↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/100

004 1日目の終わり

拙作「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」 https://ncode.syosetu.com/n1389mm/ の三人がこの物語世界に転生しました。チラッと「ここは小惑星(絶対安全・快適)引きこもり生活」を読んでいただければ三人のキャラクターが分かるかと思います。


 夜になると、王宮の中は昼間とは別の場所のように感じられた。


 中庭から差し込んでいた強い日差しは消え、フィクスの部屋を照らしているのは二つの灯火だけになっている。窓にはガラスも戸板もないため、夜気とともに遠くの物音がそのまま入り込んできた。昼間ほどではないにしても、王宮全体が眠っているわけではないらしい。ときおり廊下を歩く足音が石壁に反響し、遠くでは男たちが何かを運んでいるらしい掛け声も聞こえる。


 夕食の器を下げに来た使用人が去ってから、アリタは一度廊下へ出て周囲を確かめた。戻ってくると静かに扉を閉め、フィクスへ頷く。


「しばらく、こちらへ来る者はいないと思われます」


「じゃあ、いいかな」


 フィクスが左手首へ目を向けると、バングルの表面から淡い光が広がった。それが低い卓の向こうへ集まって人の輪郭を作り、やがて一人の女性がそこに座っているような姿になる。


 ジェミニだった。


『やっと出られた』


 開口一番そう言って、ジェミニは両腕を頭の上へ伸ばした。ホログラムなのだから身体が凝るはずもないのだが、その仕草は妙に人間臭い。


「昼間もずっといたじゃないか」


『いたけど、ずっとマスターの左手首だったでしょ。こうして三人で顔を見ながら話すのとは違うの』


「顔を見てって、お前の顔は自分で作ってるだろ」


『細かい』


 いつもの調子で言い返され、フィクスは少し笑った。


 朝にこの部屋で目を覚ましてから、まだ一日も経っていない。ところが、今こうしてジェミニが向かいにいて、アリタが隣に座っていると、それだけで妙に安心する。昼間は何を見るにも現地人の目があり、ジェミニへ返事をすることさえ気をつけなければならなかった。それだけに、三人だけになった今になって、ようやく転生後最初の一日が終わろうとしているのだと実感できた。


「それで、どうだった?」


 フィクスが二人を見比べると、ジェミニは少し考えるように首を傾けた。


『何が?』


「今日一日。俺は見てるだけで精いっぱいだったから、二人がどう見てたのか聞きたい」


『じゃあ、マスターのことからかな』


「俺?」


『うん。第八王子フィクス君』


 嫌な予感がしてフィクスが眉を寄せると、ジェミニは楽しそうに笑った。


『ちゃんと王子様だったね』


「その言い方、馬鹿にしてない?」


『してないって。朝はマスター自身も半信半疑だったでしょ』


 否定できなかった。


 十三歳の身体になったことも、第八王子という身分も、朝の時点では知識でしかなかった。それが一日王宮の中を歩いただけで、かなり具体的なものへ変わっている。


「廊下を歩けば、みんな道を空けたな」


「はい。年長の者も含め、マスターとすれ違った使用人は足を止めて礼をしていました」


 アリタに言われ、フィクスは水の入った壺を抱えていた男を思い出した。かなり重そうだったのに、フィクスが近づくと壁際へ寄り、通り過ぎるまで待っていた。


「頼んだことも、だいたいやってもらえた。水が欲しいと言えば持ってきてくれるし、貯水槽を見たいと言えば案内してくれた。風呂に入るだけでも、何人か動いてたし」


『でも、第一王子とは全然違った』


「それも分かった」


 朝、第一王子の部屋へ運ばれていった品々を思い出す。自分の朝食を運んできたのは一つの盆だったが、あちらには何人もの使用人が荷を運んでいた。その後も王宮内を歩くうち、第一王子に付き従う人間を遠くから見かけたが、自分の周囲とは明らかに人数が違っていた。


