007 王宮最高財務官に捕まる
拙作「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」 https://ncode.syosetu.com/n1389mm/ の三人がこの物語世界に転生しました。チラッと「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」を読んでいただければ三人のキャラクターが分かるかと思います。
三日も通えば、さすがに倉庫の人間にも顔を覚えられる。
もっとも、第八王子の顔を知らなかったという意味ではない。初日はフィクスが甕を指すたびに姿勢を正し、何かを聞くたびに答えを間違えまいと緊張していた書記官が、三日目には「今日は何をお知りになりたいので?」と先に尋ねてくるようになった、という意味である。
そのおかげで、フィクスにも少しずつ見えてきたものがあった。
倉庫へ運び込まれた物については、思っていた以上によく分かる。何が、どこから、どれだけ来たのか。倉庫から出すときにも、何を、どれだけ、どこへ渡したのかが粘土板に残される。甕や籠がただ積まれているように見えて、その裏では書記官たちが数字を追いかけていた。
ところが、倉庫から離れるほど話が曖昧になっていく。
村が何を納めるのかは決まっている。その量も決められている。ただし不作なら減らされることがあり、その判断には地方から上がってくる報告が使われる。では、その報告の数字は誰が確かめたのか。王宮の書記官が毎年すべての村を回るわけではない。そんな人数はいない。
そこまで聞いたところで、フィクスの関心は倉庫の中より、その外へ向き始めていた。
四日目も、昼食を終えると倉庫へ向かった。
『今日は何を聞くの?』
左手首のバングルから、ジェミニの声が頭の中へ届く。
「昨日の続き。村からここまでどうやって数字が上がってくるのか、もう少し聞きたい」
『倉庫の人に?』
「そこなんだよな。昨日から、聞いても分からないことが増えてきた」
倉庫の書記官は、倉庫のことなら答えられる。だが、村で実際に何が行われているかとなると、「地方を預かる者が」「その土地の書記官が」という答えが多くなった。考えてみれば当然で、彼らは王宮の倉庫で働く書記官なのである。
「別の人を探した方がいいのかもしれないな」
「でしたら、どなたにお尋ねになるかを先に調べた方がよろしいかと存じます」
後ろを歩いていたアリタがそう答えたところで、前方から歩いてきた男がフィクスの前で止まった。
痩せた老人だった。
上等ではあるが王族のような華美さのない衣をまとい、脇には粘土板を抱えた若い書記官が二人付き従っている。老人はフィクスを見ると礼をしたが、その顔には歓迎するような色がまるでなかった。
「フィクス殿下」
名を呼ばれて、フィクスは足を止めた。
「プロテウス」
王宮最高財務官のプロテウスだった。
「少々、お時間をいただけますかな」
問いかけの形をしている。
だが、断ってよい雰囲気ではなかった。
『捕まったね』
「うるさい」
思わず小声で返すと、プロテウスの眉がわずかに動いた。
「何か?」
「いや、何でもない」
プロテウスはそれ以上追及せず、踵を返した。
「こちらへ」
やっぱり、断る余地はなかったらしい。
連れて行かれた執務室は、フィクスがこれまで見た王族の部屋とはずいぶん様子が違っていた。壁際には木棚が置かれ、乾かした粘土板が並んでいる。卓の上にも何枚かの粘土板が置かれ、その横にはまだ文字を刻む前らしい湿った板まで積まれていた。装飾品らしいものはほとんどない。
その代わり、仕事の途中であることだけは嫌でも分かった。
プロテウスは若い書記官たちを外へ出すと、自分は卓の向こうへ座り、フィクスにも腰掛けを勧めた。アリタはいつものように少し後ろへ控える。
「さて」
老人の指が、卓上の粘土板を一度だけ叩いた。
「この三日、倉庫へ通っておられるそうですな」
「はい」
「何をなさっているのです?」
「倉庫の書記官に、いろいろ教えてもらっています」
「それは聞いております。私が尋ねているのは、なぜそのようなことを始められたのか、ということです」
やはり、それか。
フィクスは少し考えた。文明の崩壊に備えて宮殿経済の仕組みを調べています、と答えるわけにはいかない。かといって、適当な嘘をつく必要もなかった。
「朝飯を食べていて、気になったんです」
プロテウスの眉間に、一本皺が増えた。
「……朝食?」
「パンも油も蜂蜜も、最初から部屋にあるわけじゃないでしょう。誰かが作って、誰かが持ってきてる。それで、どこから来るのか知りたくなって」
プロテウスはしばらく何も言わなかった。
「それで倉庫へ?」
「はい」
「三日間も?」
「聞いてたら、分からないことが増えたので」
老人の目が少し細くなった。
怒っているようにも見えるし、何かを測られているようにも見える。フィクスは居心地の悪さを覚えながらも、黙って次の言葉を待った。
「倉庫では、何を尋ねました?」
