008 4日目の夜 3人で作戦会議
拙作「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」 https://ncode.syosetu.com/n1389mm/ の三人がこの物語世界に転生しました。チラッと「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」を読んでいただければ三人のキャラクターが分かるかと思います。
夜も更けると、昼のあいだ絶えず人の気配がしていた王宮も、さすがに静かになっていた。
フィクスの部屋では、卓の上の灯火が小さく揺れている。夕食はとうに片づけられ、廊下を通る足音もほとんど聞こえない。アリタが扉の外を確かめて戻ってくるのを待って、フィクスは左手首へ目をやった。
バングルの表面から淡い光が広がり、低い卓の向こうで人の形を取る。
『お疲れさま、マスター』
「今日は別に疲れてないよ。昨日までみたいに歩き回ったわけじゃないし」
『精神的に』
「それならちょっと疲れた」
フィクスは寝台の端に腰を下ろした。
昼間のことを思い返すと、最初に浮かぶのは、卓を挟んでこちらを見ていた痩せた老人の顔だった。
「でも、プロテウスと知り合えたのはよかったな」
『うん。それはかなり大きいと思う』
「こっちへ来る前に、アカイア文明のことはいろいろ調べたけどさ」
フィクスはそこで少し考え、卓の上に置かれた水差しへ手を伸ばした。
「実際に来てみると、やっぱり分からないことだらけだよ。王宮の中だけでも、調べてきたことと違うところがあるし」
『知ってるのは、この時代について後世に残った情報だからね』
「そうなんだよな」
杯へ水を注ぎながら、倉庫で三日間話を聞いた書記官たちの顔を思い出す。
王宮へ何が運び込まれ、何がどこへ出されていくのか。村からの納入量がどう決まり、不作の報告がどのように上がってくるのか。調べてきた知識だけでは分からなかったことを、彼らは当たり前の仕事として知っていた。そして今日、プロテウスと話したことで、その先を知っている人間へようやくたどり着いた。
「現地の人に聞けるのはありがたいよ。特にプロテウスなら、倉庫の書記官じゃ分からなかったことまで知ってるだろうし」
『質問がおありなら私のところへ来なさい、だもんね』
「本人が言ったんだから、遠慮しなくていいよな」
『明日には後悔するかも』
「それ、昼も言ってた」
フィクスは笑って杯を口へ運んだ。
だが、明日聞きたいことを考えると、ただ質問を重ねるだけでは足りない気がする。
「できれば、昔の粘土板を見せてもらいたいな」
ジェミニがわずかに身を乗り出した。
『保存されてる記録?』
「うん。今日の話だけじゃなくて、何年か前まで遡って見られれば、かなり分かることが増えると思う」
倉庫で見た粘土板には、どこから何が来て、どこへ何が渡されたのかが記されていた。あれが一時の記録だけではなく、過去の分まで残されているなら、今年の数字だけを眺めるのとは意味が違ってくる。
「地方ごとの穀物の納入量を何年か並べれば、どこが豊かで、どこが不安定なのかも見えてくる。オリーブ油とか葡萄酒とか羊毛も同じだろ。鉱山や工房から何が入ってくるのかも分かるかもしれない」
『港から入ってくる物と、外へ出してる物もね』
「それも見たい。何を持ってきて、代わりに何を渡してるのか。取引ごとの量が残っていれば、交換するときのだいたいの相場も追えると思う」
貨幣がないから値段の一覧があるわけではない。それでも、同じような品物の交換記録をいくつも比べれば、羊毛なら油のどれほどに相当するのか、青銅なら穀物のどれほどになるのか、少なくとも王宮がどんな比率で物を動かしているかは見えてくるはずだった。
ジェミニは少し考えてから頷いた。
『そうね。それに、今後の計画にも都合がいいわ』
「だよな」
フィクスが知りたいのは、王宮の倉庫に何があるかだけではない。
