↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
69/100

069 アガメムノン3世の査問②

「フィクス。近頃、王都まで妙な話が届くようになったぞ。エリミオンへ行けば、どこへ行ってもお前の名を聞くそうだ。ずいぶんと羽振りがよいそうだな」


 玉座のアガメムノン三世が、低く唸るような声で口を開いた。太い肘掛けに置かれた拳の指先が、苛立ちを隠すようにわずかに動く。


 すかさず第一王子ヘラクレイオスが、巨躯を揺らして一歩前に進み出た。唇に刻まれた嘲弄の笑みを隠そうともせず、跪くフィクスを見下ろして言葉を浴びせかける。


「陶工、石工、製材、酒造り、宿に食堂――どれもお前が元手を出して作らせたものだと聞いている。港へ行けば、お前の息がかかっていない商いを探す方が難しいとすらな」


 広間を取り囲む衛兵たちの槍先が、漂う緊張に呼応してかすかに擦れ合った。猛禽のような双眸を細め、アガメムノン三世が射抜くようにフィクスを捉える。


「さて、フィクス。実際のところはどうなのだ」


 フィクスは静かに顔を上げ、父王の苛烈な視線を正面から受け止めた。


「はい。多くの事業に関わっております。ただ、一つ誤解がございます」


「誤解だと?」


「ナバルノやエリミオンにある工房は、私だけの工房ではございません」


 ヘラクレイオスの隣に控えていた兄の一人が、嘲るように眉を跳ね上げた。


「何を寝言を。お前が元手を出して作らせた工房であろうが」


「はい。元手は出しました。ですが、私一人の所有物ではないのです」


 広間の空気がわずかにざわめいた。宮殿経済において工房とは、王家が囲い込む隷属職人の作業場か、さもなくば神殿の付属物にすぎない。その常識から外れた息子の言に、アガメムノン三世の眉間の皺が深くなる。フィクスは動じることなく、落ち着いた声音で願い出た。


「父上。口先でお話しするよりも、目で見ていただいた方が確かかと存じます。恐れながら、私と父上の間に小さな卓を一つ置くことをお許しいただけますでしょうか。また、説明に必要な品を持たせております私の従者を、この場へ呼ぶお許しを願いたく存じます」


 アガメムノン三世はわずかに目を細めたが、無言のまま顎をしゃくった。


 家臣が素早く動き、広間の中央に小ぶりな木製卓が据えられる。やがて重い扉が開き、小さな革袋を手にしたアリタが足音もなく優雅に入室してきた。そのすぐ後ろには、何枚もの粘土板を大事そうに抱えた従者の男が、息を詰まらせて続いている。