「最初は、甕に何が入っているのかとか、この甕一つにどれくらい入るのかとか。誰が持ってくるのか、どこの村から来たのかも分かるのか、粘土板には何を書くのか、倉庫から出したときにも書くのか……」
「ほかには?」
「毎年、同じだけ持ってくるのか、と聞きました」
そのときだった。
プロテウスの指が止まった。
ほんのわずかな変化だったが、さっきまでとは違う。フィクスはそれに気づいたものの、理由までは分からなかった。
「それを聞いて、どうなさるおつもりです?」
「まだ分かりません」
「分からない?」
「はい。ただ、聞いているうちに、ちょっと変だなと思ったことがあって」
「何がです」
フィクスは卓上の粘土板へ目を落とした。何が書かれているのかは読めない。それでも、三日間倉庫で見てきたおかげで、その板が何をしているものなのかは分かり始めていた。
「倉庫に入った後のことは、かなり分かるんですよね」
「当然です」
「どこの村から何が来たのかも、どれだけ来たのかも分かる。出したときも書くから、残っている量も分かる」
「そのために書記官がおります」
「でも、その村で本当はどれだけ取れたのかは、王宮では分からない」
プロテウスが黙った。
フィクスは一瞬、何かまずいことを言ったのかと思った。
「……それを、誰から聞かれました?」
「誰からも」
「では、なぜそのように思われたのです」
「倉庫の書記官に聞いたんです。その村では全部でどれくらい取れるのかって。知らないと言われました」
プロテウスの視線がフィクスの顔から外れ、卓上の粘土板へ落ちた。
フィクスには、その沈黙の意味が分からない。
ただ、先ほどまで自分を問い詰めていた老人が、今は別のことを考えているらしいことだけは分かった。
やがてプロテウスが顔を上げた。
「では殿下。一つお尋ねしましょう」
「はい」
「ある村が、百の穀物を得たとします。その村が王宮へ納める量は二十と決められている。実際に二十が王宮へ届いた。それで何か問題がありますかな」
急に問題を出された。
フィクスは少し考えてから首を振った。
「決められた量が二十なら、それでいいんじゃないですか?」
「では、何を気にしておられる?」
「去年は百取れた。でも今年は五十しか取れなかった。それでも二十なら、村は困るでしょう?」
「ならば、納める量を減らせばよい」
「誰が決めるんです?」
「その地方を預かる者が事情を確かめ、王宮へ知らせます」
「その報告を見て決める?」
「そうです」
そこまでは倉庫でも聞いた話だった。
フィクスは膝の上で指を組み直した。
「じゃあ、その人が嘘をついたら?」
プロテウスの目つきが変わった。
まずい。
それはフィクスにも分かった。今までの疑問とは違う。これは地方を任されている人間が王宮を欺くという話になる。
「いや、嘘じゃなくてもいいんです」
フィクスは慌てて続けた。
「間違っていたら? その人自身が村まで見に行ってなかったら? 今年も去年と同じくらい取れるだろうって思っていたら?」
プロテウスは答えなかった。
「王宮から毎年全部の村を見に行くわけじゃないんですよね?」
「……そのような数の書記官はおりません」
「だったら、王宮が知っているのは、村で起きたことそのものじゃなくて、地方から上がってきた話なんじゃないですか?」
口に出してから、フィクス自身も少しだけ考え込んだ。
三日間、何となく引っかかっていたものが、ようやく形になった気がした。
倉庫の中では、驚くほど細かく物が記録されている。
だが、その記録の始まりは倉庫ではない。
ここに大麦が八十届いたなら、八十届いたということは正確に残る。けれど、その村が本当に八十を納めるべきだったのか。そもそも今年、その村ではどれほど収穫できたのか。その数字を王宮が直接見たわけではない。
記録が正しくても、その前にある情報まで正しいとは限らない。
そこまで考えたところで、フィクスはプロテウスがじっと自分を見ていることに気づいた。
「……何です?」
「いえ」
プロテウスはそう答えたが、視線を外さなかった。
その顔から最初の不機嫌さが消えたわけではない。ただ、フィクスを見る目だけが、わずかに変わっていた。
「殿下は、何をなさりたいのです?」
今度の問いには、すぐには答えられなかった。
王国を救いたい、とは少し違う。
王になるつもりもない。宮殿経済を自分ならもっと上手に動かせるなどと思っているわけでもない。三日間、倉庫をうろついただけだ。
「分かりません」
プロテウスが眉を寄せた。
「……分からない?」
「まだ三日しか見てませんから」
「では、なぜ調べるのです?」
フィクスは少し考えた。
「分からないまま考えても、たぶん間違えるからです」
プロテウスはまた黙った。
長い沈黙だった。
フィクスは、自分が何か妙なことを言ったのかと思ったが、老人の顔を見ても判断できない。
やがてプロテウスは椅子の背へ身体を預け、細く息を吐いた。
「……なるほど」
それだけだった。
だが、先ほどまで尋問されているようだった空気が、少しだけ緩んだ。
「では殿下。倉庫については、もう十分なのですかな」
「だいたいは。でも、今度は倉庫に来る前が知りたいです」
「来る前?」
