020 襲撃の後始末
襲撃者の姿が山から消えたあとも、一行はしばらくその場を動かなかった。
エウリュメドンの側から兵が戻り、前後に分かれていた護衛が互いの無事を確かめる。投石で肩や額を切った者が数人いたものの、軽症者だけだった。王子二人も無傷だった。
失ったものは、ロバ二頭とその荷だった。
「二頭だけか」
エウリュメドンが確認すると、荷駄を預かっていた随員が頷いた。
「はい。もう一頭も引かれかけましたが、そちらは取り戻しております」
「追わなくてよい」
兄は即座に言った。
「山の中へ入るな。怪我人と荷を整えろ」
フィクスはその判断に口を挟まなかった。奪われたロバを追って兵を散らせば、別の場所に伏兵がいるかもしれない。それ以前に、荷物より王子二人を守ることが護衛の仕事だった。
問題は、アリタのお陰で捕まえた二人である。
当然、どちらも生きていた。
意識を取り戻した二人は後ろ手を縛られ、道端の岩際に座らされていた。一人は四十に近い男で、もう一人は二十代の後半ほどに見える。粗末な衣服ではあったが、手足には農作業だけではつきそうにない傷が多く、年長の男の腕には古い切り傷まで残っていた。
エウリュメドンが二人の前に立つ。
「誰の命令だ」
「誰の命令でもございません」
「では、なぜ襲った」
年長の男は唇を噛んだ。
「食うためです」
あまりに簡単な答えだった。
エウリュメドンの眉が動く。
「何を奪うつもりだった」
「何でも」
「何でも?」
「食い物なら食います。布なら使えます。油なら替えられる。ロバだけでも値打ちがある」
フィクスは男を見る。
「この隊列の素性は知らなかった?」
二人は初めてフィクスへ目を向けた。
「知りません」
若い男が答えた。
「荷を積んだロバがあった。それだけです」
どうやら本当に、誰を襲ったのかも知らなかったらしい。
服装や護衛の数から裕福な一行だとは分かっただろう。しかし王子が二人いると知っていれば、二頭のロバのために手を出すとは考えにくい。
「お前たちはこの辺りの者か」
エウリュメドンが尋ねると、二人はしばらく黙ったあと、家もある。家族もいる。羊や山羊を飼い、わずかな畑も耕していた。だが去年から続く不作に加え、冬には家畜を何頭も失った。外へ働きに出ていた男たちも仕事を失って戻り、村には食わせなければならない口だけが増えたと答えた。
「お前たちは傭兵だったのか」
年長の男が頷いた。
「昔、槍を持って外へ出ました」
「だからあんな襲い方を知っていた?」
フィクスが聞く。
男は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
「ほかにも経験者がいるんだね」
今度は若い男が目を伏せた。
フィクスには、襲撃の手際がようやく腑に落ちた。
射撃で上を見せ、その間に谷側から荷へ近づく。目的を果たせば欲張らずに退く。仲間が逃げるまで経験のある者が後ろに残り、追っ手を牽制する。
偶然できた動きではなかった。
尋問が終わると、兄弟は少し離れたところへ移った。
「どうすると思う?」
フィクスが尋ねると、エウリュメドンは捕虜を一度振り返った。
「本来なら、街道で武器を持って旅人を襲った。それだけでも重い」
「殺す?」
「そうする理由はある」
兄はそこで言葉を切った。
「だが、昨夜の話を覚えているか」
「うん」
フィクスも思い出していた。
山の有力者は、略奪者を一つにまとめてはいけないと言っていた。
共同体から離れ、略奪そのものを生業にする者。
不作や家畜被害で暮らせなくなり、一時的に道へ出てしまった者。
前者を放置すれば、街道も村も継続して襲われる。だが後者まで殺し、残された家族をさらに困窮させれば、次の略奪者を自分たちで作ることにもなる。
「この二人は後者だと思う」
「私もそう見る」
「じゃあ、地元の有力者の村まで連れて行って引き渡す?」
「そのために兵を割くのか?」
フィクスは黙った。
これからまだエリミオンまで行かなければならない。
二人を縄につないで連れていけば、常に誰かが見張らなければならない。逃げられれば面倒だし、食料まで余分に必要になる。
