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061 硝石畑

 強い日差しがコトナの石壁を熱する、夏の午後だった。


 日中の熱気を遮るように厚い垂れ幕を下ろした居宅の私室で、フィクスは冷ましたハーブ茶の素焼きの杯を指先で弄んでいた。正面の椅子には、実体と見紛うほど精密な等身大のホログラムを結んだジェミニが、優雅に足を組んで腰掛けている。三人だけのこの空間では、彼女は左手首のバングルから抜け出し、光の身体を現すのが常だった。その少し後ろでは、アリタが音もなく冷たい布巾を用意している。


「硝石畑を作ろうと思うんだ」


 フィクスが静かに切り出すと、ジェミニは涼しげな眉をわずかに持ち上げた。


『あら、いきなりね』


「唐突に聞こえるかもしれないけれど、条件が揃ったんだよ。去年の秋に手を入れた農地改革のおかげで、この春の小麦の収穫は成果が出た。村の農民たちも、政庁のメネステウスも、俺のやることに一目置くようになっている。それにナバルノの港の店や食堂も順調に回り始めて、手元の資金にも余裕ができた。なるべくならメネステウスを説得してコトナの公金でやりたいけれど、いざとなれば俺個人の懐からも出せる」


 フィクスは杯を卓に置き、外の眩しい中庭へと視線を向けた。


「何より、硝石が収穫できるようになるまでには年単位の時間がかかるからね。始めるなら、少しでも早くだ」


『確かにね』


 ジェミニは小さく肯き、空中に淡い光の図面を描き出しながら、その原理を滑らかな声でなぞった。


『雨の当たりにくい場所に「硝石畑」を設けて、土を盛る、完全に水浸しにならず、適度に空気が通る状態を維持する。そこに家畜の糞や人尿、腐敗した植物を混ぜ込むのね。微生物によって、窒素が硝酸塩へと変わっていくのを待つわけだから、どうしたって時間がかかるわ。十分に養われた「硝石土」からまとまった硝石を採集できるようになるまで、どんなに早くても四年から五年はかかるわね』


 光の図面を消すと、ジェミニは悪戯っぽく、しかし真剣な光を湛えた瞳でフィクスを見据えた。


『だけど、硝石を集めるということは、火薬を作るつもりでしょ? この青銅器時代に火薬なんて、完全なオーバーテクノロジーよ』


「分かっているさ」


 フィクスは苦笑を漏らしながらも、声音の芯を低く沈めた。


「あくまで、いずれやって来る破局……『海の民』が押し寄せてきたときの保険だ。使わずに済むなら、それに越したことはない。いたずらに広めるつもりもないし、後世に製法を残さないように注意する。俺たちの三人だけの秘密さ」


 控えていたアリタが、感情の起伏を抑えた涼やかな声で問いを挟んだ。


「そのお考えは理解いたします、マスター。ですが、メネステウス殿には何と説明なさるおつもりですか。副管理人である彼を納得させねば、土地の手配も人足の確保も滞ります」


「メネステウスには、新しい肥料を作るための実験だと言うつもりだよ。実際、土に混ぜるのは家畜の糞や人尿、腐った草木だ。外から見れば、時間を掛けた堆肥作りにしか見えないだろう? 春の収穫で結果を出している今なら、荒唐無稽な思いつきだと一笑に付されることもないはずだ」


『また、どこかの「賢者の知恵」を使うわけね?』


「そう、“万能”賢者の知恵さ。それに、嘘八百を並べるわけでもない。硝石――硝酸カリウムは、窒素とカリウムを豊富に含む極めて優秀な肥料でもあるんだから」


『それは事実ね』


 ジェミニが指を一本立てて補足した。


『生の糞尿や堆肥を畑に撒くのと違って、土から抽出して結晶化させた硝石は、不純物が少なくて成分が凝縮されている。水に溶かせば植物が即座に吸収できる速効性の窒素肥料になるし、何より結晶として精製してしまえば、壺に詰めて長期保存ができる。嵩張る堆肥の山と違って場所も取らない。運搬も楽よ。極めて筋の通った話だわ』


「だろ? 名目はどこまでも『痩せた土地を救うための乾いた肥料の製造』だ。それならメネステウスも反対する理由がない」


 翌日、フィクスは執務室にメネステウスを呼び、図面を示して計画を持ちかけた。


 長年コトナを実直に支えてきた老実務官は、また王子の奇策が始まったかと初めこそ眉間に深い皺を刻んだものの、春の豊かな収穫という確かな実績がものを言った。人糞や家畜の排泄物を衛生的に処理しつつ、長期間保管できる極めて強力な「白き肥料」を試製するのだというフィクスの理路整然とした説明に、メネステウスは唸り声を上げながらも納得を示した。


 費用については、公有地の将来の収益改善につながる公務としての側面と、前例のない試行錯誤である点を勘案し、コトナの財政とフィクスの個人資金とで折半することになった。


 真夏の熱気が立ち込めるコトナの片隅で、未来の脅威を見据えた静かな準備が、肥料の実験という名目を纏って動き始めた。


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