050 料理の腕比べ大会①
デオンは、朝のうちはここまで人が集まるとは思っていなかった。
村を出るときには、妻から油を入れた小さな壺を持たされていた。領都へ行けば、何か珍しいものと取り替えられるかもしれない。そう言われて肩から下げてきたものだ。「つまんないものと替えてくるんじゃないよ」と一言おまけ付きだ。料理の腕比べとやらを見物して、日が傾く前に帰ればいい。そんなつもりで近所の者たちと歩いてきたのだが、領都へ近づくにつれて同じ方向へ向かう人が増え、広場へ続く道まで来ると、子供を連れた家族や若者の一団までぞろぞろ歩いていた。冬のあいだは畑仕事も少ない。領主様から触れが回ってきたためかか、結構な人出だ。
幸い、冬とは思えないほど穏やかな日だった。空はよく晴れ、風も弱い。日の当たる場所なら外套の前を開けていても寒くない。
広場の入口まで来たところで、デオンは足を止めた。
人が列を作っている。その少し手前に木箱の台が置かれ、上に立った男が何度も同じことを大声で説明していた。
「よく聞いてください! この列の先で、一人につきこの陶片を五枚渡します!これは、オルと言います」
男は手にした穴の空いた小さな焼き物を頭上へ掲げた。
「この陶片で、広場の店にある食べ物や品と交換できます! これは領主アルケシラオス様と王子フィクス様から皆への振る舞いですので、陶片を受け取るのに品を出す必要はありません!」
その一言で、周囲がざわついた。
「ただでくれるのか?」
「でも、あんなの何の役に立つんだ?」
デオンの隣にいた男が疑わしそうに声を上げる。どうやら、さっきの説明を半分も聞いていなかったらしい。
「一人五枚です。ただし、一度受け取った方には手に判を押します。同じ人が二度受け取らないようにするためです。判は二、三日消えません。判を嫌う方は受け取らなくても構いません!」
「二、三日?」
デオンも自分の手を見た。
領主様や王子様の振る舞いで、何も手放さずに物が貰えるというのは、ありがたい話だが、そのために手へ消えない印をつけられるというのも気味が悪い。
隣にいた男はもっと嫌だったらしい。
「俺はいらん。手にそんなものを付けられてたまるか」
そう言って列に並ばなかった。
デオンは少し迷ったが、そのまま列に並んだ。せっかく領都まで来て、皆が貰っているものを自分だけ貰わないのもつまらない。
順番が来ると、係の男が陶片を五枚数えて掌へ載せた。
「手を」
差し出した手の甲へ、染料をつけた判が押された。擦ってみたが、確かに取れない。
それよりも、掌の五枚の陶片の方が気になった。
薄い緑色の穴の開いた焼き物だ。表面がツルツルしていて、デオンが知っている焼き物とは少し違う。片側にオリーブの枝らしきものが小さく刻印されていて、裏を返すと『1』、『OP』と意味の分からない文様が刻まれている。手にすれば拍子抜けするほど小さい。
オリーブの枝が刻印されているし、穴が開いているので紐を通して首飾りとして妻に送れば喜ばれるかもしれない。
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小さな陶片が、本当に食べ物と替わるのだろうか。広場へ入ると、その疑問はすぐに消えた。広場の周囲には食べ物を出す店まで並んでいた。
「肉、一つ!」
声につられて見ると、デオンの前で七つか八つほどの男の子が、串に刺した焼き肉を指さしていた。
「○オルだよ」
屋台の男が言う。
子供は握っていた陶片を○枚、背伸びして差し出した。
屋台の男がそれを受け取って、代わりに串を渡す。
それだけだった。
子供は嬉しそうに母親のところへ駆け戻り、まだ湯気の立っている肉へ齧りついた。
デオンは思わず掌の陶片を見た。
本当に替わった。
物々交換なら、まず相手が何を欲しがるか聞かなければならない。麦を持っていっても油が欲しいと言われれば話にならないし、こちらが欲しい物を相手が持っているとも限らない。
ところが子供は、陶片を○枚渡しただけで肉を持っていった。
「あれを渡せばいいのか」
後ろから声がした。
入口で列に並ばなかった男だった。
いつの間にか広場まで入ってきていたらしい。子供が串焼きを食べているのをじっと見ている。
「そうらしいな」
デオンが答えると、男は屋台に並ぶ肉とデオンの掌を交互に見た。
「……あの判、二、三日で消えるんだったな」
「そう言ってたぞ」
男はしばらく黙っていた。
やがて踵を返した。
「どこへ行く」
「別に」
そう言いながら、まっすぐ入口へ戻っていく。
しばらくしてデオンが振り返ると、男は何食わぬ顔で陶片配布の列に並んでいた。
思わず笑った。
自分も腹が減ってきた。
肉を貰おうかと思ったところへ、肉の屋台で揉めごとが起きたらしい。
「これでいいだろう」
老人が、小さな油壺を差し出していた。
「いや、爺さん。今日はオルだけなんだ」
「油だぞ。焼き物の欠片より、よほど使えるだろう」
「そりゃ分かってるけど、俺が決めたんじゃないんだよ。王子様の触れだよ」
屋台の男は困ったように頭を掻いたが、ふと思い出したように広場の端を指さした。
「ほら、あそこ。人が並んでるだろう」
「なんだ?」
「交換所だよ。あそこでその油とオルを交換してくれる。オルを持って戻ってくれば、交換で肉を渡すよ」
老人は指された方を眺めた。
「油を焼き物の欠片に替えて、その焼き物の欠片でお前の肉と替えるのか?」
「そういう決まりなんだ」
「面倒なことをする」
ぶつぶつ言いながらも老人は油壺を抱え、交換所へ歩いていった。
デオンは肩から下げた自分の壺を触った。
妻から持たされた油である。
五オルで足りなくなれば、自分もあそこへ行くことになるのだろう。
変な仕組みだと思った。