「処刑するほどじゃない。連れていく意味もあまりない」
「そうだな」
フィクスは捕虜を見る。
「なら、帰したほうがいいのかな」
「そのまま帰せば、今日と同じことをまたするかもしれん」
「……だよね」
そこでフィクスは考えた。
食うために襲った。
ならば、食えるようになれば襲わないのではないか。
しかも彼らには傭兵経験がある。
フィクスは兄を見る。
「兄上」
「何だ」
「俺が雇ってもいい?」
エウリュメドンが眉を上げた。
「誰を」
「あの二人。というか、今日襲ってきた連中」
兄の顔が、露骨に「何を言っている」と変わった。
「お前を襲った者たちだぞ」
「俺だって知らなかったんだろ」
「そういう問題ではない」
「エリミオンに行ったら護衛も要るし、人手も要る。山道を知っていて戦えるなら使える。それに――」
フィクスは少し考えて続けた。
「仕事があれば、少なくとも俺の荷を奪う必要はなくなる」
兄はしばらくフィクスを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「好きにしろ。ただし、何か有ったら私が許したと言え」
「ありがとう」
「まだ礼を言うな。お前の思いつきがうまくいくとは限らん」
二人は捕虜のところへ戻った。
フィクスが前へ立つと、男たちは警戒するように顔を上げた。
「一つ、提案がある」
二人は黙っている。
「俺に雇われない?」
年長の男が眉を寄せた。
「……何と?」
「傭兵として」
今度は二人とも顔を上げた。
「俺はこれからエリミオンへ行く。向こうで人が要る。お前たちと、今日一緒にいた者たちを雇ってもいい」
年長の男の顔がこわばった。
そこで初めて、フィクスははっきり告げた。
「俺はアカイア王アガメムノン三世の第八王子フィクス。こちらは第二王子エウリュメドン。父王の名代だ」
二人の顔から血の気が引いた。
自分たちが何を襲ったのか、ようやく理解したらしい。
「知らなかったのは分かってる」
フィクスは続けた。
「でも、王子の一行を襲ったことが王宮まで届けば、知らなかったで済むとは限らない。お前たちだけじゃなく、この辺り一帯の村まで調べられるかもしれない」
年長の男が息を呑む。
「だから取引しよう」
「取引……」
「お前たちは俺に雇われる。今日奪ったロバ二頭と荷物は返さなくていい」
エウリュメドンが横でフィクスを見る。
フィクスはそのまま続けた。
「強奪されたんじゃない。俺がお前たちを雇うために払った対価にする」
二人はしばらく何も言わなかった。
「食料でも布でも、何が入っていたとしても、お前たちのものだ。ロバも二頭とも。それで仲間を食わせろ」
「本当に……」
「ただし、条件がある」
フィクスの声が少し低くなった。
「まず、お前達の名前と村を正直に言え。そして、今日のことは、村の外で話さない。王子の一行を襲ったことも、俺に雇われた経緯もだ」
年長の男は若い男を見た。
答えは早かった。
「お仕えいたします」
「俺も」
二人とも頭を下げた。そして、出身の村と名前を言う。
フィクスは年長の男を指した。
「じゃあ、あなたは村へ戻って。仲間に話して。俺に雇われたことと、今日のことを絶対に口外するなって伝えて」
「今日の事が王宮に伝わると面倒なことになるからね」と重ねておどす。
「承知しました」
「それから、仕事をする気がある者をまとめておいて」
男が深く頭を下げる。
今度は若い方を見た。
「あなたは俺たちと来てもらう」
若い男の表情が固まった。
「念のため」
フィクスは正直に言った。
「二人とも帰して、それっきりだと困るから」
つまり人質だった。
男にもすぐ分かったらしい。
それで異議は言わなかった。
「分かりました」
フィクスは頷いた。
これで正しいのかは、まだ分からない。
罪を許したわけではない。
善人だと思ったわけでもない。
ただ、殺して二人減らすより、減らさずに二人を働かせたほうが、今のフィクスにはましに思えた。
そして、昨日までなら粘土板にも残らなかったはずの男たちが、これから自分の赴任先へつながろうとしていた。




