる。だが、フィクスが始めたこの連載物語に限っては、消されて読めなくなることを惜しむ声に応え、過去の回も含めて日干しされて粘土板が保管されていた。
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村の馬車工房で働く小僧のダモンは、仕事終わりに駆けつけた食堂の長椅子に腰掛け、同じく工房仲間の男たちと夕食をとっている。
「おいダモン、今日も広場で聞いてきたのか?」
向かいに座る顔見知りの男が、炙った干し肉を口に放り込みながら笑いかけてくる。ダモンは破顔して何度も頷いた。
「ええ! もう三回目ですけど、やっぱり面白いですよ。弁士も回を追うごとに上手くなってて、まるで目の前で海からの襲来が起こっているみたいでさ」
ダモンだけでなく、食堂中の客がこの『物語』の話題で持ちきりだった。英雄神ヘラクレスのような大男も、神託を受ける高貴な将軍も出てこない。描かれているのは、どこにでもいる村の長や、畑を耕す百姓、荷を運ぶ馬車引き、そして工房で槌を振るう職人たちといった、自分たちと何一つ変わらない「普通の人々」だった。だからこそ、物語が身近に感じられるのだ。
「それにしても、あの港近くの村の男には腹が立ったな」
隣の席の農夫が、空になった杯を卓に叩きつけるように置いた。
「村長が『余計なものは持たずに内陸の街道へ走れ』って何度も叫んでいるのに、家財だの長持だのにしがみついて、荷車を道の真ん中で立ち往生させやがっただろう。あげく逃げ道を塞いで、後ろから来た者たちが逃げるのを邪魔しちまうんだから、まったく身勝手もいいところだ」
「ああ、あれはムカついたな。だがよ、いざって時に家財惜しさに道を塞いだらどうなるか、良くわかったぜ。俺なら着の身着のままで、家族の手を引いてすぐ高台へ走る」
「全くだ。その点、海辺近くの村の村長は見事だったじゃねえか。伝令を聞くやいなや、一言も騒がずに女子供と年寄りをすぐ裏山の避難路へ押し上げた。あれぞ長たる者の鑑だ。普段から、避難する訓練をしていたって言うじゃないか」
食堂のあちこちで、物語の登場人物に対する舌鋒鋭い批判と、称賛の声が飛び交う。
「俺が一番痺れたのは、防衛戦で知恵を絞ったあの男だな。夜だったから、村中の男に松明を何本も持たせて並べ、味方が大軍に見えるように欺いただろう。相手の頭がビビって船へ引き返していく場面、胸がすいたぜ。知恵者っていうのは、ああいうのを言うんだ」
「いやいや、物語の見せ場はやっぱり、牡牛みてえな敵の大男を仕留めたあの一戦だろ!」
若手の鍛冶職人が立ち上がりかけながら拳を握りしめた。
「身の丈が二メートルもあるような化け物に、正面から挑まずにまずは灰と砂を投げつけて目を潰す。視界を奪って喚き散らしてるところへ、村の普通の若い衆が十人、長い槍を構えて一斉に取り囲んで突いたんだ。英雄じゃなくたって、呼吸を合わせて十人で当たれば、あんな恐ろしい敵だって討ち取れるんだって……聞いてて手に汗握ったし、何だか俺たちにもやれるんじゃないかって勇気が湧いたよ」
その言葉に、周囲の男たちも大きく頷き合う。
だが、この物語が村の人々の胸を何よりも強く打ったのは、そうした戦闘の駆け引き以上に、自分たちの「日々の暮らし」そのものが戦いを支えているという確かな描写だった。
物語の中では、どれほど勇敢な男たちが槍を構えても、食べるものがなければ三日で瓦解すると説かれていた。平時に農民たちが額に汗して収穫し、傷まぬよう倉庫へ運んで保管していた穀物やオリーブ油があったからこそ、何日も防衛を続けられたのだ。
武器工房や革細工の職人たちが、日頃からコツコツと作り溜めていた槍の穂先や盾も同じだった。そして、包囲された村々を繋ぎ、前線へ糧食と予備の武具を運び続けたのは、普段から街道を行き来していた荷馬車引きたちだったのだ。
ダモンも誇りをもって物語を思い出していた。
日頃、工房で木屑まみれになりながら車輪のゆがみを直し、通い箱の狂いを削り合わせる作業は、地味で退屈に思えることもあった。だが、あの物語の中では、戦火の中で荒っぽく酷使され、傷んだ馬車や壊れかけた通い箱を、迅速に修理して息を吹き返させた職人たちこそが、前線の兵たちと同じ重みを持つ守り手として描かれていたのだ。
「俺たちの仕事も、ただの荷車作りじゃないんだな。いざとなったときにも役立つ、大事な仕事なんだ」
ダモンが呟くと、仲間の職人が力強く頷いた。
「おうよ。俺達も自分の持ち場を守るから、この土地を守れるんだ」




