071 事業買収①
アカイア王宮への出頭と釈明を無事に乗り越え、領主館やコトナでの報告を終え、日常の政務が再び回り始めた。
そんな折、港の食堂で馴染みのフェニキア商人と言葉を交わしていたフィクスの耳に、ある話が舞込んできた。
「ナバルノに腰を据えて長い、同胞の老商人が一人いてね。そろそろ潮時だと、商会ごと事業を丸ごと手放したがっているんだ」
聞けば、その商会はナバルノ港を本拠とし、エリミオン周辺の農家や生産者からオリーブ油、葡萄酒、羊毛などを買い集め、寄港する海外商人たちへ卸す仲介を主業にしているという。港には手頃な規模の倉庫を構えており、クレタ島やキプロス、遠くテュロスにまで、長年細々とやり取りを続けてきた現地の代理人がいるという点だった。
これまで外の世界の情報といえば、立ち寄るフェニキア商人たちから断片的に買い取るか、世間話の端々から拾い集めるしかなかった。
ジェミニとも、海外情報を得るための、直接の情報網の必要性を話し合っていたところだ。
もしナバルノに拠点を置くその商会を手に入れ、東地中海の要所にいる代理人との連絡網を直に握ることができれば、定期的な交易の荷のやり取りを通じて、自前の情報パイプラインを構築できる。
フィクスは、まずは水面下で情報を洗うことにした。
数日の間、調査になれたエルド山地の傭兵達を使い、港の船員宿や荷揚げ場、荷役の頭や古参の水夫、エリミオン周辺の農家や生産者たちから商会の評判を集めて回った。だが、聞こえてくる噂は決して良いものではなかった。
「ああ、ハンノのところか。昔は手堅くやってたんだが、この数年はすっかり落ち目でね。仕入れの代金の支払いが滞りがちだね」
「倉庫の荷動きも鈍いよ。ここ数年でナバルノには新興の商人がどっと増えて、目利きの利く連中が上等な品をごっそり押さえちまうだろ。あの商会は昔馴染みの義理だけでどうにか集荷してるが、歳の為かあまり上手く立ち回れていないようで、寄港した船主たちにも買い叩かれていると聞いたよ」
集まった情報を頭の中で整理しながら、フィクスは港の突堤を歩いた。潮風が波しぶきの香りを運んでくる。
(なるほどな。典型的な世代交代の失敗と、市場の急激な変化についていけなくなった事業の末期症状か)
左手首のバングルへ意識を向けると、頭の中に直接、ジェミニの軽やかな思念が届いた。
『絵に描いたような斜陽商会ね、フィクス。ナバルノ港が急速に発展して流通量が増えたせいで、昔ながらののんびりした仲買システムじゃ競り負けちゃったわけだ』
(ああ。でも、俺たちが欲しいのは目先の利益や集荷枠そのものじゃない、商売としては、赤字が出ない程度に持っていければ問題ない。何十年もかけて築かれた、海を越える連絡網と現地の代理人だ。ゼロからクレタやテュロスに信用できる代理人を置く手間と時間を考えれば、基盤が残っているだけでも十分に価値がある)
『そうね。それに、事業が傾いてるなら買い叩……コホン、随分とお手頃な価格で譲ってもらえそうじゃない?』
からかうような相棒の言葉に、フィクスは苦笑いを漏らしながら思考を巡らせた。相手の経営破綻の要因を正確に把握した上で交渉の席に着けば、不要な資産と本当に必要な連絡網を適切に仕分け、現実的な再建策を描くことができる。
「よし、実際に会ってみよう」
フィクスは、その引退を望む老商人ハンノとの面談を取り付けることにした。




