006 倉庫にて
拙作「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」 https://ncode.syosetu.com/n1389mm/ の三人がこの物語世界に転生しました。チラッと「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」を読んでいただければ三人のキャラクターが分かるかと思います。
午後になって稽古場を出たとき、フィクスは自分の身体について、昨日まで知らなかったことを一つ、嫌というほど理解していた。
武術の才能がない。
それも、本人が期待していたよりかなり徹底してなかった。
午前中、ドリュオンは難しいことを要求しなかった。足の運び、身体の向き、木剣の構え。教えられた動きを繰り返し、途中からレオンを相手に簡単な打ち込みをしただけである。それなのに、頭では分かっている動きが身体につながらない。右足を出すことを意識すれば剣先が下がり、剣を正しく振ろうとすれば足が止まる。レオンが同じ動きをすると、踏み込みから剣を振るところまでが一つにつながって見えるのに、自分がやれば別々の動作を順番に並べたようになる。
そして今、その結果として腕も脚も重かった。
『いやあ、すごかったね』
王宮の倉庫へ向かう廊下を歩きながら、左手首からジェミニの楽しそうな声が響いた。
「何が」
『マスターが剣を振るたびに、ドリュオン先生の顔から希望が消えていくところ』
「消えてない」
『消えてたよ』
「才能がないのは最初から知ってるんだから、今さら希望も何もないだろ」
『それもそうか』
慰める気はまったくないらしい。
フィクスは少し後ろを歩くアリタへ目を向けた。
「アリタはどう思う?」
「マスターには、武術以外にも優れた点が数多くございます」
「武術について聞いてる」
「…………」
アリタが黙った。
「おい」
「…………」
『アリタがフォローを諦めた』
「諦めてはおりません」
「じゃあ何か言ってくれ」
「マスターは……」
アリタはそこで再び言葉を止めた。
フィクスは前を向いた。
「もういい」
『あはははは』
「ジェミニ、うるさい」
もっとも、フィクス自身もそれほど落ち込んではいなかった。レオンに勝つ必要などないし、兄たちと武勇を競うつもりもない。ただ、この身体で生きていく以上、逃げるにせよ身を守るにせよ、最低限の動きは身につけておいた方がいい。ドリュオンが自分に教えているのもそのためなのだろう。武術の才能がないことを理解したうえで、最低限の護身ができるよう教えている人物だ。
それに、午後には午後の予定がある。
倉庫が近づくにつれて、廊下を行き交う人間の姿が変わってきた。大きな籠を背負った男、空の壺を二人がかりで運ぶ者、何かを数えながら指を折っている男。開け放たれた戸口の向こうには、昨日見た大甕が並んでいる。
フィクスは足を止めず、そのまま中へ入った。
倉庫の中は外よりひんやりとしていた。壁沿いに大きな甕が並び、その間を人が行き来している。少し奥では、低い台の前に座った男が湿った粘土板へ何かを刻んでいた。
昨日も見かけた書記官だった。
男はフィクスに気づくと、慌てて手を止めて立ち上がった。
「フィクス殿下」
「そのままでいい。ちょっと見に来ただけだから」
そう言ってから、フィクスは一番近くにあった大甕へ目を向けた。口は蓋で塞がれている。
「これは何が入っている?」
「大麦でございます、殿下」
「こっちは?」
隣を指す。
「そちらは小麦でございます」
外見だけではほとんど区別がつかない。フィクスは二つの甕を見比べてから、今度はその大きさに目をやった。
「この壺一つに、どれくらい入る?」
「この大きさでしたら――」
書記官は甕を見て答えた。フィクスには馴染みのない単位だったが、横からジェミニが換算してくれる。かなりの量だ。一家が食べるための保存容器というより、最初から大量の穀物を蓄えるためのものらしい。
「誰が持ってくるんだ?」
「近くの土地からでしたら、村の者が運んでまいります。遠いところのものは、地方を預かる者のところでまとめられ、そこからこちらへ送られてまいります」
フィクスは甕から書記官へ視線を戻した。
「毎年同じだけ持ってくるのか?」
「いいえ」
思ったより早く返事が来た。
「村ごとに納める物と量は決められておりますが、毎年まったく同じというわけではございません」
「どうやって決める?」
書記官は少し考えてから答えた。
「畑の広さや土地、それまでにどれほど納めてきたかを見ます。そのうえで、その年に納める量が決められます」
フィクスは小さく頷いた。
最初に想像していたものとは少し違う。収穫したものの何割かを機械的に取るのではなく、村ごとに負担する量そのものが決められているらしい。
「じゃあ、不作だったら?」
「ひどい不作であれば、納める量を減らすこともございます」
「誰が決めるんだ?」
「まず、その土地を預かる者から報告が上がってまいります。畑の出来が悪い、家畜が減った、そうした事情がございましたら、それも合わせて伝えられます」
「その報告を見て、減らす?」
「認められれば、でございます」
なるほど、とフィクスは思った。
だが、そこで一つ引っかかった。
「不作だったって、誰が確かめる?」
書記官が一瞬、答えに詰まった。
「まずは、その土地を預かる者でございます」
「王宮の書記官が見に行くんじゃなくて?」
「参ることもございます。しかし……」
男は倉庫の中へ目を向けた。粘土板を抱えて歩いている者がいる。別のところでは運び込まれた穀物を確認している者がいる。フィクスもつられて彼らを見た。
「すべての村へ、毎年でございますか?」
「うん」
「それは、とても人手が足りませぬ」
書記官は困ったように答えた。
フィクスは何も言わなかった。
地方から数字が上がってくる。王宮はそれを記録する。必要なら確認にも行く。しかし、すべての土地を毎年直接見て回れるわけではない。
だから地方を預かる人間がいる。
その仕組み自体がおかしいとは思わなかった。これだけの範囲を、限られた人数の書記官だけで直接管理するなど無理なのだろう。アカイア王国では、中央の書記官不足によって地方の管理に依存している。
ただ、フィクスの頭には一つ疑問が残った。
地方から上がってきた報告が正しいかどうか、王宮はどこまで分かるのだろう。
今はまだ、それ以上のことは分からない。
フィクスはその疑問を頭の片隅へ置き、目の前の甕へ視線を戻した。
「これ、どこの村から来たかも分かる?」
「はい」
「それも粘土板に書いてあるのか?」
「ございます。何が、どこから、どれだけ納められたかを記します」
書記官は先ほどまで作業していた低い台へ戻ると、そこに置かれていた粘土板の一枚を手に取った。表面には、フィクスにはまだ意味の取れない線文字がいくつも刻まれている。
昨日はただの模様にしか見えなかったものが、今日は少し違って見えた。
この板の向こうに村がある。
畑があり、そこで穀物を育てる人間がいて、その一部がここまで運ばれ、甕へ入れられる。そして書記官が、それを粘土の上に残す。
「じゃあ、ここから出したときも書くのか?」
「もちろんでございます」
「誰に渡したかも?」
「はい。誰に、何を、どれだけ渡したか。それを残しておかねば、倉の中に何がどれだけ残っているのか分からなくなってしまいます」
フィクスは書記官の持つ粘土板を見つめた。
入ってきたものを記録する。
出ていったものも記録する。
そして、その向こうには王宮から直接見えない村々があり、地方から上がってくる報告がある。
昨日まで、倉庫に並ぶ甕は単なる食料の山に見えていた。
今は違う。
甕と粘土板、その向こうにいる人間まで含めて、一つの仕組みになっている。
フィクスはもう一度、粘土板へ目を落とした。
まだ分からないことの方が多い。
だから、もう少し聞いてみようと思った。




