043 秋
秋になった。
夏のあいだ白く乾いていたコトナ周辺の畑にも、麦を播く季節が来ていた。
フィクスが春から借りていた試験畑では、朝から何人もの男たちが働いている。春にはすでに作物が育っていたため手をつけられなかった区画も、今は耕され、細かく分けられていた。区画の端には目印となる杭が打たれ、書記官が蝋板を手に作業を見守っている。
「それはこっちです。混ぜないようにしてください」
フィクスが声をかけると、小袋を抱えていた男が頷いた。
袋の中身は、夏のあいだ各地へ送り出していた傭兵たちが集めてきた麦だった。
山間の村で長く作られてきたもの、海沿いの乾いた土地で育てられていたもの、エリミオンの外から手に入れたもの。同じ麦と呼ばれていても、粒の大きさや色には少しずつ違いがある。
どれがこの土地に向いているのか。どれが少ない雨に耐えるのか。
見ただけでは分からない。
だから育てて比べる。
フィクスはしゃがみ込み、指先で耕された土を崩した。春に来たときよりも、この畑の土について分かることは増えている。夏を越した堆肥も、ようやく使える状態になっていた。
ただし、全部の畑へ入れるつもりはなかった。
「こちらには堆肥を入れる。同じ麦を播く隣には入れないでください」
作業をしていた男が、不思議そうな顔をする。
「入れた方がよいのでしたら、全部へ入れた方がよいのでは?」
「良いかどうかを、これから確かめるんです」
フィクスは立ち上がり、隣り合った二つの区画を指した。
「同じ麦を播いて、こちらだけに堆肥を入れる。それで育ち方や収穫が違えば、堆肥の影響だと考えられるでしょう」
「同じなら?」
「そのときは、少なくともここでは、私たちが思ったほど役に立たなかったということです」
男は納得したのかどうか分からない顔で頷いた。
それで構わなかった。
結果が出れば、説明するより早い。
春に同じことを始めた頃には、赴任した王子の気まぐれを見るような者も少なくなかった。今は事情が違う。
領主アルケシラオスがフィクスの試みに理解を示し、領内の村や役人に協力するよう伝えてくれたからだった。必要な物資の一部まで領主家が負担してくれるようになり、調査へ送り出せる傭兵の数も増えた。戻ってくる彼らが持ち帰るのも、もはや道筋を記した野帳だけではない。水場の様子、村で作られている作物、土地の特徴、そして土地ごとの種。
フィロメラとアンティロコスも、折に触れてコトナへ顔を出すようになった。
フィロメラに案内されて織物の作業場を見たのも、その一つだった。
糸が布になっていく工程だけではない。羊毛がどこから入り、誰が紡ぎ、誰が織り、どのような布なら領内で使われ、どのようなものなら交易品になり得るのか。まだ分からないことの方が多かったが、それでよかった。
水を知る。土地を知る。種を選ぶ。
そして、一つの実りだけに頼らない。
大旱魃に備えた七策は、少しずつ現実の仕事になり始めていた。
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季節が変わったことは、ナバルノ港へ行けばもっとはっきり分かった。
夏には異国の言葉まで入り交じっていた港から船が減り、岸辺の騒がしさも薄れている。これから海が荒れる季節になれば、遠くまで航海する商人はさらに少なくなる。
フィクスにとっても、商人から話を聞き、珍しい品や情報を集める機会は春まで減ることになる。
だが、その代わりに進められる仕事もあった。
その日の午後、政庁の住居へ一人の若い陶工がやってきた。
「お久しぶりです、フィクス様」
「久しぶり、エウメロス」
以前より少し日に焼けたように見える青年を、フィクスは広間へ通した。
あの便器は、見事に焼き上がった。
形を作ればそれで済むものではなかった。乾燥の途中で歪み、焼けば割れることもある。エウメロス自身が最初に言っていた通り、大きく、しかもこれまで作ったことのない形の焼き物は簡単ではなかった。
それでも彼は約束したものを作った。
だからフィクスも約束を守った。
エウメロスは今では、フィクスが新しい焼き物を必要とするときに真っ先に声をかける指名の陶工になっている。
もっとも、今日は何かを注文するためだけに呼んだわけではない。
エウメロスが座ると、アリタが香草茶を運んできた。フィクスの左手首から、ジェミニの声が頭の中へ届く。
『さて。第二弾だね』
(便器よりは嫌がられないと思うけどな)
『作れるかどうかは別だけどね』
(だからエウメロスを呼んだんだよ)
フィクスは茶を一口飲み、向かいの青年を見る。
「それで、今日は何を作ればよろしいのでしょうか」
エウロメロスは期待に満ちた声で訊く。
「私が王宮の粘土板で得た知識を渡す。あなたが、それをこの土地の粘土と窯で試す。うまくいかなければ、なぜ駄目だったかを二人で考える。と以前約束しました」
フィクスは少し笑った。
「私が王宮の粘土板で得た知識を試して欲しいのです」
「では、また試作ですか?」
「その相談です」
窓の外では、秋の風が中庭の木の葉を揺らしていた。
海を渡る商人が減る季節に入った。
その間に、春になったら彼らの船へ積みたくなるものを、一つでも増やしておきたかった。




