024 出迎え
その日は朝から、館の中にいつもとは違う緊張があった。
王宮からの一行が今日到着することは、先触れによって分かっている。客室は整えられ、食事の支度も進み、厩では新たに入る馬や荷駄を受け入れる準備まで始まっていた。
フィロメラも母や兄たちとともに広間で待っていた。
何かをしていた方が気が紛れると思ったが、今日はそういうわけにもいかない。呼ばれたときにすぐ動けるよう、朝から身なりを整えている。
王の名代である第二王子が来る。
そして、もう一人。
フィクス。
一年前、父から婚姻の話を聞かされたときに初めて意識した名前だった。
王の第八王子。
やがてエリミオンの王家のコトナを預かるため、この地で暮らすことになる。そして話がそのまま進めば、自分の夫になる。
何度考えても、その部分だけはまだ実感がなかった。
会ったこともないのだから当然なのかもしれない。
父や母から聞いたことはある。王宮から伝わってきた話もある。それでも、どんな人なのかは分からない。
母からも、来てから自分の目で見なさいと言われていた。
だから、そうするつもりだった。
広間の外から急ぐ足音が聞こえた。
入ってきた男が父の前で足を止める。
「アルケシラオス様。一行が見えました。間もなく到着いたします」
「分かった」
父が立ち上がった。
「門前でお迎えするぞ」
母が続き、三人の兄たちも立つ。
フィロメラも立ち上がった。
胸の鼓動が、先ほどまでより少し速くなっている。
それには気づかないふりをした。
門前には、すでに館の者たちが整えられていた。
父と母を中心に領主家の者が並び、その後ろには主要な男性親族や家臣、館を取り仕切る者たちが控えている。さらに従者や使用人が続き、門の左右には武装した男たちが立っていた。
国王の名代を領主家が迎える。
やがて道の先に、武装した男たちが見えてきた。
馬が続き、その後ろには荷を積んだロバがいる。
思っていたより長い一行だった。
フィロメラは、その中から二人の王子を探した。
すぐに一人が目に入った。
馬上でも姿勢がよく、周囲の護衛に埋もれない。身体つきもしっかりしていて、遠くからでも不思議と目を引いた。
――あの方?
一瞬だけ、そう思った。
だが、すぐに違うと気づく。
王の名代として先頭近くを進んでいる。年齢も聞いていたより上に見える。
あれが第二王子エウリュメドンなのだ。
ならば。
フィロメラは、その後方へ目を移した。
もう一人の若者がいた。
兄ほど大柄ではない。
武人らしい強さが一目で分かるわけでもない。王子と聞いて知らず知らず思い描いていた華やかさも、さほど感じなかった。
フィクス殿下。
――この方なのね。
フィロメラは、もう一度エウリュメドンを見てしまった。
隣に比べる相手がいるから、そう思うのだろう。
第二王子はいかにも王子らしかった。
もしあのような人であれば、どう接すればいいのかも分かりやすかったように思う。
それに比べると、フィクスはずいぶん普通に見えた。
ほんの少しだけ、胸の中で何かがしぼんだ。
自分でも気に留めないほどの、小さなものだった。
やがて一行が門前へ着いた。
エウリュメドンが先に馬を降りる。
その所作にも華があった。
フィクスも続いた。
近くで見ても、最初の印象は大きく変わらない。
ただ、思っていたより落ち着いていた。
これだけの人数に迎えられながら、周囲を気にしてそわそわすることもなければ、王子であることを見せつけるように振る舞うこともない。
父が前へ出た。
「エウリュメドン殿下。遠路、よくお越しくださいました」
「アルケシラオス。出迎え、感謝する」
第二王子の声はよく通った。
「陛下の名代として参った。しばらく世話になる」
「光栄にございます」
やはり立派な人だとフィロメラは思った。
父と向かい合っても、若者という感じがしない。
父が今度はフィクスへ向き直った。
「フィクス殿下。エリミオンへようこそお越しくださいました」
「ありがとうございます。これから長くお世話になります」
初めて聞いたフィクスの声は、想像していたものより静かだった。
それだけの挨拶をすると、口を閉じる。
父も門前で話を長引かせなかった。
「山越えでお疲れでございましょう。まずは中へお入りください」
「そうしてもらえると助かる」
エウリュメドンが応じ、一行は門をくぐった。
広間へ移ると、門前とは違う空気になった。
父は領主として正面に立ち、エウリュメドンと向き合う。
「アカイア王アガメムノン三世の名代として参った、第二王子エウリュメドンである」
「エリミオンを預かるアルケシラオスにございます。陛下の御名代を我が館へお迎えできますこと、光栄に存じます」
フィロメラは母の隣で、そのやり取りを見ていた。
エウリュメドンが父王から言葉を預かっていること、それについては明日あらためて話すことを告げる。そして、弟へ目を向けた。
「弟のフィクスだ。すでに伝えてあるとおり、王家のコトナを預かるため、この地へ参った」
フィクスが一歩前へ出た。
「フィクスです。まだこの土地について知らぬことが多くあります。王家の土地を預かる以上、アルケシラオス殿に教えていただくこともあると思います。よろしくお願いいたします」
フィロメラは少しだけ目を上げた。
王子という人は、もっと違う話し方をするものだと思っていた。
何が違うのかは、うまく言えない。
ただ、その言葉だけが耳に残った。
父が答え、領主家の者たちの紹介が始まった。
三人の兄たち。
近しい親族。
主要な家臣。
一人ずつ進み、自分の番が近づいてくる。
フィロメラは、今度こそ緊張していることを認めた。
「三女のフィロメラにございます」
父に促され、一歩前へ出る。
フィクスと初めて真正面から目が合った。
「フィロメラと申します。フィクス殿下のお越しをお待ちしておりました」
「フィクスです。お会いできて嬉しく思います」
それだけだった。
フィロメラは頭を下げ、一歩退いた。
夫になるかもしれない人との最初の言葉は、あっけないほど短かった。
近くで見ても、やはりエウリュメドンのような華やかさはない。
けれど、不快なところもなかった。
それ以上のことは、まだ分からない。
分からないものを、今決める必要もない。
フィロメラは母の隣へ戻った。
広間では、再び第二王子と父の話が始まっている。
その傍らに立つフィクスの姿を、フィロメラはもう一度だけ見た。
そして今度は、彼の兄と比べなかった。




