083 ダモン①
夕食時のメリサ村の食堂は、炭火で炙られた山羊肉の脂の匂いと、粗末な大麦パンの香ばしい湯気で満ちていた。街道を行き交う荷運び人足や近隣の農夫たちで粗削りの長机はほぼ埋まり、あちこちから笑い声やジョッキを打ち鳴らす鈍い音が響いている。
その喧騒の片隅で、ダモンとメランポスは、素焼きの深皿に盛られた豆と麦の煮込みをスプーンですくっていた。まだ十三歳になったばかりの二人だが、親方から僅かばかりの小遣い銭を貰った今日は、大人の職人気取りでこの食堂の席についてみたかったのだ。
メランポスが周囲の話し声に紛れさせるように少し身を乗り出し、悪戯っぽく目を細めた。
「なあダモン、聞いたか? あの話」
「あの話って、なんだよ」
「フィクス様のところから、今度新しく立ち上げる運送の仕事のために、馬車をどっさり作るって話さ。それにあわせて馬具も山ほど要るからって、うちの皮革工房にもまとまった注文が舞い込んできたんだぜ」
ダモンはスプーンを止め、唇を尖らせてため息を漏らした。
「……ああ、その話なら知ってるよ。うちの工房にも、荷馬車を何台も作ってくれって話が来たんだ。でもさ、うちの親方が断っちまったんだよ」
「えっ、断ったのか? あんなでかい仕事を、なんでだよ」
メランポスが目を丸くして尋ねると、ダモンは肩をすくめて卓の上に視線を落とした。
「あの仕事、めちゃくちゃ細かいだろ。ちゃんとした図面があってさ、車軸の太さも荷台の幅も、全部決められた寸法きっかりに作らなきゃいけないんだ。でも、うちの親方は昔気質の年寄りだからな、そういうやり方に慣れてないんだよ。『この部材はどれくらいの長さに切り出しますか』って俺が聞いても、親方は『大体これくらいだ』って両手を広げて見せるだけだ。ずっと勘と腕前だけでやってきたから、きっちり数字で揃えろって言われるフィクス様の仕事には、どうしてもついていけないんだよ」
「そっか……。腕はいいのに、もったいないな」
メランポスは同情するように言った後、ふと思い出したように顔を輝かせた。
「そういえばさ、村の広場にある告知板に書いてあったんだけど、街道も整備されるらしいぜ。石や砂利を敷いて、でかい橋も架け直すんだってさ」
「お前はいいよな、文字や数字が読めるから」
ダモンが少し羨ましそうに呟く。メランポスが下働きをしている皮革工房は、フィクスから出資されている工房の一つだった。そこでは徒弟の小僧であっても文字や簡単な計算を学ぶことが強く勧められており、メランポスもいつの間にか告示板の文字を追えるようになっていたのだ。対して、ダモンのいる馬車工房は昔ながらの親方の個人経営だ。親方にとっては木を削る腕こそがすべてで、小僧に文字を教えることなど端から関心の外だった。
「すごいよな、フィクス様って」
メランポスは湯気の立つパンを千切りながら、感心したように目を丸くした。
「新しい運送の仕事を始めるからって、馬車を揃えるだけじゃなくて街道まで自分たちで直しちまうんだからな。……あ、そうそう! 馬具の注文をするために、図面を抱えた人が工房に来たときのことなんだけどさ。その人、馬具の作り方にまであれこれ注文をつけてきたんだぜ」
「作り方にまで? どういうことだ? 革の鞣し方とか裁断の手順にまで、工房の外の人間が口を出してきたのか?」
ダモンが怪訝そうに眉をひそめた。職人にとって仕事の仕方にまで素人が口を挟むのは、最も嫌われる侮辱のようなものだ。しかしメランポスは首を横に振った。
「いや、そういう意味の作り方じゃないんだ。まずは工房の整理整頓をしろって言うんだよ。『いらない端材や壊れた道具を全部捨てて作業場をすっきりさせろ』、それから『次に使う道具や材料は、決まった位置に必ず並べて置け』ってさ」
メランポスの言葉を聞いたダモンは、思わず自分が朝から晩まで駆け回っている馬車工房の光景を思い浮かべた。
削り屑と切り落とされた木片が床一面に散らかり、どこに置いたかわからなくなった手斧やノミを探すために、下働きの小僧たちは毎日怒鳴られながらウロウロと工房中を探し回っている。材料の角材を取り出すだけでも、積み重なった材木の山を掻き分けなければならない。
――でも、もしも。
工房の中にいらないガラクタが一つもなく、ノミも鋸も、必要な木材もすべて決まった場所に収まっていたらどうだろう。道具を探して回る無駄な時間は消え、親方に怒鳴られることも減り、もっとずっと気持ちよく作業に打ち込めるのではないか。
「……でも、注文を受けるだけの相手から、工房の片付けまで指図されるのか?」
「まあ、うちの工房はフィクス様との共同経営だからね。指示されたら無下には断れないよ」
メランポスはそこで一度言葉を切り、慌てたように手を振った。
「あ、でもさ、うちの親方も別に嫌々受け入れたわけじゃないんだ。フィクス様に共同経営者にしてもらえたことをすごく恩義に感じてるし、あの御方の言うことには間違いがないって信じてるんだよ。実際、言われた通りに整理整頓してみたら、道具を探す手間がなくなって、仕事が信じられないくらいやりやすくなったんだから」
運送の仕事を立ち上げ、そのために荒れた街道まで整備してしまう。それほど巨大な事業を動かしながら、村の小さな工房の整理整頓という些細な現場の片付けにまで目を配り、徹底させる。
(フィクス様って……いったい、どんな人なんだろうな)
ダモンは素焼きの器の底に残った温かいスープをすくいながら、まだ見ぬ王子の姿を、思い描いた。