この国のどこで何が作られ、それがどのように王宮へ集まり、何と交換されているのか。将来何かを始めようとしたとき、必要な物をどこから持ってくればいいのか。その全体像がなければ、現代の知識を持っていたところで使いようがない。
ただし、粘土板だけで分かることにも限界がある。
「本当は、外にも出たいんだけどな」
『地方を見に?』
「うん。今日プロテウスと話してて、余計にそう思った」
フィクスは杯を置いた。
「粘土板に『今年はこれだけ取れました』って書いてあっても、本当にそれだけ取れたかどうかは分からない。王宮へ納められた量なら確かめられるけど、その土地で実際にどれだけ収穫されたかは別だろ」
地方から上がってくる報告と、実際の畑や倉にあるもの。その二つを自分の目で比べることができれば、王宮の記録がどこまで現地の実態を表しているのかも分かる。
「調査する権限をもらえれば一番いいんだけど」
『それは、プロテウスだけじゃ決められないでしょうね』
「たぶん父上の許可がいるよな」
十三歳の第八王子が、地方の収穫量を調べるために王宮の外へ出たい。
昨日までなら、そもそも何を言っているのかと思われただろう。
「今は難しいか」
『急ぐことでもないと思う。まだ四日目だよ』
「それもそうだな」
そう答えたところで、フィクスはふと今日の会話を思い出した。
プロテウスに問い詰められていたときのことではない。その後だ。
「……そういえばさ」
『なに?』
「今日、プロテウスと話してて気づいたんだけど」
何と言えばいいのか少し迷った。
「俺、現地の人と話してると、元の第八王子に引っ張られるみたいなんだよな」
ジェミニの表情が少し変わった。
「プロテウスと話してるときも、最初はいろいろ考えてたんだよ。怪しまれないようにしないと、とか、十三歳らしく話さないと、とか。でも途中から、ほとんど考えてなかった」
『そうね』
「やっぱり?」
『今日のプロテウスとの会話、十三歳の少年としてすごく自然だったわ』
フィクスは眉を寄せた。
『少なくとも、私には演技しているようには見えなかった。言葉だけじゃなくて、困ったときの反応とか、聞きたいことが出てきたときにそのまま聞いちゃうところとか』
「……それ、褒められてる?」
『観察結果』
「便利な言葉だな」
フィクスは自分の手を見た。
十三歳の手だった。
記憶があるだけではない。この身体には、元の第八王子が十三年間生きてきた時間がある。ドリュオンを前にしたときにも、レオンを見たときにも、自分で考えるより先に何かが胸の内側から浮かんでくることがあった。
今日も、同じだったのかもしれない。
「まあ、悪いことじゃないのかな」
『少なくとも、毎回「十三歳の王子ならどう喋るか」って考えなくて済むのは助かるね』
「それは確かに」
フィクスは小さく欠伸をした。
それを見ていたアリタが、さっきから整えていた寝台の掛布を広げる。
「マスター。続きは明日になさってください」
「もう?」
「もう、です」
『賛成』
「二対一か」
仕方なくフィクスは身体を横たえた。
アリタが掛布を掛けるのを見ながら、昼間、部屋を出る直前にプロテウスから言われた言葉を思い出す。
「明日は、今日より少し難しい話になります、か」
『楽しみ?』
「ちょっとね」
保存されている粘土板を見せてもらう話もしたい。地方の記録についても聞きたい。
けれど、それはその後だ。
「まずは、プロテウスの言う『難しい話』を聞いてからだな。こっちから聞きたいことは、それからでいい」
「はい。それがよろしいかと存じます」
アリタが灯火の一つを消した。
部屋が少し暗くなる。
「じゃあ、おやすみ」
『おやすみ、マスター』
「おやすみなさいませ」
もう一つの灯火が消えると、石壁の部屋は闇に沈んだ。
明日、プロテウスが何を話すつもりなのかは分からない。
だが、分からないものを聞きに行くことを、今のフィクスは少し楽しみにしていた。




