067 獅子門
アスファリア港から仕立てられた二頭立ての馬車は、乾いた石灰岩の街道を埃を巻き上げながら北上していた。
車窓の彼方にそびえる岩山の頂きに、やがて異様なまでの圧迫感を放つ城塞の輪郭が浮かび上がってくる。峻険な丘の斜面を抱き込むように巡らされた城壁は、人の背丈を優に超える巨石が無造作に、しかし隙間なく積み上げられており、まるで山そのものが異形の鎧を纏って大地に根を下ろしているかのようだった。
馬車が坂道を登り詰め、外門の前の緩やかな傾斜地で速度を落とす。
「……あれが、獅子門」
馬車の小さな窓枠に指をかけ、外を凝視していたフィロメラの唇から、かすかな吐息が漏れた。
十年前にナバルノの丘で、海からの風に吹かれながらフィクスに語った憧れ。領主の館の奥で、吟遊詩人が爪弾く竪琴の調べとともに耳にした、神話と誉れに彩られた王宮の象徴。少女のころの自分が思い描いていた獅子門は、もっと優雅で、どこか遠い絵巻物のように華やかなものだったはずだった。
だが、いま眼前に迫るその姿は、およそ詩歌の甘やかさとは無縁の、剥き出しの威容だった。
両脇から突き出た巨大な石壁に挟まれた狭隘な通路の奥、巨石の楣石の上に据えられた三角形の石版。そこに刻まれているのは、中央の柱に前足をかけ、天を仰ぐ二頭の獅子の姿だった。長い風雨に洗われているものの、引き絞られた筋肉の隆起と獰猛な前脚の爪は、門をくぐろうとする者の頭上に冷酷な重圧としてのしかかってくる。
美しい装飾などではない。この門は、ここを訪れる者に自らの小ささを思い知らせ、王の前にひれ伏させるためだけに組まれた、冷徹な軍事と支配の象徴だった。
フィロメラは膝の上で重ねていた指先に、無意識に力を込めた。彼女には、この門が放つ無言の威嚇の意味が痛いほど理解できた。
(ここは、憧れを抱いて訪れる場所ではないのだわ)
胸の奥を鋭い冷気がよぎる。
夫フィクスがこの十年、エリミオンの土を耕し、名もなき職人たちに知恵を貸し、港に豊かな風を呼び込んで築き上げてきた富。中央の書記官たちには理解できぬその巨大な実りを嗅ぎつけ、呼び寄せて査問しようとする、貪欲で獰猛な獣の顎。自分たちはいま、その懐へと自ら足を踏み入れようとしている。
この門をくぐれば、どれほど父アルケシラオスがエリミオンで権勢を誇っていようとも、その庇護の光は届かない。王の不興を買えば、一言の失言、一度の躊躇が、十年かけて築き上げた穏やかな暮らしのすべてを瓦解させる刃となる。
フィロメラの薄い青の瞳に、静かで確固たる意志の光が宿った。
十年前、新居の広間で太古の精霊と出会った日、フィクスは己の命運を左右する最大の秘密を明かし、彼女を一人の伴侶として信じてくれた。ならば、その信頼に応えるのは今この時をおいて他にない。世間知らずの姫としてただ夫の背に隠れるつもりなど毛頭なかった。領主の娘としての誇り、そして何よりフィクスの妻としての覚悟を胸に、彼女は背筋をすっと伸ばした。
馬車が軋んだ音を立てて完全に停まる。
護衛のドリュオンが外で馬を御する低い声が響くなか、フィロメラは隣に座る夫へと視線を向けた。
フィクスは普段と変わらぬ穏やかな横顔で、巨石の隙間に穿たれた矢狭間や、城門を守る兵士たちの立ち位置を静かに見つめている。
「……参りましょう、フィクス様」
微笑みを湛えて告げたフィロメラの声には、先ほどの微かな強張りは消え、透き通った強さが満ちていた。




