042 領主アルケシラオスへの報告
翌朝、フィロメラとアンティロコスは父の執務室にいた。
アルケシラオスは二人の話を黙って聞いていたが、アンティロコスが蝋板を取り出すと、その手元へ目を向けた。
「それで、フィクス様は何を考えておられた?」
「まず、これを聞かされました」
アンティロコスは蝋板を見ながら読み上げた。
「水を知れ。土地を知れ。種を選べ。土を守れ。余った年には蓄えよ。一つの実りに頼るな。そして、他所から食べ物を得る道を持て」
アルケシラオスは何も言わなかった。
ややあって、椅子の背から身体を起こす。
「……もう一度言え」
アンティロコスが繰り返した。今度はアルケシラオスも一つ一つを確かめるように聞いている。
「王宮の古い粘土板にあったそうです。昔、大旱魃が続いたときの記録と一緒に、さらに古い時代の賢者から伝わった言葉だと」
「王宮に、そんなものが残っていたのか……」
アルケシラオスは考え込んだが、すぐに顔を上げた。
「待て。では、泉を調べていたのは――」
「水を知れ、です」
フィロメラが答えた。
「道や村を調べて地図にしているのは、土地を知れ。色々な場所の麦を集めているのは、種を選べ」
「堆肥や土の扱いを試しているのが、土を守れ、か」
「はい」
アルケシラオスの顔から、次第に驚きとは違うものが消えていった。
困惑だった。
これまで領内から入ってきた報告は、どれも脈絡がないように見えていた。泉を調べたかと思えば畑へ行き、傭兵たちに土地を歩かせ、陶工の窯を訪ね、港で商人と話し、今度は青銅工房まで見た。
それが七つの言葉を置いた途端、一つずつ場所を得ていく。
「……最初から、ばらばらではなかったのか」
「私たちも、昨日初めて分かりました」
アンティロコスが答えた。
アルケシラオスは蝋板を受け取り、もう一度読み返した。しかし、陶工の窯や、青銅工房に違和感を覚え、二人に確認する。
「一つの実りに頼るな、だそうです」
アンティロコスが答えた。
「……これは、麦ばかり作るなという意味ではないのか?」
「私も、最初はそう思いました」
フィロメラが答えた。
「フィクス様もそう思っていたそうです。でも、コトナへ来て、港や工房を見ているうちに、別の意味もあるのではないかと」
「別の意味?」
「エリミオンが外へ出しているものは、油や葡萄酒など、土地から得られるものが多いでしょう?」
「そうだな」
「でも銅や錫は外から来ます。ほかにも、エリミオンでは得られないものを手に入れようと思えば、こちらから何かを渡さなければなりません」
そこまで聞いたところで、アルケシラオスの視線がわずかに動いた。
フィロメラは続けた。
「それを農作物だけに頼っていたら、交易をするたびに、食べられるものや食べ物を生み出すものが領内から出ていきます」
「……なるほど」
アルケシラオスの指が、蝋板の縁をゆっくりとなぞった。
「だから窯場と青銅工房か」
「はい。それに織物も考えているそうです」
今度はアンティロコスが口を開いた。
「他所の者が欲しがる器や青銅製品、布を作れるなら、それも交換に使える。油を十壺出していたところを八壺で済ませられれば、残った二壺を領内に残せる。フィクス様は、そういう考えでした」
アルケシラオスは返事をしなかった。
領主として長く物資の出入りを見てきたからこそ、その意味はすぐに分かった。
「一つの実りとは……作物一つのことではないのか」
独り言のように呟く。
「土地から得られるものだけに、領地の富を頼るなということか」
フィロメラは頷いた。
「フィクス様は、陶工が作る器も、工人が作る青銅器も、織り手が作る布も、この土地の『実り』と考えられるのではないか、と」
アルケシラオスは七つの言葉を見つめたまま、しばらく動かなかった。
そして最後の一行へ目を移す。
「他所から食べ物を得る道を持て……」
六番目と七番目が、そこでつながった。
平時に農作物以外の交換物を育てておけば、領内の食料を余計に外へ出さずに済む。余ったものは蓄えられる。そして不作になれば、その器や布や金属製品を、今度は外の食料と交換することもできる。
単に畑を豊かにしようとしているのではない。
不作になったときにも、領地そのものが食料を手に入れ続けられるようにしようとしている。
アルケシラオスはようやく蝋板から顔を上げた。
「……そこまで考えて、窯場を見ていたのか」
「おそらく」
アンティロコスが答えた。
「青銅工房でも、出来上がった剣より、銅と錫がどこから来て、どれだけ使われるのかを気にしていました」
アルケシラオスは再び黙った。
泉、地図、麦、堆肥、窯場、港、青銅工房。
これまで届くたびに首を傾げていた報告が、今では一つの方向を向いていた。
「……最初から、大旱魃に備えていたのか」
その声には、もう困惑はなかった。
代わりに、十五、六の若者を見るものとは思えない慎重さが宿っていた。
「王宮は――、いや、古い粘土板は」
アルケシラオスは七策の刻まれた蝋板を見下ろした。
「いったい、あの方に何を教えていたのだ」




