033 便器の発注
窯場へ向かう道では、フィクスが一人で蝋板を持ち続けることはしなかった。
最初のうちは自分で記した。コトナを出てからの方角、道が分かれた場所、目印になる大きな岩や樹木、水を得られる場所。平地を離れて山麓へ近づくにつれ、道の傾きや幅も加えた。荷を積んだロバが通るには問題がないが、車輪のある荷車には難しそうな場所もある。
そのたびに、何を見て、なぜそれを残すのかを同行者へ話した。
やがて蝋板をエルド山地出身の傭兵へ渡した。
「ここからは君がやってみて」
同じ道を歩いているのに、見るものが違うのが面白い。
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陽が西へ傾く頃、ようやく窯場へ着いた。
最初に目についたのは窯そのものより、積まれた薪だった。山側から運ばれてきた薪や柴がところどころに積まれ、その向こうに作業場や家々がある。乾かしている途中らしい器も並んでいた。
朝から歩いてきた道と、目の前の光景がつながる。
なぜここに窯場があるのか。
政庁で説明を聞いたときより、ずっと分かりやすかった。
同行していたコトナの護衛の一人は、ここへ何度も来ている。顔を知っている者に声をかけ、フィクスがコトナの新しい管理人で、陶工へ注文したいものがあって訪ねてきたのだと説明した。
王子本人がやって来たことで少し騒ぎになったものの、すでに夕刻である。
仕事の話は翌朝に回し、その夜は窯場をまとめる長の家に泊めてもらうことになった。
翌朝。
フィクスは長の家の一室で、数人の陶工と卓を挟んで座っていた。
昨日とは違い、今日は注文の話をするための席である。
「作ってもらえるか見てほしいものがあります」
フィクスはそう言って、持ってきた荷物を開いた。
最初に卓へ置いたのは、小さな木製の模型だった。
向かいにいた陶工が手を伸ばしかけ――止まった。
もう一人が身を乗り出す。
ただ大まかな形を削ったものではない。左右は正確に揃い、曲面は滑らかにつながっている。縁の厚みまで均一だった。
「……これは」
「作ってほしいものを、小さくしたものです」
フィクスはさらに数枚の木の板を取り出した。
板の表面には、木炭で黒い線が引かれ、その上に薄く蝋が塗られて保護されている。
正面。
横。
上。
そして、途中で切ったなら内部がどうなっているかを示した断面。
アンドロイドのアリタが精密に削り出し、描いたものだった。
三人だけになった夜、ジェミニが形と必要な寸法を伝え、アリタが木を削った。図も同じである。
当然、人間が定規と目測だけで描いたものとは精度が違う。
陶工たちの視線は、注文する品物より、模型と板の間を行き来していた。
「こちらと……こちらが同じものなのですか」
「そうです」
陶工の一人が模型を慎重に持ち上げた。
横から眺め、それから横向きの図を見る。模型を正面へ向ければ、今度は正面の図と見比べる。
「同じだ……」
小さく呟いた。
「こちらは、この側から見た形です」
フィクスは正面図を指した。
「横へ回ればこちら。上から見ればこれになります」
陶工たちが板を覗き込む。
「この線は?」
「外からは見えないところを示すためのものです。こっちは、途中で切ったと思ってください」
「切る?」
「はい」
フィクスは模型を手に取り、断面図の向きと合わせた。
「本当に切るわけではありません。このあたりで真っ直ぐ切って、中を横から見たらどう見えるか。それを描いています」
一人が断面図を見て、模型へ視線を戻した。
指で模型の表面をなぞりながら、頭の中で切り開こうとしているらしい。
やがて表情が変わった。
「中の形を伝えるためですか」
「そうです。外側だけなら模型でも分かります。でも中まで同じ形にしてもらいたいなら、模型だけでは分かりにくいでしょう」
「なるほど……」
今度は別の陶工が板を手にした。
「では、こちらから見ればこれになり、こちらからなら……」
「こっちですね」
いつの間にか、話題は注文から完全に離れていた。
陶工たちは模型を回し、板と見比べ、互いに何かを言い合っている。
「これなら口で説明するより間違えぬ」
「だが、この曲がりまで同じに描いてあるぞ」
「どうやってこれほど揃えて描いた?」
「模型の方もだ。片側を削って、それに合わせたのか?」
フィクスは答えに困った。
アンドロイドのアリタ精密加工しました、とは言えない。