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だが広場を歩いているうちに、もっと変なことに気づいた。
「それ、どこで買った?」
「向こう。二オル」
「二つか。じゃあ俺も行ってくる」
そんな会話があちこちから聞こえる。
いつもの市なら、何と何をどれだけ替えたのかを聞く。今日は皆、いくつだったかを聞いていた。
しかもオルを使っているのは店だけではない。
「その干し葡萄一袋、交換してくれないか」
「何と替える?」
「オルでいいなら、○つ出す」
「○つじゃ少ない。△つだ」
「じゃあ△つ」
少し離れたところでは、見物人同士が勝手にそんな取引をしていた。
デオンは少し驚いた。店でも交換所でもないのに、勝手にそんな使い方をしていいのだろうか。だが、周りの者は誰も気にしていなかった。
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広場の隅に、さらに騒がしい一角があった。人集りがしている。
「当たり! 五オル!」
歓声が上がる。
何事かと覗き込むと、一オルと交換で、小さな札を引かせていた。
「何が当たるんだ?」
「一オル出して、当たれば、五オル、十オル――一番は百オル!」
「百?」
デオンは聞き返した。
五つをただで貰ったばかりなのに、一度当たれば百になるという。
手の中のオルが、急に別のものに思えてきた。
一つくらいなら。
そう思ったところで、目の前の男が札を引いた。
「外れ!」
「もう一度」
「お前、これで四度目だぞ!」
周りが笑う。
「次の人がいるから、もう一度くじを引くなら、並び直して下さいね」
男はくじ屋の店員に言われる。
「次こそ当てる」
男は本気だった。決意を込めた声で言いながら、男は並び直す。
デオンはそっと手を引っ込めた。妻に、油を持っていって何を持って帰ってきたのかと聞かれたとき、全部くじに使ったとは言えない。
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ちょうどそのとき、広場の反対側から大きな笑い声が響いた。
板を並べて作った舞台で、芝居をしていた。畑仕事を怠けて寝てばかりいる亭主を妻が追い回す話らしい。亭主役が大げさに逃げるたびに子供が喜び、見物人から野次が飛ぶと、役者が芝居を止めて言い返す。それがまた笑いを呼んだ。
近くの者たちの村芝居らしい、領主様は、村芝居まで呼んだのか。あの連中も、芝居をすれば領主様からオルをやるぞ、と呼ばれたのかな?
広場の中心付近では、料理の腕比べの参加者達が円形の縄張りの中で、料理をしている。縄張りの外の見物人に混ざろうとデオンは歩いていく。
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その途中で、妙に人の少ない店を見つけた。
食べ物はない。
薄い焼き物の板が何枚も並んでいるだけだった。
「これは何だ?」
暇そうにしていた店番が、すぐ一枚を取り上げた。
「文字の表です。こちらは数字の表」
「文字?」
「昔の賢者が考案したアカイア文字です。この印が音を表していまして――」
店番が急に元気になったので、デオンは聞いたことを少し後悔した。しかし、店員は構わず続ける。
「オルを持っていたら、見てみて下さい。片側に『1』、『OP』と刻んであるでしょ。これはそれぞれ『一』、『オル』って書かれているんですよ」
デオンはこの小さな陶片にそんなことが刻まれているのかと、感心したが。文字の表をオルを出してまで欲しいとは思わなかったので、適当なところで話を切り上げて歩き出した。
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さっきの串焼き屋の前を通ったところで足が止まった。店先の札に、『OP』と書いてある。その横には数を示すらしき印もあった。
「なあ、これは何が書いてあるんだ?」
一人の男が屋台の主人に尋ねていた。
「『串焼き』だそうだ。こっちが『○オル』」
「これが『○オル』という意味なのか?」
男はしばらく札を眺め、それから自分のオルを○枚出し串焼きと交換した。
昔の賢者が考案したという文字の表を売っている店には、ほとんど客がいない。
それなのに、よく見れば、その文字は広場中の店先にあった。
でも、昔の賢者の考案した文字を読める者など、どれほどいるのだろう?とデオンは思った。
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広場の中央の縄張りの中から魚の焼ける匂いが流れてきた。
見物人に混ざって見ると、腕比べの参加者たちはまだ料理を続けている。料理人ではない者が、板と細く短い棒を持って、料理人の間を歩いている。
その向こうでは、判を押された子供が串焼きを持って走り、交換所では老人が何かを差し出している。舞台の周りからは笑い声が上がり、くじの前ではまた誰かが歓声を上げた。
冬の低い陽が、広場いっぱいに差していた。
こんなに人の集まった冬の日を、デオンはこれまで見たことがなかった。
そう思ったところで腹が鳴った。
デオンは掌を開いた。
まだ、五オル全部残っている。
少し考えてから一枚を摘まみ上げ、先ほど子供が肉と交換していた屋台へ向かった。
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デオンはその夜、一枚だけ残したオルを妻に見せながら、今日あったことを話した。オルが配られたこと、オルがあれば広場の店で何とでも交換できたこと、そして、このオルには昔の賢者が考案したアカイア文字で『一』、『オル』と書かれているのだと自慢げに妻に話した。