 従者が粘土板を卓の端に静かに置くのを見届け、アリタは、フィクスへ革袋を差し出した。


「フィクス様」


 受け取った袋の紐を解き、中身を卓上にあけると、乾いた音を立てて転がり出たのは、河原で拾い集めたような十個の丸い小石だった。


 玉座のアガメムノン三世は、その石ころを見るなり鼻を鳴らし、鬱陶しそうに手を払った。


「衛兵ども、下がれ。壁際に控えておれ」


 鋭い命に、槍兵たちが一斉に靴音を響かせて退く。


 フィクスは卓の上に散らばった小石を拾い集め、等間隔に一列に並べた。


「最初に陶工へ出資したときから、基本的な取り決めは変えておりません。私が元手を出し、相手は技術を出す。事業は半分ずつ所有します」


「半分だと?」


 ヘラクレイオスが怪訝そうに眉をひそめた。


「はい。職人は私の雇われ人ではありません。職人もまた工房の主です。元手だけでも、職人の腕だけでも工房は成り立ちません。ですから、半分ずつです」


 フィクスは十個の石を、左右に五つずつ分けた。


「したがって、私は勝手に工房を売ることもできなければ、職人を追い出して工房を取り上げることもできません」


 王は沈黙を守り、ただ卓上の小石を睨み据えている。


「そして、所有が半分だからといって、利益の半分を私が受け取るわけでもございません」


「どういうことだ」


 腕を組んでいた第二王子エウリュメドンが、探るような視線で口を挟んだ。


 フィクスは分けた石を、再び一列の十個に戻した。


「仮に、これを一年で得た利益のすべてといたします」


 そのうちの七個を、指先で向こう側へ押しやった。


「七割は工房に残します。翌年の原料を買い、道具を直し、窯を増やし、働く者を増やし、事業の不調に備えるためです」


 卓の手前に残された、三個の石を示す。


「所有者の取り分にするのは、こちらだけです」


「さらに、職人と私で半分ずつ。したがって利益が百ならば、私が受け取るのは十五です」


 フィクスはその三個を、さらに左右へ等分する仕草をした。


 広間に重い静寂が落ちた。書記官たちの列の先頭で、最高財務官プロテウスが白眉の奥の鋭い目をわずかに見開いている。


 兄王子の一人が、手前の三個の石を睨みつけ、苛立ったように声を上げた。


「……百のうち十五しか取らぬだと? 半分がお前のものなら、半分取ればよいではないか!」


「それをすれば、工房が育ちません」


「育つ?」


「利益が出るたびに持ち主がすべて取り上げてしまえば、事業はいつまで経っても同じ大きさのままです。七十を残せば、新しい窯が造れ、倉庫を増やせ、原料を多く仕入れられます。弟子を取ることだってできる」


 フィクスは父王へ視線を戻した。


「私が一度に五十を取るより、翌年に百だった利益が百五十になる方がよい。そして次の年にはさらに大きくなる。十年、それを繰り返してまいりました」


 アガメムノン三世が、初めて玉座から身を乗り出した。


「それで、商人共の噂になるほど事業が育った、と申すか」


「はい。もっとも、すべてが順風満帆だったわけではございませんが」


 フィクスが従者の粘土板を指し示すと、アリタが手際よくそれを受け取り、王の傍らに控える書記官へと渡した。


「こちらがフィクス様の取り分。こちらが工房に残した分。そしてこちらが職人の取り分です」


 アリタが、書記官に粘土板の数字の意味を抑えた声で説明する。


 書記官から粘土板を受け取った老財務官プロテウスは、刻まれた線文字Bの数字を老眼で追い、喉の奥でかすかに唸り声を漏らして頷いた。フィクスはその間、一切の弁明を急がず、静かに待った。


 やがてエウリュメドンが尋ねた。


「では、港の店や宿も同じ仕組みなのか」


「少し異なります。あちらはアルケシラオス殿との共同事業です。ナバルノはエリミオン領主の港。領主家との共同でなければ、事業はできません」


 その言葉に、隣に控えていたフィロメラが静かに背筋を伸ばし、王宮の重臣たちへ向けて凛とした礼を取った。領主の娘がこうして同席している事実そのものが、何より雄弁な証拠だった。


「だが、お前が私腹を肥やして裕福になったことに変わりはあるまい!」


 ヘラクレイオスが苦々しげに吐き捨てた。


「その通りです」


 フィクスはあっさりと首肯した。


「私は裕福になりました」


 衒いの一片もない返答に、兄たちは言葉を失い、堂内は再び静まり返った。


 フィクスは従者の手元から二枚目の粘土板を取り、卓の上に置いた。


「ですから、そのことについて父上に申し上げたく参上いたしました」


 アガメムノン三世の目が、猛禽のように細くなる。


「申してみよ」


「私が最初の事業を始められたのは、私一人の力ではございません。父上からコトナを預けていただき、王家から与えられた配給を元手に充てました。そして初期には、コトナの人手も使っております」


 王子たちの顔に嘲りと勝ち誇った色が浮かびかけたが、フィクスは声の調子一つ崩さなかった。


「いまならば、コトナの経営と私の事業は明確に分けます。しかし当時の私は、そこまで厳密に分けてはおりませんでした」


「つまり」と兄の一人が身を乗り出す。「王家の威光と財を使って商売を始めたと、自ら認めるのだな!」


「はい」


 迷いのない即答だった。


「ですので、その恩を受けておきながら、すべてが私のものだと強弁するつもりは毛頭ございません」


 アガメムノン三世は、感情の読めない冷徹な眼差しで息子を見下ろしていた。


「……それで?」


「私が各事業から受け取る所有者の取り分の十分の一を、今後十年間、王家へ納めたいと存じます」


 エウリュメドンが怪訝そうに眉を寄せた。


「十分の一だと?」


「事業全体の十分の一ではございません。それをすれば、職人や共同出資者の財産まで王家へ差し出すことになります。利益百のうち、私に入る十五の十分の一――事業全体から見れば、一・五にございます」