 それでも、フィクスの部屋に粗末なものしか与えられているわけではない。食事は十分にあり、衣服も寝具もある。望めば人を使うこともできる。


「冷遇されてるわけじゃないんだよな」


『うん。王子として扱われてる。でも、重要人物として扱われてる感じもしない』


 フィクスは小さく頷いた。その言葉が、今日感じていたものに一番近かった。


 王族だから礼は払われる。必要なものも与えられる。しかし、十三歳の第八王子が一日中、厨房を覗いたり貯水槽を見たがったりしても、わざわざ止めに来る者はいない。何をしているのか逐一報告されている様子もなかった。


「だったら、悪くないか」


『何が?』


「動きやすい。王子だから見たいものはだいたい見られる。でも、俺が何をしてるか気にする人間は少ない」


『ああ、それは確かに』


「ただし、現時点での判断にすぎません」


 アリタが静かに口を挟んだ。


「一日目に接触した者だけで、王宮全体におけるマスターの立場を断定することはお勧めいたしません」


「分かってる。今のところ、だな」


 そう答えながら、フィクスは昼間に歩いた王宮を思い返した。


 自分の立場だけではない。朝には単なる巨大な城塞にしか見えなかった王宮が、一日歩いたことで少し違って見えるようになっていた。


「それにしても、人が多かったな」


『何人いたと思う?』


「分からない。数えられるような状況じゃなかったし」


 ただ、どこへ行っても誰かが働いていた。


 食料を運ぶ者、水を運ぶ者、薪を抱えて歩く者。厨房では人が火を扱い、浴室では湯を用意するために別の人間が動いていた。自分が何気なく使ったものの後ろに、必ず誰かの仕事がある。


 フィクスは朝に使った便所を思い出し、卓に置かれていた杯を指先で転がした。


「便所もそうだったな。最初は、もっとひどいものを想像してた」


『マスター、古代を舐めてたからね』


「それはもう認めたよ」


 王宮内には専用の便所があり、用を足す場所の下には縦坑が通っていた。排泄物はそこを落ちて、さらに下に設けられた汚物処理場所へ集まる。水で遠くまで流してしまうわけではないが、少なくとも王族が暮らす場所と、汚物を処理する場所は分けられていた。


「上で用を足す側からすると、穴に落ちて終わりなんだよな。でも、実際には終わってない」


『下に溜まるからね』


「そう。結局、誰かが処理する」


 朝には臭いや紙がないことばかり気にしていたが、一日過ごしたあとで考えると、そちらの方が印象に残った。自分の目の前から消えたものは、どこか別の場所へ移されただけなのだ。


「ボンド・ロックと同じか」


『何が?』


「見えないだけってこと。向こうだって排泄物が消滅してたわけじゃない。機械が処理してたから、俺が気にしてなかっただけだろ」


『まあ、そうだね』


「こっちは、その機械の代わりを人がやってる」


 口にしてみると、それは便所だけの話ではなかった。


 フィクスが卓の上の杯へ目を向けると、昼間に見た地下の貯水槽が自然に頭へ浮かんだ。王宮で使われる水は、高い場所にある泉から高低差を利用して引かれ、導水管や水路を通って貯水槽へ入る。そこまでは人間が一つ一つ壺を担いで運んでいるわけではない。


「あれはすごかったな」


『貯水槽?』


「うん。ポンプもないのに、泉から水が来る」


『高いところから低いところへ流してるだけだけどね』


「その『だけ』をちゃんと利用できてるのがすごいんだよ」


 昼間、導水の仕組みを見ていたときには、古代という言葉から無意識に抱いていた印象を少し修正させられた。石と土と焼いた粘土しかなくても、水を集めて蓄える仕組みは作れる。


 ただ、感心したのはそこまでだった。


「貯水槽から先は、人だったけどな」


『そこは徹底して人力』


「厨房まで運ぶ。部屋まで運ぶ。風呂まで運ぶ」


「用途によって運搬に使用する容器も異なっていました」


 アリタの言葉に、フィクスは頷いた。大量に使う場所へは大きな容器で運び、自分が朝に水を求めたときには少年が小さな水差しを持ってきた。同じ貯水槽から出た水でも、最後には必要な場所へ人間が届けなければならない。