『思った以上に興味津々ね』とジェミニが笑う。
「王宮で、こういうものを見たことがあって、作るものを伝えるには便利だと思ったんです」
いつもの逃げ道を使った。
完全な嘘でもない、ということにしておく。
それで興味が収まるかと思ったが、逆だった。
「王宮では、このようにして職人へ形を伝えるのでございますか」
「いつもではありません」
そこは否定しておく。
「今回は形が少し変わっているから、なるべく間違いなく伝えたかったんです」
しばらくして、窯場の長がようやく本来の話へ戻った。
「それで、フィクス様」
「はい」
「これは、何に使うものでしょうか」
フィクスは一瞬だけ間を置いた。
「便器です」
陶工たちが静かになった。
「……便器、でございますか」
フィクスは模型を指した。
「これに腰を下ろして使う。陶器なら表面を滑らかにできるでしょう。汚れても洗いやすくなると思っています」
「…………」
先ほどまで模型に顔を近づけて熱心に観察していた男が、そっと卓へ戻した。
別の陶工は図面を見た。
それから模型を見る。
もう一度フィクスを見る。
誰も、作れないとは言わなかった。
しかし、先ほどまでとは明らかに空気が違う。
フィクスにも、その理由はおおよそ分かった。
食器や貯蔵容器などを焼く窯で、排泄に使う器を一緒に扱うことへの心理的抵抗だろう。職人としての矜持かもしれない。
技術的にどうこうという以前に、何か引っかかるものがあるらしい。
「実際の大きさで作れるかどうかを、まず知りたいんです。最初からこの形でなくても――」
「フィクス様」
窯場の長が、不自然なほど丁寧に言葉を挟んだ。
「せっかくお越しいただいたのでしたら、窯もご覧になりますか」
フィクスは一拍置いた。
「……そうですね。ぜひ」
「ちょうど火を入れる前のものがございます。中もご覧いただけます」
「それは見たいです」
便器の話はそのままにして、窯場の見学へ移った。
外へ出て陶工たちの後ろを歩きながら、フィクスは小さく息を吐いた。
(もしかしたらとは思っていたけど……嫌がられたか)
『便器だもんね』
左手首から、ジェミニの声だけが返ってくる。
(分かってるよ)
『さっきまで宝物みたいに模型を観察していたのにね』
(言うな)
それでも、窯場へ来たもう一つの目的については十分な成果があった。
実際の窯を外からだけでなく中まで見せてもらい、どのように器を並べるのかを聞く。薪がどれほど必要なのか、どの種類の木を使うのかも尋ねた。粘土を扱う場所でもここの粘土の特徴等、色々と教えてもらった。
陶工が土を練り、形を作り、乾かしてから窯へ入れる。
大きな甕には大きな甕なりの難しさがあり、厚ければ丈夫になるという単純なものでもない。乾く途中でも、焼いている最中でも割れる。
フィクスは聞き、見て、必要なところでは尋ねた。
昨日歩いてきた道も含めて考えると、コトナで陶工を呼んで話を聞くだけでは分からなかったであろうことがいくつもあった。
山側には薪がある。
水がある。
粘土を得られる場所がある。
そして焼き上がった器を平野へ下ろせる道がある。
窯場がここにあることには、やはり理由があった。
見学を終えた頃には、陽もかなり傾いていた。
目的の半分は、十分に果たせた。
残り半分については、何とも言えない。
作れるのか。
作れないのか。
作れるとして、作ってくれるのか。
朝の話し合いでは、そのどれにも答えが出ていなかった。
夕食を終えて、フィクスは昨夜と同じ部屋へ戻った。
明日はコトナへ帰る。
寝具を整えながら、フィクスは荷物の中に戻された木製の模型を取り出した。
「駄目かもしれないね」
『便器?』
「うん」
模型を横から見る。
形そのものについては、陶工たちはずいぶん興味を示していた。
問題は用途を教えた後だった。
『作れないとは言ってなかったけどね』
「作るとも言ってない」
『見事に流されたねえ』
「窯を見せてもらえたのはよかったけど」
『そっちは大成功だったじゃん』
「だから、来た意味はあったよ」
フィクスは模型を布で包み直した。
「便器は別の方法を考えるしかないかな。木で作って表面だけ何かで塗装するとか――」
『まだ諦めるの早くない?』
「明日の朝、もう一度聞いてみるよ。でも、王子の立場で無理強いはしたくない。今後のために陶工とは良い関係を作りたいんだ」
フィクスが荷を整理して、そろそろ横になろうとしたときだった。
扉を叩く音がした。