「ずいぶん少ないではないか」


「そう見えるかもしれません。ですが、一つ一つは小さくとも、育ちゆく多くの事業から毎年入るのであれば、決して軽い額にはなりません」


「十年が過ぎればどうする」


「終わりです」


 広間の隅々まで通る、明瞭な声だった。


「これは税ではございません。父上からいただいた後ろ盾と、コトナの力を借りて事業を始められたことへの返礼にございます」


 アガメムノン三世の眼光が、刃のように研ぎ澄まされた。この息子が、ただの言い訳や許しを乞うために頭を下げに来たのではないことを、完全に察知した目だった。


「代わりに何を望む」


「境を定めていただきたいのです」


 フィクスはもう一度、深く頭を垂れた。


「コトナの土地から得られる収穫は、これまでどおり王宮へ報告いたします。農法を改めたことで収穫が増えたなら、その増収も隠しませんし、納めるべき貢納も増やします」


 言葉を切り、まっすぐに父王を見上げる。


「しかし、そこから先は別にしていただきたいのです。受け取った取り分を再び別の職人へ出資し、その職人が事業を育て、そこから私がまた取り分を得る。それをも王家の財とされるのであれば、どこまで行っても境がなくなります」


 円柱が支える巨大なメガロンの空間に、口を挟める者は一人もいなかった。


「私は王家のものを私物にしたくはありません。同時に、職人のものも、私のものも、王家のものと混同されたくはないのです。……だからこそ、記録を明確に分けます。コトナのもの、領主家のもの、職人のもの、そして私のもの。それぞれが混ざらぬよう、境界を引いていただきたい」


 アガメムノン三世は、卓上の粘土板をじっと見つめていた。


 左手首のバングルから、ジェミニの息を潜めた思念が頭の中へ直接届く。


『……プロテウスの反応を見てるわね。王は数字の妥当性を測ってる』


 やがて王は、老財務官へと視線を投げた。


「プロテウス。コトナからの納めはどうなっている」


 プロテウスが一歩進み出て、枯れた、だがよく通る声で応じた。


「増えております。ここ数年、減らされた年はございません」


「不足は」


「ございません」


 王は再びフィクスへと鋭い眼光を戻した。


「つまり、お前がコトナから掠め取ることで豊かになったわけではないのだな」


「はい」


「領主から奪ったわけでもない」


「はい。ナバルノでの共同事業につきましては、アルケシラオス殿との厳格な取り決めがございます」


「職人から工房を取り上げたわけでもないのだな」


「彼らこそが、工房の半分の持ち主にございます」


 王は太い腕を組み、低く唸った。


「それで、お前は十五を取る。その十五の十分の一を、十年、こちらへ出すと」


 アガメムノン三世は鼻から長く、重い息を吐き出した。


「面倒なことを考える男だ」


 ヘラクレイオスが鼻先で嘲笑を浮かべたが、王は笑わなかった。卓上に並べられた十個の小石を、ただじっと見つめている。


「七つを残すから、来年もっと大きくなる、か」


 王はようやく、玉座の背もたれに巨躯を預けた。


「だからナバルノが栄えたのだな」


 フィクスは答えなかった。そこには職人たちの汗があり、商人たちの往来があり、何よりアルケシラオスとの協力があった。自分だけの功績ではない。


 やがて王は、傍らの書記官を指先で招いた。


「記せ」


 新しい湿った粘土板と尖筆が用意される。


「コトナより王家へ納めるものは従来どおりとする。増収についてもこれまでどおり報告させよ。……フィクスが自らの取り分をもって興した商い、その取り分から得たものは、フィクスの私財と認める」


 広間に尖筆が泥を削る乾いた音が響き渡る。


「ただし、事業を始めるにあたって王家より受けた恩への返礼として、フィクスが受け取る取り分の十分の一を今後十年間、王家へ納めさせよ」


 だが、アガメムノン三世は未だ、フィクスを下がらせようとはしなかった。玉座の肘掛けを太い指先で叩き、重々しい声音を低く響かせた。


「――ただし、一つだけ条件を付け加える」


 張り詰めた沈黙が広間を覆う中、王は視線をフィクス、そしてその隣で控えるフィロメラへと据えた。


「エリミオンの豪商や貴族どもの間で評判となっている厠の装置……『ウォシュレット』とやらを、この王宮に献上せよ」


「……は?」


 あまりに唐突な要求に、フィクスは思わず素っ頓狂な声を漏らしそうになった。左手首のバングルから、ジェミニが腹を抱えて転げ回っているような気配が伝わってくる。


「聞こえなかったか」


「い、いえ……職人共を手配し、王の厠に相応しきものを献上いたします」


 フィクスは居住まいを正し、父王に向けて深く頭を下げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。