 夕方の入浴は、それがもっと分かりやすかった。


「風呂なんて、入ってる俺より準備してる人の方が大変だったよな」


『それは間違いないね』


 陶製の浴槽そのものには感心した。床には使った水を流すための排水もあり、身体を洗う場所として想像していたほど不便ではなかった。


 しかし、浴槽があることと、風呂に入れることは同じではない。


 貯水槽から水を運び、別に沸かした湯も運び、それを浴槽で混ぜて温度を調整する。フィクスは用意された浴槽へ入っただけだが、その状態になるまでには何人もの人間が動いていた。


「俺は服を脱いで入っただけなんだけどな」


「それが王族の待遇です」


「分かってるけど」


『マスター一人をお風呂に入れるために、水と薪と人手を使ってるわけだ』


 ジェミニの言葉を聞いて、フィクスは朝食のときから引っかかっていたことを思い出した。


「……人手も、物資みたいなものなのかもしれないな」


『どういう意味?』


「使える量が決まってるってこと」


 第一王子には、自分より多くの物資が運ばれていた。フィクスにも王子として十分な食料や水、衣服が与えられているが、好きなだけというわけではない。朝食のパンにも「部屋への割り当て」があった。


 ならば、人間の労働も似たようなものではないか。


 王や第一王子なら、より多くの使用人を動かせる。第八王子であるフィクスも一般人とは比較にならないほど人を使えるが、王宮にいる人間を好き勝手に動かせるわけではない。


「食べ物も水も薪も布も、それに人の仕事も、誰かがどこへ回すか決めてる」


 言いながら、フィクスは今日一日ばらばらに見ていたものが、少しずつ一つにつながっていく感覚を覚えた。


 朝食のパン。貯水槽の水。浴室の薪。廊下を行き交っていた壺や籠。そして、王族によって違う配給量。


 どれも単独で存在しているわけではない。


『で、誰が決めてるのか気になった?』


「うん」


 ジェミニにはもう読まれていたらしい。


 フィクスは昼間、倉庫の近くを通ったときの光景を思い出した。荷を積んだ者が立ち止まり、その横で別の男が小さな粘土板を手にしていた。何かを確認したあと、荷は倉庫の中へ運び込まれていった。


「あの粘土板だな」


『たぶんね』


「何を書いてたんだろう」


『それは見てみないと分からない』


 ジェミニがあっさり答えた。


 フィクスは少し笑った。超知性だからといって、まだ見てもいない粘土板の内容まで知っているわけではない。その方が都合がいい。この世界について最初からすべて答えを教えられるより、自分で確かめた方が面白い。


「書記官に聞いてみるか」


「どの書記官へ接触なさいますか?」


 アリタに尋ねられ、フィクスはすぐには答えなかった。


 書記官たちを束ねる人間がいることは知っている。しかし、転生した翌日にいきなりその人物を訪ねて、王宮の物資管理を教えてほしいと言うのは、さすがに不自然な気がする。


「偉い人は、まだやめておこう」


『私もそう思う。昨日まで興味のなかった十三歳の第八王子が、急に王宮の財政を調べ始めたら目立つよ』


「やっぱりそうだよな」


「では、現場へ行くのが自然かと思われます」


 アリタがそう言ってから、昼間フィクスたちが通った倉庫の方角へ視線を向けた。もちろん石壁の向こうが見えるわけではないが、フィクスにも何を言いたいのかは分かった。


「倉庫か」


「はい。物資の出入りがある場所であれば、書記官が実際に記録を行っているところを確認できる可能性があります」


『今日の貯水槽と同じだね。「見たいから見に来た」でいいんじゃない?』


「十三歳だしな」


『十三歳だから使える手だよ』


 それなら周囲にも、それほど不自然には映らないかもしれない。十三歳の王子が、昨日は水に興味を持ち、今日は倉庫へ行って粘土板を覗き込む。気まぐれな少年と思われる程度なら、その方が都合がいい。