「村で誰が量を決めるのか。誰が数えるのか。それを誰に伝えるのか。運んでくる途中で誰が確かめるのか。地方の書記官が書いたものと、ここの書記官が持っているものがどうつながっているのか。その辺がまだよく分かりません」
プロテウスの目が、今度こそはっきりと細くなった。
フィクスはまた何かまずいことを言ったかと思ったが、老人は怒らなかった。
「そこまで倉庫の書記官に尋ねても、困らせるだけです」
「やっぱり?」
「彼らは倉庫の書記官です。自分の仕事については答えられます。しかし、地方から王宮へ至るすべての仕事を知っているわけではありません」
「じゃあ、誰に聞けばいいですか?」
プロテウスは答えず、しばらくフィクスを見ていた。
その視線を受けながら、フィクスは妙なことに気づいた。
この老人は痩せている。
父アガメムノン三世とも、第一王子ヘラクレイオスともまるで違う。王宮で目立つ男たちの多くは、腕や肩に戦士らしい厚みがある。プロテウスにはそれがなかった。年齢のせいだけではないように思えた。
そのプロテウスの視線が、一度だけフィクスの腕へ落ちた。
「殿下は、武術の稽古を続けておられるそうですな」
「……はい」
なぜ今その話になる。
『あ、嫌な流れ』
ジェミニが頭の中で笑いを含んだ声を出した。
「成果のほどは?」
「聞かないでください」
思わずそう答えると、プロテウスの口元がほんのわずかに動いた。
恐らく、知っていて聞いている。第八王子の武術ベタは王宮内では有名だからだ。
「ドリュオンからは、何と?」
「最低限、身を守れるくらいにはなれ、と」
「なるほど」
「それ以上は期待されてないみたいです」
プロテウスは鼻から小さく息を吐いた。
「それでよろしいでしょう」
「いいんですか?」
意外な言葉だった。尚武の気風のアカイア王国で大人が子供に言う言葉ではない。
フィクスが老人を見ると、プロテウスは卓上の粘土板を一枚取り上げた。
「全ての人が武の才を持つわけではありません」
「プロテウスも?」
「さて」
肯定も否定もせず、老人は手にした粘土板へ目を落とした。
「人には向き不向きがあります」
それだけ言って、プロテウスは粘土板を卓へ戻した。
フィクスは何となく、自分の腕を見た。
武術ができない。
この王宮では、それだけで人を見る目が変わることを、元の第八王子はよく知っていたのだろう。レオンに抱いていた引け目も、その一つだったはずだ。
だが、目の前の老人は人の向き不向きについて話し、粘土板を取り上げ、また卓に置いた。
「書記官も悪くないですね」
「殿下がなる職ではありません」
「そういう意味じゃないです」
「分かっております」
今度は、確かにプロテウスの口元が緩んだ。
ほんの一瞬だった。
すぐにいつもの不機嫌そうな顔へ戻ると、老人は卓上の粘土板を整理し始めた。
「明日から、倉庫の書記官を困らせるのはおやめください」
「駄目ですか?」
「質問がおありなら、私のところへ来て下さい」
フィクスは瞬きをした。
「プロテウスのところに?」
「地方からどのように報告が届くのかを知りたいのでしょう」
「はい」
「ならば、倉庫へ行くより早い」
それは願ってもない話だった。
「分かりました。明日来ます」
「……毎日来るおつもりですか」
「駄目ですか?」
プロテウスはしばらくフィクスを見たあと、深く息を吐いた。
「まずは明日になさってください」
「はい」
立ち上がって礼を言い、アリタとともに扉へ向かう。外へ出ようとしたところで、背後から声がかかった。
「フィクス殿下」
振り返る。
「何です?」
「明日は、今日より少し難しい話になります」
「その方がいいです」
プロテウスの眉間にまた皺が寄った。
「そういうことを簡単におっしゃらぬように」
部屋を出て扉が閉まると、フィクスは廊下を数歩進んだ。
『気に入られたね』
「そうかな。半分くらい呆れられてた気がするけど」
「少なくとも、追い返されはしませんでした」
「それはそうだけど」
フィクスは一度だけ、閉じた扉を振り返った。
三日間倉庫へ通って分かったことより、分からなくなったことの方が多い。
それでも、次に何を見ればいいのかは分かってきた。
倉庫に並んだ甕を見るだけでは足りない。
その甕がここへ来るまでを知らなければならない。
フィクスは再び前を向いた。
「明日は、地方から届く報告について聞いてみよう」
『また質問攻め?』
「教えてくれるって言ったんだからいいだろ」
『プロテウス、明日には後悔してそう』
「それは俺も少し思う」
隣を歩くアリタが、何も言わずにほんの少しだけ視線を逸らした。
「アリタまでそう思ってる?」
「私は何も申し上げておりません」
「顔に出てる」
「そのようなことはございません」
フィクスは苦笑しながら廊下を歩いていった。
その日の朝まで、プロテウスという老人は、王宮の物資を取り仕切る不機嫌な最高財務官でしかなかった。
今は少し違う。
剣ではなく粘土板で、この王宮に自分の居場所を作った男。
明日は、その男から話を聞ける。
それだけでも、倉庫へ三日通った甲斐はあったように思えた。




