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054 食堂の運営で大事なこと

 港の食堂で働く者と、その仕事を教える者たちをコトナへ集めたのは、料理の腕比べからしばらく経った日のことだった。


 ミュリネとネストル、テレマコスは食堂へ勤めるわけではない。しかし、それぞれパン作り、魚の扱い、大勢の食事を作るための厨房仕事を食堂で働く料理人に教えてもらう。春から実際にナバルノ港の食堂で働いてもらうのは、エウポロスのほか、領主館から派遣してもらった料理人一人、別途雇った二人の料理人と二人の給仕の予定だ。


 フィクスは一同を見渡してから、その中にいる年嵩の男を示した。


「イアソンです。コトナと周辺の村を回って患者を診ている医者です。料理の腕比べにも出ていました」


「予選で落ちましたがな」


 イアソンが自分から付け加え、笑いが起こった。


「料理の腕を見込んで呼んだわけではありません」


「殿下、それもなかなか手厳しいですな」


 再び笑いが漏れる。それが収まるのを待って、フィクスは続けた。


「ただ、予選で医者であるイアソンの調理を見て、後日彼から話を聞いて、人に出す食べ物を扱う上で守らなければならないことがあると気づきました。食堂で働く皆さんには、それを守ってもらいたいのです。これから、イアソンから説明してもらいます」


 促され、イアソンが前へ出た。


「難しい話ではありません。私が患者を診てきて、こうした方が腹を壊す者が少ない、傷が悪くなりにくいと覚えたことです」


 まず自分の手を示す。


「料理を始める前、厠へ行った後、それから生の肉や魚を触った後には手を洗ってください。刃物や板や布も同じです」


「魚を切るたびにですか?」


 料理人の一人が尋ねた。


「続けて生の魚を切るなら構いません。生の魚を切った手や刃物で、パンや焼き上がった料理を扱わない、扱う前には洗う、ということです。水で血や脂をきちんと落とす。汚れた布で手や刃物や皿を拭くのも駄目です。布は用途を分け、洗って乾かしてください。必要なら灰も使って下さい」


 エウポロスが首を傾げた。


「それで何が違うんです?」


「さあ、分かりません」


 あっさりした返事に、何人かが顔を見合わせた。


「ですが、膿の付いた布を別の患者の傷へ使うと、そちらの傷まで悪くなることがある。傷を触る手や道具を洗うようにしてから、そういうことが減りました。料理でも同じようにしていると、腹を壊す者が少ないように思います」


 理屈ではなく、何十年も患者を見てきた経験だった。


「肉や魚、内臓には中までしっかり火を通す。作った煮込みを長い間ぬるいまま置かない。残った汁物を後で出すなら、もう一度よく煮立たせる。臭いや色がおかしい、粘りがある、虫がついている、古くて怪しい――そんな食材は使わない」


 そこでテレマコスが頷いた。


「食材を惜しむことと、傷んだものまで客に出すことは別だな」


「その通りです。それから水です。飲んだり料理に使ったりする水と、魚や汚れた道具を洗う水は分ける。井戸や泉の近くへ糞や生ゴミを捨てない。怪しい水しかなければ、沸かして使います」


 ミュリネが「パンに使う水もですね」と確認し、イアソンが頷いた。


「魚の内臓、血、肉屑も火床のそばへ積んでおかない。蝿や犬、鼠を食材へ近づけず、蓋のできるものには蓋をし、吊るせるものは吊るす。穀物は壺へ」


 話が続くにつれ、料理人たちの顔に少しずつ面倒そうな色が浮かんできた。


 イアソンは構わず最後まで話した。


「腹を壊している者や、吐いている者にも料理をさせません。手に膿の出る傷がある者も、治るまでは食べ物へ触らせない」


「そこまでやったら、人が足りないときに困りますよ」


 一人がとうとう言った。


「それに、手を洗え、刃物を洗え、布を分けろ、水まで分けろでは――」


「面倒でしょうね」


 フィクスが口を挟んだ。


 反論した男が黙る。


「仕事が増えるのも分かっています。ですが、これはお願いではありません」


 フィクスは集まった者たちを順に見た。


「ナバルノ港の食堂では、今イアソンが話したことを守ってもらいます。守れない人は雇いません」


 室内が静かになった。


「旨い料理を出しても、食べた客が腹を壊すようでは意味がない。それに商人や船乗りから、あそこで食べると腹を壊すと言われれば、それだけで客は来なくなるでしょう。そんなことが、一度でもあれば食堂の運営には致命的です。旨い料理を出すこと以上に、安心して食べてもらうのは大事だと心して下さい」


 しばらく誰も口を開かなかったが、やがてテレマコスが腕を解いた。


「なら、守りやすい厨房にしておくべきでしょうな。生の肉や魚を扱う場所と、出来上がった料理を置く場所を分ける。水も最初から置き場を決めておく」


「魚の内臓をすぐ片づけるなら、運ぶ先も決めておいてくれ」


 ネストルも加わった。


「布も置き場所を分けましょう。パンに使うものまで魚臭くされては困ります」


 ミュリネの言葉に、先ほどまで不満そうだった者たちから笑いが漏れた。


 フィクスは三人のやり取りを聞きながら頷いた。


「では、食堂が出来たら、まず厨房を見ましょう。イアソンとテレマコスを中心に、どこで洗い、どこで生の食材を扱い、出来上がった料理をどこへ置くか決めます。その後、一度実際に料理を作ってみましょう」


「味を見るんですか?」


 エウポロスが尋ねた。


「もちろん」


 フィクスは答えた。


「ただし今度は、味だけを見ているわけではありませんよ」


 その意味が分かったのか、エウポロスは自分の手を見て、それから苦笑した。


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