「書記官を呼びつけるんじゃなくて、仕事してるところへ行く。それで、目の前にあるものから聞いてみるか」


『例えば?』


「その粘土板に何を書いてるのか。今運び込まれた物が何なのか。どこから来たのか。逆に、倉庫から出すときは誰が決めるのか」


 そこまで言って、フィクスは少し黙った。


 昼間見た王宮では、すべてが動いていた。泉からは水が来ていたし、厨房には食材があり、自分の部屋にも食事が届いた。浴室では湯を使うことができ、使用人たちは決められた仕事をこなしている。


 今は、それで成り立っている。


 だが、フィクスが本当に知りたいのは、その先だった。


「足りなかったら、どうするんだろう」


 ジェミニが少しだけ表情を変えた。


『穀物とか?』


「それだけじゃない。水でも薪でもいい。決められた量が来なかったとき、誰が足りないって判断して、どこを減らすんだろう」


 第一王子と自分の配給に差があるなら、不足したときにはその差がもっと大きくなるのかもしれない。あるいは王族への配給を守り、別の誰かの分を減らすのかもしれない。


 ここで行われている王宮経済とは、王宮を中心に物資と労働力を集め、管理し、分配する仕組みである。村々から穀物、油、家畜などを貢納として集め、倉庫に蓄え、書記が記録する。それを兵士、職人、神官らに配り、大軍の維持や建築、工房での生産などに用いる。


 王宮経済の最大の弱点は、物資の集積と再分配を王宮という一つの中枢に依存することにある。平時には大量の物資と人員を効率よく動かせるが、旱魃や戦争、反乱などで王宮の徴収・輸送・記録・配給機能が損なわれると、広い地域の経済活動が連鎖的に停滞する。これが、ミケーネ文明が滅びた一因とされる。硬直した王宮経済に冗長性を持たせなければ、この物語世界でのアカイア王国も同じ運命をたどる可能性が高い。


 転生する前に調べてきたので、概要は知っている。しかし、実際にどのように行われているのかは、まだ何も分からない。


 だからこそ、知りたかった。調べることが必要だ。


「明日は、収集と分配の要となる倉庫だな」


『決まりだね』


「私も同行いたします。ただし、マスター」


 アリタの声音が少し変わったので、フィクスは嫌な予感がした。


「何?」


「本日は歩き過ぎです。十三歳の身体であることを、もう少し意識してください」


『あ、それ私も言おうと思ってた』


「二人して言わなくてもいいだろ」


「入浴時にも脚部に疲労が見られました。明日も同程度の距離を歩かれるのであれば、途中で休息を取ることをお勧めします」


 言われて意識した途端、昼間には気にならなかった脚の重さが戻ってきた。転生前の感覚で歩き回っていたが、今の身体は十三歳である。頭では理解していたはずなのに、興味のあるものを追いかけている間はすっかり忘れていたらしい。


『文明の仕組みを調べる前に、マスターの身体を壊さないようにしないとね』


「初日で壊れたりしないよ」


『じゃあ今日はもう寝る』


「はいはい」


 フィクスは苦笑しながら寝台へ身体を預けた。


 朝、この部屋で目を覚ましたとき、窓の外に広がる王宮は巨大な石の城塞にしか見えなかった。だが一日その中で暮らしてみると、石壁よりも、その間を絶えず動いている人や物の方が気になるようになっていた。


 泉から入った水が貯水槽へ集まり、そこから人の手で各所へ運ばれる。食料や油、薪にも割り当てがあり、それをまた人が必要な場所へ届ける。浴室で使う湯も、便所の縦坑を落ちた汚物も、どこかで誰かの仕事につながっている。


 それらが勝手に動いているはずはない。


 誰かが数え、記録し、決めている。


 フィクスは灯火の向こうに浮かぶジェミニの姿を眺めながら、昼間に一度だけ見た小さな粘土板を思い出した。


 明日は、あれをもう少し近くで見てみよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。